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タクシードライバーとイージーライダー。


「タクシードライバー」と「イージーライダー」を見た。

ずっと見たくて、なかなか見れなかった二つの映画。
タクシードライバーは、とにかく音楽がいい。あのテーマ曲は、禁じられた遊びを超えているかもしれない。
イージーライダーは、なんだかすごく人気があるし、タイトルがタイトルなので見てみたかった。


二つとも、フィルムの感じがすごくよかった。
フィルムというだけですごくいい。

ということを、自分でフィルムで写真を撮るようになって、実感した。
デジタルも、デジタルの画質はフィルムを超えたと言われているみたいだけれど、
描写力はあっても、それで確実に犠牲にしているものがあると思う。
雰囲気とかを全く切り取れないから、見た目美しいだけ、細かいだけの写真になっていると思う。
フィルムはその点、全然違う。フィルムが醸し出すあの、ちょっとざらつきのある画面と独特の色味は、映画らしいと言うかとにかくフィルムらしいと言うのか、CGやデジタルのようにわざとらしくない世界を自然と演出できていて、それだけで懐かしさが漂う。


そして、内容について。
どちらの映画も、ベトナム戦争をきっかけに二つに割れてしまったアメリカ社会を反映していて、今ではマイノリティとして生き残っているにすぎないが、当時は時代の一翼を担った運動が敗れ去って行く様をまざまざと描いてあり、今まで映画を、ただ外部の者としてみて来たのとは違い、今の自分の思想や自分を取り巻く環境にまでこの映画のテーマが繋がっているのが感じられた。

タクシードライバーは、あのロバート・デ・ニーロの役のステイタスや反社会性というか、周りにうまくとけ込めない部分が、
ベトナム戦争で破れたアメリカ、派遣国となった故に抱えることになった正義への葛藤、ベトナム戦争でまっぷたつに分かれたアメリカを象徴しているようで、すごく面白かった。
ただ、結末で彼が英雄視される場面も意味が分からないんだな。私にしてみれば、「自分のやったことをほめて欲しい!」というアメリカの自己愛肯定願望な気がするけれど、どうだろう。
同じテーマに踏み込んでおいて、描く対象が違うと、イージーライダーと見た目かけ離れた作品になっているように思うけれど、このブルースが終始リフレインされる雰囲気は好きだ。

それと、イージーライダー。
これはただバイクが好きな映画なのかと思っていた。全然違った。
これも、ベトナム戦争をきっかけにアメリカに生まれた反体制的な活動を取り扱ったもので、
自由の意味を問い直す映画であり、結末としてはこの時期の反体制運動=自由が体制に敗北するというもので、すごく意味深だ。

実際に、今の世界では反体制的であることは完全に敗北を喫し、この反体制運動から生まれた様々な運動や思想は、本編でもウーマンリブなどに触れているけれど、今は市場にて選び取ることができるスタイルの一つにすぎず、完全なマイノリティー。

主人公のキャプテン・アメリカが、当時体制や時代への犯行として生まれた多くの思想や運動に、穏やかな視線を向け、肯定していくシーンは気持ちがいいが、それが体制側にとっては唾棄すべき対象、攻撃対象になりうるものであること、そして結末としていとも簡単に体制側に敗れ去るべきものとして描かれていて、新しい価値観の脆弱さには切なくなる。

自由の置かれた立場は、この時から今まであまり変化が無いのかもしれないな、と言うのが、私がこの映画を見た時の感想。
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