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岸部一徳を描写する&子どものころ、母は病弱だった


今日のテキスト:
書くことが思いつかない人のための文章教室』近藤勝重著、幻冬舎新書



p.48 問題 岸部一徳を、細部にこだわって描写しなさい。

私の答:
岸部は平凡な男だった。彼の見た目に、これと言って特徴はない。
少し広くなった額の上に、右から七三に分けた髪には白髪が交じり、
丁寧に揃えられた黒髪の合間を、白髪も漂うように流れている。
こんな髪型をしたサラリーマンはこの日本にゴマンと居る。
彼の太い眉、黒々とした瞳、しわが深くなり、目立つようになった隈。
一文字に結ばれた唇。
そして真っ白でぱりっとアイロンの効いたワイシャツに至るまで、
この世界にありふれたものだ。
彼がこの顔、服装のままで今すぐJR新橋駅に到着したばかりの
満員電車から降りてきたとて、誰も彼に目を留めはしないだろう。
彼はきっと、夕暮れの柔らかな光やその中を一心不乱に走っては止まる
山手線のグリーンの電車よりも遥かに有能な背景として機能するに違いない。


こんなもんでしょうか。如何??
ちなみに、本には筆者による模範解答、あるいは著者が選んだ学生の優秀作品が紹介されています。



p.56  問題 「子どものころ、母は病弱だった。」この分の続きを書きなさい。

私の答:
子どものころ、母は病弱だった。
隙間風が常々吹き抜ける湿った部屋に布団を敷き、母はいつも布団の上でコホコホやっていた。
他に何も覚えていない。床に臥せった母が咳をする音だけが脳内で何度も繰り返される。
母の顔を覆うしなやかな黒髪のため、表情も分からないままだ。
おかげで父はいつも忙しそうだった。朝早く起きて米を炊き、洗濯をし、朝食の準備をして母に薬を飲ませると、私たちを幼稚園に連れて行き、そのまま小学校から徒歩五分の場所にある工場に働きに出る。昼は家に戻って母の食事と薬の世話をしていたはずだ。
夕方、日が暮れてから幼稚園に私たちを迎えに来、それから夕食の支度、風呂を沸かして食後に母の体を拭く。父も母も寡黙だったように思うのは私だけだろうか。幼かった私たち兄妹は、せめて父の邪魔にならぬよう、廊下の隅で幼稚園ごっこや小学生ごっこをしてあそんだ。家族ごっこをする勇気は私にも妹にもなかった。
今、母が咳をする音が家に響かないという事実を私は、安心の材料と受け止めてよいのだろうか。少なくとも父は今でも、寡黙である。


この問題、問題文からして今の母がどういう状態なのか、がまず浮かんだ課題だった。
昔に病弱で、今(10年後、20年後)には健康な母というイメージが自分の中で浮かばず、
それも自分がかなり小さい時に亡くなってしまった母の様子を回顧する、という内容になった。
模範解答(学生の優秀作品)と比べると、私の文章は量で力押ししているような気になる。
短い文章で伝えるのは、私には出来ないように思う。
それと、時代劇の見過ぎ、って感じの内容になっている(笑)
慌てて、家で傘張りの内職をする父、という描写をやめて工場と言う事にしたけれど、
今の子どもたちが読んでもイメージ膨らまないだろうなぁ。。。




みんなも暇つぶしにパズルを解くような感覚で、ちょっと挑戦してみたら??
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