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映画「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」


映画「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」という映画を見た。

DSCF4046.jpg


広島の原爆後遺症に悩み、国からも見放されてアメリカのモルモットにされ、更に広島の恥部としてあらゆる面から最低の扱いを受け、存在を隠そうとされた人々の実際を写真に撮ったのが彼の始まりで、
それ以降、あらゆる日本で怒った闘争や不正義を写真に撮り、告発してきた人。
それがこの、福島菊次郎という人だ。
日本国に対する告発も少なからずしており、その為に年金の受給なども拒否しているそう。
自衛隊や軍需産業にも潜入取材を試み、あらゆる手段を使って写真を撮影、世に出してきた為に、
暴漢に襲われ、家を放火もされたこともある。

それでも彼は、カメラを放すことは無い。



映画を見る前に、ネットで予告編を見ておいた。穏やかな、優しい老け方をしたおじいちゃんが警備員に「ごめんなさいね、仕事だから」と言ってカメラを構えていたシーンが印象に残った。反骨というイメージからはほど遠い物腰。
それから、予告編で本人が言っていた「写真家は法を犯してもいい」という一言も引っかかった。


まずは「法を犯してもいい」という一言について、
本編を見て、それが権利ではなくて、使命として捉えられているというのが分かって安心もしたし、その厳しい世界観に背筋が伸びた。
不正義を告発する為に、自己の不正義をもって対し、そしてその自分の不正義も自分で認識する。自分がどんな目にあったとしても守ってもらえないという現実を受け入れるのは生半可な覚悟ではないはず。

そして一方で、菊次郎氏本人の描き方については実際に、至って穏やか、彼の愛犬との微笑ましい描写もあって、終始優しい印象だ。だからこそ、彼のこれまでの経歴や写真、そして言葉が重く響く。大杉蓮氏のナレーターについてもそうだけれど、穏やかさ、感情を殺した淡々とした進め方を用いることで、菊次郎氏のメッセージを際立たせているように思う。

その世界観のギャップには震えずには居られない。例えば写真かと言っても、美しいものや、みんなに受け入れられるものを撮っている訳ではないということが、こんなにも彼を厳しい世界に引っぱりこむものなのか。

協力隊のOBで写真家として生きている人にも何人か会ったけれど、後進国の現実を日本の人にも理解してほしいというのは私もアフリカに2年間居た身として分かる。これど、そういう人たちの撮った写真は美しくて主張もあるけれど、とても上品で、もっと言えば無難な写真だと思う。今は尚更、そういう考えが強い。
決してそれが悪いということではなく、でも状況に逆らってでも告発するべきことがあると言ってみんなが目を背けているものに、罪悪感を捨ててレンズを向けることにどれだけの勇気があれば足りるのだろうかと想像してみたら、そりゃその状況は全く違ったものだろうというのはすぐに分かる。

例えば私たちに、原爆の影響でふくれあがり、無様にへしゃげた女性の顔を撮る勇気(なのか無神経さ、鈍感さなのか?)があるかどうか。撮った対象の本人やその関係者からも嫌われるリスクも犯して。



私は内容というか彼が写真を通して伝えようとするメッセージに関しては、どこかひねくれているというか、斜めから見てしまって、眉唾物だとか、内容を絶対視しないようにはしているんだけれど。それは多分、誰のことでもそう対するのだと思うんだけれど。
でも、彼の今まで生きてきた人生やそこから生まれた彼の反骨精神は、まさにかけがえの無いものだと思った。


映画を見たことで、ここまでは誰かが既に開拓した場所。私たち誰でもこの道を進むことが出来る。今なら。この先は、個人個人が新しく開拓していく荒野が広がる。
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