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言葉のちから


少し前に聞いた落語(CD)のまくらで、こんな話をしてた。




私たち噺家は、弟子入りするとまず言葉遣いを教え込まれます。
例えば、「する」という言葉は「競馬でお金をする」などと言いまして、
縁起が悪いから使わない。で、その代わりに「当る」といいます。
「するめ」が「あたりめ」に、
「すずり箱」が「あたり箱」に。
「茶」と言うのも縁起が悪いので、
すし屋などではこれを「あがり」といいますな。



こんな調子で。

ちょっと前までは、結婚式なんかでも縁起を担いで重ね言葉を
使わない、なんて非合理的というか、無駄な気ばかりしてた。

でも最近、縁起を担いで言葉遣いに気をつけるって、
けっこう意味のあることのように思えてきた。


それはやっぱり、生きてる言葉のちからを感じるようになってきたからかもしれない、と思う。
言葉に引っ張られるっていうんだろうか。言ってしまったらその後、消えるんじゃなくって、空気の中に残るというか、要素として溶け込んでしまうような感じ。
湿気のように空気を重くしたり、あるいは逆にからっと澄んだ気分にもさせてくれる。
そんなちからが、言葉にはあるんだって思うようになった。


だから最近、言葉遣いには気をつけようとする。特に、人といるときは。

あんまりネガティブなニュアンスのことは言わない。
人の悪口にはさらに輪をかけて気をつける。
人にも自分にも、よくないことが現れる。

「バカっていったほうがバカなんだよぅ」は、
ただの子どもの喧嘩の捨て台詞じゃない。

「笑う門には福来る」ってのも、同じような感覚だよね。




そして、最近、こんなふうに思うようになったのはもうひとつ、
理由がある。

小林よしのり氏の著書「ゴーマニズム宣言Special 天皇論」
で、こんなことが書かれていた。(第2章など)

言霊信仰というものがあり、いいことを言えばいいことが起こって
悪いことを言えば悪いことが起こる。
そして万葉集の時代から言霊信仰に則って祈りの歌を歌ってきた。


じつは冒頭に紹介した落語では、その言葉遣いを
「人間の弱さゆえ」といっている。
しかし、言霊信仰の伝統を知ればそれは弱さゆえではなく、
日本人の知恵なのだと思うようになった。
それも、古代から天皇が国の平和と繁栄を願い、祈られるためにも
使ってこられたものだ。

私たちはせいぜい、自分たちにいいことがありますようにと
願うために縁起を担ぐ。
けれども、その起源に自分以外の者たちのためだけに祈りを捧げ、
言霊信仰をしてきている方々がおられる。

こんなすばらしい伝統を受け継いでいる文化なのだと思った。 



今後はもっと、些細な一言を大事にしてゆきたい。
祈る、という意味で。
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