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目的としての参加型。


暫く前に書いたのの続き。参加型開発について。
前回のブログの内容はこちら。

技術補完研修の内容では、ワークショップを行うための前提というか、その基盤についてはあまり話をされなかったと思う。村人との関係作りだとかそういう話も研修では全くなくて、「参加型開発による地域づくりの方法」を読んだ後になってやっと、自分のやっていたことは間違いだらけだったと気付いた。まぁ研修も時間がない中で詰め込まれたし、そういう自分の現実を踏まえても、本に書いてあったような「本当の参加型の専門家が出てこない、付け焼き刃で間違った精神で行われている」というのもしょうがない話というか、現実が理論に追いつかないのはしょうがない気がした。ブルキナでもそうだね。本当に理解しようと思ったらやっぱり短い時間では出来ないし、協力隊だって村落開発普及員だけにしたってかなりの数がいて、それに付け焼き刃でもいいからと研修をプログラムし、薄く広く伝える。あとは「興味がある人は本を読んでおいてね。」で、私は研修の時に自分がブルキナに来てから参加型開発に興味あるかなんてその時には分からない、と思ったわけ。そんなんで、今になってその時の研修で使った薄いテキストだけを引っ張り出してきて、それだけを便りに何かをやろうと思っても、そんなテキストにはなにも書いてないに等しいもので、そうしてご覧の通りというか、きれいに行き詰まった。


まぁ、私の場合はいいのだ。私がそうやって付け焼刃で何かやって見て、うまくいかなくて、どうしていいか分からない、でも活動はしなきゃいけないのジレンマ、そのせいで頻繁に村に行くことを避けたり、行ってもまともな、意味のあるアクティビティにならなかったり…その一つ一つが私にとっては貴重な経験になっているし、自分だけで悩んでもしょうがないという時に、自分になかった知識を補完してくれるような本に巡り合えて、それをもとにもう一回やって見ようと思わされる。


そもそも本を読み始める前に、JICAに提出した活動報告書に「村人同士が協力しない」と書いたら、調整員から「協力するということがどういうことか分からないのでは?」みたいなコメントが入っていて、あぁ確かに、自分の中にその発想はなかった。村人たちはこれまで協力ということを実践することもなかったから、頭で「協力するといい」と聞かされても、やり方も分からないし結果も想像できないかも知れない。学校でも委員会のような役割も責任も経験しないからしょうがないのかも知れない。そういう部分も、自分の感覚を前提にして、村人の視点気を配ったりはしてなかったな、と思った。
じゃあこっちがやっぱり、半ば強制的にでも村人同士が協力するプログラムを立てて、みんながそれをやってうまく行ったら何か変わるだろうか。。。「変えられる」と村人が実感すれば、それで意味はあるかもしれない。


前回もちょっと書いているけれど、読んだのは「参加型開発による地域づくりの方法 PRA実践ハンドブック」、ソメシュ・クマール著。この本の写真、忘れた。でも、色んな活動がパッケージ化されていて、独学でやって見ようと言う人にはいいと思う。


参加型開発の基本的な知識は本を読んで初めてそのカテゴライズを理解したけれど、「手段としての参加」と「目的としての参加」がある。私がやっているのは、住民自身が参加することの意義を住民に教えたいというのが目標なので、目的としての参加ということになるらしい。求める結果は「住民の意識の変化」。

それから、テキストを読んで考えたのは、ワークショップでなにを形にするか(例えばプロジェクトをするのか、それとも地図を作るとか年表をつくるとか)ということと同時に、村人と自分の関係だけでなく、村人同士の関係もしっかり観察し、発展させて行かなければいけないということ。私はたしかに、無条件に村人達は仲がいいとか話し合いに気兼ねしないという都合のいい状況を前提にしていたと思う。だけどそれはこっちの希望でしかないし、現実的には村人達の間にも仲のいい悪いがあって、階層や宗教や年収の違いがあって、族長の前でははなしづらいとか、それに自分の意見を人に聞かせるのは恥ずかしいという感覚もあったりする。そういう壁を壊すところからはじめなくちゃいけなかった。


その自分の苦手な「関係づくり」と、村人たちにステップ・バイ・ステップで自身に出来ることを実感させること。
両方、やってなかった。日本人が行くと、何となく村の人たちは頼りにしてくれる。その事実だけに頼ってこのアクティビティをやってきた。村人たちが話をしやすい環境を作っていくこと(いわゆるアイスブレイク)、出来ることからやらせてレベルアップしていくこと、を全くやってなかった。だから問題を訴えることには慣れていても、自分たちには何もできないと思っている村人に「何かやりましょう」といきなり言っても、確かに難しかったのかもしれない。

…そうは言っても、やっぱり、問題を少しずつでも解決するために「ここはこうできるんじゃない?」といくつか提案してみても、「それは無理、これも無理、お金がないから無理、援助して頂戴」というところに毎回行きつくようになっているのはなんなんだろう。まるで時限爆弾が決まった時間に爆発するように。活動をプログラムしようと思って村人と話し合いをし、どんな問題を話し合っても最終的に「それは無理、援助してくれ」とやられたときにはもう無気力感半分、怒り半分というところだった。

ということで次回は全く別の活動を予定。これ以上は村人同士が協力して何かをやろうと言っても不毛な議論に終わることが目に見えているので、もっと違う方向からアプローチして見ることにした。テキストに書いてあったアクティビティで、難しくない物、初期にできる物を選んで、村人同士の関係を作り、同時に少しずつ、村人が自分たちの能力を自覚していくという目的で活動をやっていく。報告書を書いた後から、「じゃあもうちょっと考えたら、こちらから見たら村人の集団だけれど、そもそも村人同士の関係ができていないのかもしれない、協力を知らない可能性も確かにある」ということも考えたし、村人たちが一緒に何かを創り上げることで彼らの意識が少しでも変わるなら、それでいいかな。もう時間もないし、村の現状があまり変わらなかったとしても…

参加型だとかエンパワーメントだとか簡単に言ってくれるけれど、思った以上にデリケートで難しい。


ということで、続きではこの村で行ったソーシャルマップの活動を紹介しようと思う。






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まとめtyaiました【目的としての参加型。】

暫く前に書いたのの続き。参加型開発について。前回のブログの内容はこちら。技術補完研修の内容では、ワークショップを行うための前提というか、その基盤についてはあまり話をされなかったと思う。村人との関係作りだとかそういう話も研修では全くなくて、「参加型開発に...

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