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インターナショナルでミュージシャンでコメディアンなマダム。



隊員機関誌「ぶるる」を作るにあたって、一番最初に案を固めたのが、隊員のカウンターパートたちに話を聞くという企画だった。寧ろ、この案が隊員機関誌を作るための一番の原動力だった。
で、4人のカウンターパートたちに電話やメールで話を聞いていた時に、ボボ・デュラッソの障害者団体の所長がしきりに「ぜひ実際に団体を見に来てほしい、見に来てくれればもっとよく分かってもらえるし、障害者たちもそれを望んでいて、励みになる。」と言っていた。その時はまだ、ボボなど軍のキャンプがある場所に渡航することはJICAから許可されていなかったので、「来年以降、渡航が許可されたら必ず行きます」と約束していた。

あれからもう半年…2,3ヶ月まえに渡航許可は出ていたにも関わらず、
この約束をずるずると先延ばしにしたまま、ゾルゴにひきこもっていた。

が、ここにきて、さすがに本当に約束を反故にしてしまいそうな、自分がそういうつもりではなくても、
時間の壁が迫ってきているのを感じていた。
なので、任期が終わる一ヶ月前になってようやく重い腰を上げ、ボボに行くことにした。
任地での活動ももちろん大事だけれど、自分でけじめをつけるべきところは、ね。


ということで、健康診断の再々検査の為に11日に上京、12日に検査と診断、
13日にボボに行って、14、15と場合によっては16日の朝も使って、ボボの障害者団体、
ドー(Dô)の病院、バマの有機肥料生産団体、ベレガドゥグの女性団体の4つを全部、実際に現地まで見に行くつもりで居たんだけれど。
今考えたら、前回のボボ周辺活動見学旅行に負けず劣らずけっこうな弾丸ツアー。。。
そして結局、一番遠いベレガドゥグには行かないことになったから助かったけれど、
それでも喉を痛めて風邪っぽい症状。。。さすがにまた40度の熱を出したりはしなかったけれど。


今日から数回、そのカウンターパートたちに出会った話をしていこう。
まずはベレガドゥグで女性団体を束ねているマダム・イゴ。
自身で「インターナショナル・マダム」を名乗っているらしい。などなど、その噂話を聞くだけでも強烈な印象が残るが、会ったときには実際に、噂に負けず劣らず強烈な印象を残して行った。
ベレガドゥグまで、というか女性たちの活動を実際に見てみたいと思っていたけれど、
本人の都合で彼女はずっとワガに居たようで、16日の午後、ワガに戻ってきてからお会いした。

インターナショナル・マダムとツーショット。
SN3Q0386.jpg



事務所でお会いして、特に大した話もしていないんだけれど。
とりあえずは取材を受けてくれてありがとうございましたと言って、記事に仕立て上げながら自分が思ったことを話したり、その後の反響のことを話したり。
向こうも、軍の騒乱でブルキナに戻れなくなった隊員から送られてきた写真集を見せながら、色んな思い出を語ってくれた。
ベレガドゥグは観光地のバンフォラに近い為か、多くの隊員が訪れていたようで、写真集には見慣れた顔がいくつもあった。SIAO以外でも、たくさんの日本人ボランティアと交流があったことが分かった。私にも壁を感じさせない接し方、話し方だったように思う。さすが、インターナショナルを名乗る一方で、全ての日本人ボランティアのブルキナでの母まで名乗っているのは伊達じゃない。
図体も心も広くて、いいおばちゃんなんだよなぁ。この人の団体で作ったシアバタ―を今度買いたいと、リクエストしておいた。

なんかこの人、CDデビューしたらしく、一緒に働いていた隊員に渡してくれと言って、一枚預かった。
そしてもう一枚、私もノリで購入してみた。まだ聞いてないんだけれど。
名刺も貰ったんだけれど、この人の肩書、下の二つがおかしいよね?
ミュージシャンで、コメディアン??名乗っちゃうのか。。。肩書なんてなんでもありだな。

SN3Q0189.jpg



そしてこのCDに名刺を付けたものを、JICA事務所一階の販売ブースにいくつか置いて行った。。。今後の売り上げが一番気になる商品…かも。




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まとめtyaiました【インターナショナルでミュージシャンでコメディアンなマダム。】

隊員機関誌「ぶるる」を作るにあたって、一番最初に案を固めたのが、隊員のカウンターパートたちに話を聞くという企画だった。寧ろ、この案が隊員機関誌を作るための一番の原動力だった。で、4人のカウンターパートたちに電話やメールで話を聞いていた時に、ボボ・デュラ?...

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