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「援助漬け」という言葉は嫌い。


援助慣れさせてしまう、被援助側が援助漬けになってしまうというのは植民する側の理屈じゃないだろうか。
援助漬けにした先進国の側の言い分で、自分達のやっていることを弁護するための理屈じゃないかと思う。

というか、援助というのはもしかして、援助漬けにすることが前提じゃない?

発展もしない、でも喜ぶものを与えはして、被援助側が援助側の存在に依存するように巧妙に仕掛けているものじゃないだろうかと思う。
お互いにやめられない状態を作っているのだな。援助側にしても、なんだかんだ言って援助するのが玩具みたいで楽しいのかもしれない。
なんでもかんでも人のせいにできるしね。相手が発展しないこと、相手が甘えて来ることも。

こういう社会に生きているんだから、お互いがお互いの存在に依存することは当たり前のことで、わざわざその関係を作っておいて「依存はよくない」ってそもそも、理屈がおかしい気もしてきた。



援助って本当にセコイと思うのは、自立できないような結果を求めて、あってもなくてもいいことと言うか、場合によってはないほうがいいものまで入れておいて、感謝をとか義理を強要するところだと思う。


だから「援助漬け」なんて言葉はあこぎなフランス人とかが言っていればいいことで、
日本人には「あの人たちが援助慣れしてしまうから」という言葉は使ってほしくないな。
日本がやっているのは援助か開発か何でもいいけれど、その内容もヨーロッパのまねせずに、
もっと日本人が正しいと思えることをやっていく方がいいと思う。
日本の援助に詳しいわけではないけれど、最近、日本は後進国との関係も欧米の顔色をうかがいながらやっているんじゃないかなって感じることがあった。



こんなことを考えた、そもそものきっかけはとても小さなことだよ。サッカーボールやスパイクシューズを外国人の私にねだるここの子供達は不憫だなと思った。
村の学校の子どもたちや、近所の子どもたちにも言われた。

私は小さいことから、服も靴も教科書も色鉛筆もサッカーボールにもそのほかの諸々にも、困ったことは全くなかった。
それは貧しいということの第一義ではないかもしれないけれど、
でもまったく恵まれて育ってきた、なんでも与えられて育ってきた自分達が、
自分達が受け取ったほども多分、受け取ってない人達のことを「甘えている」というのは、
少なくとも私の感覚の中では間違っていると思う。

少なくとも子どもには何不自由ない環境で育って欲しいし、
その親にも子どもにそういう能力を与える力が備わっていてほしい。
でも悲しいかな、ブルキナべが日本人と変わらないぐらいに精いっぱい努力して働いたところで、
労働の質とか量が劣らなかったとしても生産額は天と地ほど変わる。残念ながら。

だから、日本は援助漬けにしていいから「援助漬け」という言葉を使わずに見守ってやっていけたらなぁと思うわけ。




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