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信用ならないもの。


企画調整員のKさんに電話した。
ちょっと前に同僚から、ジニアレでPCMを使って村の需要調査をしていたJICA関係者がいたという噂を聞いたのだけれど、
今はもうブルキナにはいないその人のことを、おそらくKさんが知っていると聞いたので、その人の情報を集めようと思ってのことだった。

というのも私も、PCMを使って村の需要調査や問題分析をしているところで、その人が残したものも含めて、ブルキナのために特化したテクニックがあるなら知りたかった。
が。
そしたら何故か、ロバート・チェンバースという人の「開発は誰のために」という本を薦められた。
電話で話していた私に、どうしてこの本を薦めたのだろう??そうさせるような、何だろう、自分だけで焦っているのを感じ取られたりしたのかな??
タイトルだけではさすがに、どういう本の内容で私に何を理解させたいのか具体的には分からない。
でもせっかく薦めてもらったのだから、電子書籍で見つかればすぐに、なければまた今度探して読んでみようと思う。
だけど、PCMを使うときのブルキナならではのノウハウがあれば知りたいと思って電話したのだけれど。
多分、興味深いテーマの本だと思う。


私は正直な話、途上国とか貧困国の開発なんて興味なくて、知りたいのはひたすら格差の根源。
だけど最近、ブルキナにいて、周りの色んな人達と話したりする中で、少し考えることがある。
いわゆる支援とか協力と、(経済的な)開発というものは多分、互いに殆ど無縁のものだということ。

いや私は言葉を正確に定義するところから始めていないから勘違いしている可能性もあるけれど、
本当の経済発展、要するに経済的、物理的により豊かな生活が貧困層にも行き着くような支援というのは現実には行われていないなと思う。
日本もアジアもその他のある程度発展している国はすべからく、支援ではなく投資で発展している。
国内外の資本が工場を設置して雇用が生まれ賃金が生まれ、そこに消費財が持ち込まれる。
そすやって発展する過程で、モラル的には間違ったこととかが起こる可能性はあるけれど(というか間違いなく起こるけれど)、そうした葛藤無しには権利とかよりよい社会の在り方も確立どころか模索もされはしないし。

だから実はその意識が階層の上下で(つまり、教育を受けているかどうかで)あまりにも掛け離れているブルキナの状態というのは本来、不自然なはず。
古い価値観が村でずっと保存され受け継がれ、一方で街中では欧米が作り出した近代的な価値観が量産されている。
そういう意味でも、援助側に合わせた価値観を一部の階層だけに埋め込むということをしている援助というのは、
もっと複雑に、対立を生み出す形で社会をさらに階層化させている気がする。
そういう性格がある気がする援助というのは、いいことをしているようでもあまり信頼してはいけないな。


途上国とか貧困国という言い方をするときには上から目線というか、経済的に発展していないこととかをまず問題視しているけれど、
本当に貧困を改善しようと思ったら、持続性も考慮するなら、援助なんか全く持って必要なくて、
そのかわりに賃金と産業計画を持って投資をしなければいけないのだと思う。

そこらへんの大事なことをわざわざ誤解させる説明だけが、世の中に蔓延っている気がする。

誰か、「開発は誰のために」っていう本を読んだことがある人がいたら、感想を聞かせてくださいな。
ちなみに私が最近読んだ本で、カズオイシグロの「わたしを離さないで」というのがものすごく面白かった。




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