スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

想像と創造、自己愛


茨城県土浦市のJR荒川沖駅などで9人を殺傷した被告の裁判の続きが今月はじめにあったけれど、そのニュースに対する書き込みを見て思ったこと。

みんながこの被告に対して感じること、よく分かる。
でも、その感情をそのまま言葉にしていたら、
被告となんら変わることがないんじゃない??



被告の犯した罪は間違いなく、唾棄すべきものだ。
だけど、同じことをしてしまう可能性は、全ての人間にある。


そもそも、みんなに通じる常識が通じない、被告のような人が出てくるのは何故だって思ってる人もいるだろうし、被告のような人を世界にとってのがん細胞とも言うべき人だと考えている人も少なくないと思う。
けれど、被告のような人が出てくるのは人間だからだよ。


人間の持った知恵が、これほどにまで人間を多様化させた。
社会的動物が理解しあえなくなるのは困るから、常識を保たせているんだと思うけれど、



だからこそ常識はずれも人間ならではの芸当。
現に、戦争を人間は繰り返してきた。同時に多くのホロコーストも。
フィクションだって生み出せてしまうのは、人間だからだ。


そしていつだって、地球を征服しようとやってくる宇宙人は人間(あるいは人間の知恵)だ。
それだけの悪事を重ねることができるという、想像力。
それだけの悪事を考え出してしまう、想像力。
それは、人間ゆえではないだろうか。

人間の想像と創造、そして現実。

そして、悪を打ち破って世界を守るのは人間という、
自己愛で綴った結末。



被告が許せない、社会的に排除するべきだというのも、被告を頭ごなしに否定する理由のひとつではあるだろう。

でも、みんなが本当に恐れているのは、被告という鏡に自分たちの姿が映ってしまうからではない?
みんな、被告に自分たちが無意識の奥底にしまいこんでいるものが移ってしまって怖い。
本当は自分たちだって持ってる、自分の持つ強いパワーを世界に見せ付けてやりたいと考えている部分。
だけれどもそれをさらすことは社会的にタブー。
それをやって見せた被告に自分の無意識を重ねてしまって、それでおびえている。
そういう考え方だって、できるんじゃない?


みんな真面目に、被告が「ライオンがシマウマを食べることとの違い」を解説して欲しいと考えてる、
なんて思ってるわけじゃあないでしょ??
被告を否定することだって、社会を守っていくためには確かに必要なこと。
けれど、そういうふうに騒ぎ立てられるのが嬉しい人なんだから、
それはそれでもういい加減にして、
彼が人間(自分たち)の弱いところを体現している存在だと言うことを認めた上でもう一度考え直さなければいけないんじゃあないだろうか。


おれは、被告が言った「人間を殺すことと蚊を殺すことは変わらない」と言う台詞、真実をついている側面があると思う。
それだけ簡単に、人間は人間を殺してきた。
それに、人間の命がどういった理由をもって蚊よりも重いと思うのであろうか。

全ては想像力と自己愛の賜物だよ。


スポンサーサイト

| そば屋さんちのふろふき大根 ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://karehausagi.blog38.fc2.com/tb.php/57-07a123c1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザーのみ)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。