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『ソーシャル・ネットワーク』


映画『ソーシャル・ネットワーク』を見たいと思ったのは、『パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ』(著者 ジェフ・ジャービス NHK出版、2011年)という本を読んでいるからだ。
その中に、著者がマーク・ザッカーバーグにインタビューに行く章がある。本の冒頭だ。
ザッカーバーグは果たして著者が言うように、オープンになる、パブリックになると言う意味を真に理解してfacebookを立ち上げたのだろうか。映画の中に答えはない。
と言うのも本の中にこう書いてある。

――脚本家のアーロン・ソーキン自身、フェイスブックについて何も知らないし、事実関係は気にしないと認めている。「真実に忠実であろうとは思わない」。彼は、ニューヨーク・マガジンにそう答えている。「物語として見てほしい」と。この映画はフィクションだし、このネットのおもちゃが革命なのではなく、何人かの機械好きの変わり者、どこの大学にでもいる感じの悪い男子の創作物だと言う希望が込められた作り話だ。映画『ソーシャルネットワーク』は、ニューヨーク・マガジンのマーク・ハリスの言葉を借りると、「古いメディアが、ニューメディアをうまく狙って唾を吐きかけたようなもの」だ。(『パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ』“パブリックの預言者 マーク・ザッカーバーグ“ より抜粋)

実際のザッカーバーグがどういう人かは知らないが、映画では確かにこういう描き方がしてあった。
つまり、女の子に振られたことが最初の動機付け、その子をもう一度振り向かせようと最後まで必死で目立とうとし、
挙句の果てに裁判沙汰にまでなって、友人も去っていった…という物語として作ってあり、好意的な構成ではない。
もっとも、映画の受け止め方はジェネレーションによって変わるみたいで、若い世代はこの映画を見ても、ザッカーバーグを才能とビジョン、運を兼ね備えて夢を実現した人と見る傾向がある様子。著者によると。


私はfacebookを始めたのが2010年初め、それまではいくつかのSNSでみんな、偽名と言うかハンドルネームを名乗るのが普通だったのに、facebookではみんなが本名で登録し、平気で写真を公開していることに驚いた。これは日本と欧米の感覚の差か?と思ったけれど、フランス語のコミュニティサイトでもハンドルネームの人は多かったから、facebookのほうが特殊なんだろう、と結論付けた。
そのころにはもうすでに、多くの試みがなされてかなりの程度、世界中で受け入れられる形になっていたのだろう。私は「みんながやっているから私も同じようにやる」ぐらいの感覚ではじめた。受け入れるのには少し時間がかかったと思う。
と言うのも、私はネットに自分から触れていったわけではないから、ザッカーバーグの言う「ネットの本質」はまだまだ見えていない。寧ろ、学校でネットリテラシーをまず詰め込まれたり、大人の監視下でネットをやったり、昔は電話回線も共通だったから、なかなかネットの世界を広げるのは難しかった。そういう環境だったので、ネットにはまず好奇心よりも警戒心を抱いていたし、まずプライバシーの価値を振りかざしているタイプだった。

でも彼によると違うらしい。自分の情報を公開し、シェアすることで、逆にいえばプライベートから抜け出すことで、自分自身を自分からも友人からももっと確かに定義することができ、その結果として新たな関係が作れる。それは作り出した自分ではなく。そして今は自分自身がメディアになれる時代。
そして彼が作ったのは、シェアしたい人たちとシェアしたい情報を簡単にシェアできるツールであって、それは同時にシェアする価値を高めるツール。
シェアするメリットを感じている人たちは増えている。
少なくとも私も感じている。



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