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ごみと一緒にお金もどぶに捨てていることに気づかない間抜けな人びと。


現在、首都・ワガドゥグにて語学研修中。
中間活動報告のために、プレゼンの準備をしたり、フランス語の基礎能力を高めるために、日本からは原発事故、ブルキナファソからは軍隊の武装蜂起について取り上げ、新聞記事などを読みながら議論をする。
昨日のアトリエクラスの議題は、ごみ問題。なにせうちのクラスは三人中、二人が環境教育などの職種で来ている。ただでさえブルキナファソの街や村の汚さには日本人であれば閉口するであろうごみの量だけれど、環境改善をミッションとしてブルキナに来ていれば、これをどうして無視できようか、というぐらいにどっちを見てもまず目につくぐらいにあふれているのがごみであり、ごみ問題。ブルキナ隊員のブログをちょっとぐらい見たことがあれば、ブルキナのごみとそれに大して隊員たちが感じているストレスはおおよそ、想像できると思う。

環境隊員のプレゼンが終わり、ごみ拾い活動などを行った隊員が抱える、ブルキナべたちの無理解や絶望感など、困難を共有したところで講師のブバ氏が、トーマス・サンカラ時代の話をする。曰く、トーマス・サンカラ時代にはごみを道端に捨てることに罰則があり、一つごみを捨てた人は、そのごみを捨てた通り一帯をきれいに掃除しなければならなかったらしい。だから安易に道端にごみを捨てる人はいなかったし、街も今よりもずっときれいだったと。
しかしトーマス・サンカラが失脚してからはシステムが変わり、ごみを捨てた人が掃除をするというルールが無くなって代わりに掃除税という税金を取るようになり、その掃除税で人を雇って街を掃除させているらしい。確かに、街には緑色のユニフォームを着て街のごみを拾っている人たちがいるが、あれは税金で雇われた人たちだったのか。ボランティアだと思っていた。税金で掃除をする人を雇うなんて発想がなかった。
講師の意見に従えば、またシステムをトーマス・サンカラの時代に戻して、ごみを捨てることに罰則を設けてやれば、街はきれいになる、と言いたいらしい。


この彼の意見には言いたいことがたくさんあるんだけれど、まず一つ目として、隊員活動の限界というものはやっぱり、ある。自分の活動報告の練習をした時にも言われたけれど、自分たちがいなくなった後に、果たしてここの人たちは手洗いやポンプ修理やごみの適切な処理を続けられるだろうか。ここに生まれてから何十年もいて、これからもずっとこの場所で、同じメンバーで過ごして行く人たちの行動を、たった2年間とか、何代か隊員を継続して入れて10年とか啓発活動をやっていく中で変えていくのは本当に難しい。場合によっては、不可能だ、と言いきってもいいかも知れない。全ての地域で全ての人に同じ啓発をすることは土台、不可能なわけだし、村落部をいくら回っていても、ブルキナべたちの中でできているヒエラルキー見たいなものを壊して、上で偉そうにふんぞり返っている人たちと下でもがいている人たちをつなぎ合わせていく作業をしていかなければ、ブルキナべたちみんなが、たった一つの目標でも共有して達成のために努力することはすごく難しいと思う。隊員活動の地道さを否定するわけではないけれど、隊員の要請がある割には、ブルキナ国としてはそういう方向に舵を切ってはいないのでは??と思わなくもない。そうすると、今やっていることに、数年後や数十年後に出てくるであろう結果の原因となることを求めるのは酷な気がする。人の行動を変えるためには、アプローチしていく方向が一方しかなくて、そこに留まらない。

もうひとつ思うのは、考え方の問題だけれど、罰を使って人にごみを捨てることを止めさせ、掃除させるという方法で確かに街はきれいだったんだろうけれど、果たしてそれでいいんだろうか?罰があるからやらない、罰があるから言うことを聞く、そういう動機づけの持たせ方では、人の心までは掃除して、人の心を変えるまでのことはできない。罰だから、ではなくて、自分たちの国だから自分たちできれいにしようという精神が私は欲しい。誰かに強制されたから掃除するなんて、そんなのはっきり言って空しい。掃除が楽しくならないし、きれいな街や家を見て嬉しくも思わないんじゃないかな。それは歴史を見て分かるように、事実、その罰が無くなったら人を抑えるものとか突き動かすものはもう何もないわけで、結局、今のブルキナファソのように、ごみがそこらじゅうに溢れているという状態というのにまたすぐに陥る可能性が低くないわけだ。ごみを捨ててはいけないというルールがあったから街がきれいに保たれていた、でもきれいにしておく理由や情熱がないままだったから、そのルールが無くなってしまえば今のブルキナべたちのように、ごみを道端に捨てる、税金を使ってそれを掃除するという全く矛盾した社会になってしまっているのではないのかな??ただ結果として、街がきれいであればいいという思想には、そういう欠陥があると思う。



しかし一方で、ブルキナべからも日本の主体性のなさを指摘されて、経済では世界で2位なのに、国際社会での存在感はずっと低い。もっとアフリカやアジアの国々と強固な関係を形成して、国際社会での存在感をはっきり示すべきだ、世界を引っ張っていく立場になるべきだ、アメリカを止めることができるのは日本だけなのだよと説得された。日本がアメリカの、半ば属国のようにアメリカの言うことに対しては「Yes」としか言わないことは、それを変えてもっと日本を真に独立国とするためにはこれから少し長い時間をかけて変えていかなければならないことはたくさんあるけれど、それ以外の部分でも確かに、日本はもっと主体性を持って国際社会を渡り歩かなければいけない、とは思う。言われっぱなしではなくて、こちらからも言うべきことはちゃんと言う。それぐらいの当り前のことができる国にしていきたい。

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