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これっぽっちの努力さえなくとも、それなりの生活が送れてしまう。


Taxiが優しいという人がいる。
Taxiドライバーに直接聞いたわけではないのでよく分からないけれど、4ヶ月間、日本人がTaxiを全く利用しなかったことが原因ではないか、という憶測が飛び交う。その説に私は根拠もなく疑問符の二つほども付けたくなるのだけれど。ただ、ボランティアやJICA関係者たちが、以前よりもTaxiに乗ることができ、ドライバーの愛想も良くなったと感じている様子。ちなみに私たちがTaxiを利用しなかった4ヶ月間というのはもちろん、日本に一時退避をしていた期間。

ところでワガドゥグの中心街からJICA事務所があるPetit Paris(プティ・パリ)まで、一人当たり300FCFA(フランセーファー)とか400FCFAぐらいまで払っても全然いいと思う。無理に200FCFAまで値切ることはない。1000FCFAとか、さすがに法外な値段を提示されたなら未だしも。 私がそういう哲学でいることについて周囲の人達は、「日本人は多少多めに払ってくれると思われるからやめてほしい」と言って嫌う人もちらほらいる。とは言っても私たちは現実問題として一般的なブルキナベよりも多くもらっているのだし、多少多く払うことには全然問題ないと思う。ノーブレス・オブリージュとまでいうつもりはないけれど、本当にセコくて嫌らしいのはどっちかわからなくなるじゃん。それぐらいの誇りは持っていておきたい。目の前にメーターが据え付けてあって、どんな場合でも値段が常に客観的に分かるのであれば多少高いと思っても納得するなんてさ、どうしてそんなに日本人はマニュアル主義で融通が利かないんだろうと思う。
私は一度帰国したときに、もっとブルキナべたちを甘やかしておけば良かったと思っている。自分たちのことばかり甘やかしてブルキナベたちにはストイックを強いるなんて、そういう態度をとっていてもあまりいい気分にはならない。



朝、マルシェに野菜を買いに行ったときのこと。相も変わらず、頼んでもいないのにこれも買え、あれも買えとうるさい。なにか一つ買えば、他のものも買ってくれるはずといわんばかりに私に群がって来るのだ。玉ねぎとキャベツと人参とニンニクを買ってビニール袋を下げていたら、隣にいた子供が「僕が持ってあげるよ」といって半ば、引ったくるように強く野菜がたくさん詰め込んである私のビニール袋を持って離さない。
他にもセロリやパセリやバナナを買ってから帰路につこうとしたとき、一瞬、私の野菜を抱えているはずの子供を見失った。物乞いの子供がトマトではなくご飯を食べたいとねだるので100FCFA硬貨一枚を渡して、そうしながら周囲を見渡すと、ちゃんと近くにその子が重そうなビニール袋を持って立っていた。ほっとした。もしかして、野菜を持って逃げられたかもしれないと一瞬、疑ったからだ。

その子どもと一緒に歩いて帰った。なにも会話がないのも悪いと思って子供になにか喋らせる。私の雪駄に興味を持ったようで、「僕のサンダルはぼろぼろ」といって右足に履いていたサンダルを私に示した。そのサンダルは擦り減って踵の部分が欠けていた。彼と一緒に私について来ていた彼の弟は可愛らしくこちらを見ては微笑んでいるが、素足でアスファルトの上を歩いている。
彼は饒舌ではなかったけれど、少しづつ話した。平日は学校まで毎日、長い時間をかけて歩いていること、失業しており、休みの日に彼は(丁度今回のように)マルシェでビニール袋を売って一ヶ月でおおよそ100FCFAの稼ぎになること、新しいサンダルを1000FCFAほど通うために自転車も欲しいということ。本当はノートなどの文房具もほしいし、弟だって学校に通わせたいこと、などなど。。。
「荷物を持つから、お金を頂戴」という子供は多い(大人も、かな)。この子供もそうだと一瞬で分かった。別に、自分が持つと言い張ったっていいけれど、子供に荷物を持ってもらった対価にお金を支払ったっていいのだ。私のそう思う哲学を、疎ましく思っているボランティアも居るみたいだけれど。


私が偽善的になる正当性は示せないと思う。というか、私一人偽善的になったところで世界は救われない。それでも書くと。私は時々想像するのだけれど、もし私がこの子と同じような状況に立たされたらどうするだろうか。
ビニール袋を持ってくれた彼の話には誇張も混じっているかも知れない。父親はちゃんと仕事をしているかも知れないし、わざと擦れたサンダルをはいているのかも知れない。でも私は思うのだけれど、マルシェでビニール袋を売らなくても難なくノートや鉛筆を手にすることができた私たちが、もっと学校に行って勉強したいと思っている子どもに「甘えている」と否定的にとらえることは正しいんだろうか??違いはただ、私たちは日本に生まれて、彼はブルキナファソに生まれた、と言うだけのことなのに。そんな私たちが、一体どの面下げて「支援だ、友好だ、協力だ」などと涼しい顔をして言えるのだろう。努力と結果は必ずしも比例しないという事実を体現している私たちが。

平気な顔して白い顔を晒してブルキナファソの街を闊歩できるというのは、なんて破廉恥なことだろうか。
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