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中立でいられることの辛辣さ



7月の午後6時はまだまだ明るい。この季節の、この時間の東の空は青い夕暮れが滲んでいる。海の上に浮かぶ深い緑におおわれた大地、そのうえに夕暮れ時独特の色合いを合わせた青と呼ぶには混ざりものが多い青。
そしてその中を金色の影を従えた雲が風に漂う。不思議なもので、同じようにこの時間もゆっくりと風に流されて過ぎて行く。その光景を船のシートからこうしてぼんやり眺めることができる時間というのは、私にとって至福の時だと思う。

ふと、かばんにカメラが入っているのを思い出した。そのカメラで、この空の写真を撮りたいと思った。この美しい空を小さな枠のなかに閉じこめてしまって、半永久的にこの空を取り出して眺め、称賛できるように。なんて一瞬考えて、だけどからだはシートから動かない。ただ流れていく時間に流されているだけ。

窓の向こうに視線をやったまま、続きを考える。これはきっと、最近少し、写真をとることに疲れてきたせいだろうと。
デジカメがあれば、迷うことなく写真が撮れる。躊躇することなんてない。いまや写真をとることのコストは小さい。いつ、どこでも、躊躇いなく何枚でも気軽に写真が撮れる。私もそういう一人だ。人、動物、風景に食べ物まで、なんでも撮る。その中に、空の写真も少なくない。もっときれいな写真になるようにと、設定を色々変えて撮る。そうして、微妙に違うおなじ風景の写真が何枚もできる。撮っているときにはそれで楽しい。だけとかで何度も見直している時に、段々と飽きてくる。写真を見ていても、なにも感じなくなってきてしまう。風景は確かに残っている。なのに、その中に、カメラをかまえたときには確かに感じていた思いとか繊細な色彩は、これっぽっちも詰まっていないことに気づかされる。

窓の外を 、眺めながら、自問を続ける。どんどんと、上陸の時間は近づいてくる。私は自分に答える。
’’だって結局、本当自分を胸のそこから感動させたあの空は、この小さな写真のなかにおさまることを拒否しているのだから’’
カメラの設定で微妙に色を変えることができてしまう。それはつまり、あの繊細で微妙なニュアンスを帯びた色合いはレンズやフィルターを通して写真になることはない。絶対に。そしてこのニュアンスが写りこまないように、私がその時に抱えていた感情も心情も写真には入っていない。写真を眺めていても、この繊細さと気持ちは抜け落ちてしまっていて、記憶されているのはただ、光だけだった。そういう事実にすこし、堪え難くなっている。


前は、空の写真というのは私に対して中立でいてくれるのが嬉しかった。安心していた。私のなかには踏み込んで来ずに、ただ柔らかく存在しているだけ、ということに喜んでいた。なのにいつの間にか、変わってしまった。一瞬一瞬の自分を確かに存在していると言ってくれ、私の考えや気持ちを尊重してくれることを求めてしまっているのかもしれない。そしてそう望むほどに、ズレてくるものがある。
私がなにを尋ねても返事はなく、優しく微笑むだけの写真があった。私の言葉や気持ちに答えるかのように刻々とその表情を変化させる空とも違ったけれど、私に優しくはいてくれていたはずなのに。


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