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「天皇を知らない保守言論人」




7月8日に参加した、ゴー宣道場のテーマは
「天皇を知らない保守言論人」。

ちなみにゴー宣道場というのは、
『おぼっちゃまくん』とか『ゴーマニズム宣言』で有名な
漫画家の小林よしのり氏が中心になって立ち上げた、
彼の言葉で言えば
「身を修め、現場で戦う覚悟を作る公論の場」
ということになっている。

私としては、自分の思想を組み立て直し、深め、
将来に向かう自分の指針を立て直すためのヒントが得られる場になればいいと思って参加した。
道場で話を聴く中で、もう一度自分を見つめ直し、一皮むけるためのヒントをここで得る。



道場が始まると、まず小林よしのりがしゃべり出す。
新しい歴史教科書を作る会に参加した時のことから話し始めた。
その当時には、保守の人たちで天皇に興味がある人は少なく、
しかしいつのまにか、保守と言えば天皇、ということになってしまっていたそう。
結局、例えば左翼に対抗するための手段としての天皇になっていたりして、
しかし肝心の、天皇を敬愛していると言いつつも、私たちにとって天皇とは何か、という
一番根本的な疑問に答えることをしない、今の保守言論人たち。
そういう不自然な状況を打開するために、皇室の継承問題などを語る前にまず、
天皇そのものが私たちにとってどういう存在であるのかを知り、
また子供たちに教えていかなければならない。
おおよそ、そういう趣旨のことをおっしゃられたと思う。

以下、師範方がそれぞれに持つ、自分と天皇の関係、
自分にとっての天皇というものを語り出した。
ここで師範方の言葉を羅列してもしょうがないので、
それを聴いて私が自分なりに、自分の経験に照らして捉えた
自分と天皇のことを書いて行こうと思う。
重要なキーワードを拾っていきながら。

まず、はっきり言って私はあまり歴史に興味がない。
正直に言って、今回の道場のテキストになっていた高森氏の
『日本の10大天皇』という本を読んでも、興味もわかないしほとんど理解もできない。
唯一昭和天皇の章だけ、かなり具体的にイメージしながら読むことができた。
そんな私だから、小学校から高校までで日本史を何度となく勉強してきて、
何人もの天皇の名前をその都度勉強してきたものだけれど、
結局それぞれの天皇がどういう役割を果たしてきたということは全く分かってないし、
今上天皇までのつながりをイメージできたこともなかった。
国旗とか国歌も同様で、いつも注目したり歌ったりはしてきたけれど、
君が代の意味も知識としては知っていたけれど、
やはりそれが他の何かと結びつくものではなかった。

そういうなかで今、強制的にでも国歌や国旗を尊重することを身につけさせれば
状況はよくなる、と言わんばかりの態度の人たちもいる。
橋下大阪府知事が条例を可決したのは、あれはまず「公務員として、国に雇われる身分のものとして」
守るべきルールがあるという常識が先行するわけだけれど、
ああいった類の条例で国家や天皇に対する敬愛が形成されるわけではないと思う。
むしろ師範方がおっしゃられたように、国旗や国歌を強制することで愛国心を育てようというのなら
左翼が批判している通りの、戦前のこわばりを持って、
暴力を使って恐怖心を覚えさせて国家に従う、ということになってしまう。

礼儀としての国旗・国歌は強制でもいいとしても、
では敬愛する対象としての国旗や国歌というものは、それらを天皇にまで結びつけて、
その感覚を養っていくにはどうすればいいのか?

それは「天皇だから敬愛するべき」というスタートを捨てて、
ちゃんと自分の肌で感じた天皇像を語っていくしかない。
だから例えば、小林よしのりが道場の中で、
目の前の子供に必死になって語って聴かせて理解してもらおうと努めたように。
あるいは高森氏が、昭和天皇が敗戦時に白村江の戦いの敗戦に思いをはせ、
今上天皇が中国訪問に際して遣唐使・遣隋使を偲んだことに感動すると告白したように。
あるいは今回の震災での天皇皇后両陛下の立ち居振る舞いを見て。
そして、何千年という歴史のなかで連綿と受け継がれてきた伝統を体現する方だということをしっかりと実感して。

今回の道場の中でも何度も、それから『ゴーマニズム宣言special 天皇論』の中でも何度も、
天皇は祭祀王だ、という言葉が飛び交った。
つまり天皇というのは、ずっと受け継がれてきた祭りを司り、
常にすべての日本国民のために祈っている存在だと説明している。
私はこれまで、知識としてそういうことを知ってはいたけれど、
やはりこれも実感するには至ってなかった。
でも、小林よしのりが小学生に力説する、天皇皇后両陛下が国民を想う気持ちの深さを聴き、
(私はその小学生のすぐ後ろにいたので、自分が小林よしのりに語りかけられているかのような気分で聴いていた。笑)
また高森氏が語った昭和天皇や今上天皇のエピソードから
天皇陛下が私たちの想像をはるかに、時間的にも空間的にも超えて様々なことに深く思いをはせているということを知ったときに、
天皇陛下がどれだけの想像力と慈愛を持っているかということを実感した気がする。
そして天皇陛下の隣に皇太子殿下もおられる。

協力隊が出発前に、皇太子殿下に謁見を許されて、お声をかけていただく機会があるということを
このブログでも少し紹介したけれど、
私はこのイベントが協力隊にとってどういう意義があるのか、自分でどう理解していいのかが分からなかった。
このイベントがあった後も、自分のなかで何も変わっていなかった。
だけど、皇太子殿下が、この自分には想像もできない偉大な伝統を受け継がれている方なのだと実感した今、
その皇太子殿下に励まされ、背中を押していただけるということの意味は変わった。
ただ、狭く日本の代表として認められたということではなく、
実際に時空を超えてすべての人に愛をそそぐことができる人に
「それでいいのです」
と私たちは言われたということ。

いままでずっと私は、私の行動の原動力はエゴだけだと思っていた。
自分のエゴだけが自分を正当化して、自分を突き動かしていくと。
今までも、これからも。
だけど、違った。
私たちの意思、言動の向こうに、みんなで望むべき未来が広がっていることを
保障されたような気持ちだ。
これでも上手く言えていなくて、まだもどかしいものがあるけれど、
大体そういうこと。
だから、これからまたブルキナに戻る日程が決まって、もう一度戻るときには、
自分のエゴだけではない、もっと大きなものに支えられて自分は活動できるということを喜んで、
自分にできる精一杯の活動をやってこよう。
そう思った。

それから蛇足だけれど、
他の隊次の人で、謁見の時にみんなで七三分けにして
「皇太子殿下の髪型、流行ってます。みんなでやってみました」
という人がいたんだけれど。
いろんな意味で、いいの?と聞きたくなる。そもそも、謁見のときにはこちらから話しかけてはいけない、と厳しく言われるんだけれど。
だけどこれに関しても、今回、道場で話を聞いていたら、これぐらいの親しみを持って皇室と接していくことが、皇室と自分たちの関係をはぐくみ、深めてくれるのかも知れない。そう思った。


他にももっともっと面白い話はあったけれど、
道場に参加した中でまず理解しておきたかったのはそういう点。
これから、今までよりももうちょっと注意深く、
皇室の方々がどういう人々なのか、観察してみよう。
その先に、もっとちゃんと自分の理解と言葉で語れる天皇があるはずだから。
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