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続・最近読んでいる本


昨日の続き。
『原発安全革命』テレビ番組、「たかじんのそこまで言って委員会」の原発に代わるエネルギー特集を見ていたら、安全な原発としてトリウム原発というのが提案されていた。その時に、政治評論家の三宅久之氏が、そのトリウム原発を紹介した本として挙げていた。同番組に出演していた古川和男氏の『平和のエネルギー トリウム原子力』という本も読んでみようと思ったが見つけられなかった。こちらの本はもう探さないかもしれない。というのも、そこにあるはずと思われた本棚に近づいたときにめまいのしそうなほど、ものすごく感覚的に物事をとらえる私にとっては背表紙を眺めているだけで頭痛の種になりそうな本が並ぶ。
この「原発安全革命」という本もまだ読んでいないけれど、パラパラとめくってみた感想として、重い。物理的に重い気がするし(それとも本当に重いのはこの本を前にした自分の気?)、それから字が最近の本にしては小さい。だから同じ大きさの新書と二つ並べて比べたとしても、このの本のほうが内容はたっぷりとしてそう。どれだけ専門書に近いかはまだ分からないけれど、新書になるくらいだから、あらかじめある程度の予備知識がなくても頑張れば読めるというレベルの本であって…ほしい。けれど、もしかしたら私の頭は子の本を理解することを拒否するかも知れない。できれば理解したいとは思うんだけれど。

『目立つ力』この本は逆に、字が大きい。そして字と字の隙間も大きい。さらに言えば、文章中に平仮名や片仮名が使われている頻度が高い気がする。最近、新聞の文字も若干大きくなり、紙面の文字数は確実に減っているという記事をどこかで読んだことがある。曖昧情報。この本も、ブログやツイッターの効用を極限まで高めるためのノウハウが書いてあるのだけれど、この本がそういった、文字は少し大きく、全体の文字数は少なく、軽い気持ちで読める軽い記事を求める現代日本の情報事情を象徴している気がする。私は人のブログを見ていてもよく、一体どうしてあんな隙間だらけの文章を書くのだろうと疑問に思うことがままある。私にとっては読みづらいばかりなんだけれど。ぽっかりと空いた行間にそんなにたくさんの詰め込むべきものがあるとも思えない、元の文章はものすごく短くて表面的である場合が多い。そんなもったいぶって書くほどの文章じゃい気がする。個人的にこの本に対しては、読む前からそういった意味で、距離を取っている本だと思う。自分もこうしてブログを書いている分際で。私はこの人のことを、経済の評論家としてだけテレビや雑誌で発言してればいいのに?と思ったりする。

『生物多様性のウソ』興味深い内容だけれど、ターゲットが中学生か高校生なのだろう、と思うぐらいに語り口が丁寧というか優しすぎる。こちらにしてみればはじめっから間合いを一つ開けられたような感覚で、いまいち上手く踏み込めず、内容が入ってきづらい。これも、もっと素直にこちらが感じた興味を吐露させてくれるような文章にしてくれればいいのに、と思う。
しかし環境問題などが本当に一般的にテレビなどで言われている類のものなのか?という素朴な疑問に裏付けを与えてくれる、この著者は自分で考えることを許してくれている、という感覚に近いものを感じる。誰かが利益を誘導するために環境問題を必死に吹聴しているのではないかと思われる空気の中で、「本当のことはよく分かりません」というのが今出せる結論。ちゃんと、そこからスタートしたい。
環境問題などを、まだ分りもしないのにあまりにもネガティブにとらえ、そしてそれを全面的に人間の所為にするのは、もしその仮定が全く見当外れだったとしたときにどう責任を取るつもりだろうか。例えば温暖化に伴う海面上昇の影響でツバルは海に沈みかけているというけれど、海面上昇は本当に温暖化の所為なのか?そもそも本当に温暖化しているのか?(寒冷化しているという説もある。なにしろ、気候変動会議がデータを改ざんしてたって話なんだから)この海面上昇や温暖化は本当に人間の活動のせいなのか?それとも人間が何もしなくてもツバルは海に沈みゆく運命だとしたら…?もしそうなったときに、どう責任を取るつもり?どうせすぐ忘れて、また別の人間批判やるんだろう。
津波で学校の校舎とたくさんの児童や教員が流されて亡くなった大川小学校は、本当に不幸な出来事だったと思う。少し前にニュースを見ていたら、その学校のニュースの続きで、子供を亡くした保護者たちの一部がヒステリックにも、「これは人災だ」と教員たちに詰め寄っている様子が流されていた。こういうのを見ると、魔女狩りという言葉を思い出す。どこにも行き場がない感情を抱えてしまっているということは本当にかわいそうだと思う。だけれど、それにしたって冷静にことの状況を整理して分析することよりも自分の感情を優先させ、人災だと言って誰かの中に責任を認めてそれを咎めようとしているのを見ると、中世のヨーロッパやアフリカの僻地の人びとの所業を簡単に「野蛮な文化」とは言えなくなる。日本でだってこうして、魔女は作られているのだから。

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