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この長い一週間の、今がまだプロローグだと気がついた、汗がじっとりとにじむ重い空気の中で。



4月19日夕方、同じアフリカとは思えない、海沿いの緑にあふれた街に降り立った。象牙海岸に流れ込む川を挟んで東西に広がる街、コトヌ。ブルキナの隣国であり、同じく仏語圏のベナン共和国の首都だ。

小さめの飛行機のコクピットから、今通ったばかりの滑走路が少し見える。その通路を左に曲がれば、再び明るい太陽の下。5歩目を踏み込んだ瞬間に浴びる太陽光のシャワーと、湿気で重くなった空気が全身にまとわりつく。飛行機で1時間半飛べば、もうこんなにも別世界にやってくる。
思いがけない、ベナンでの30時間の滞在。JICAベナン事務所が手配してくれた車であわただしく事務所、そしてドミトリーへと移動する。ここで荷物を肩から下ろした瞬間に一同(全部で12人)は落ち着き、状況を整理して納得し、一応の心の平穏を取り戻す時間を得た。何しろ突然の国外退去、知らされてから24時間で出国をし、無理矢理に手配した日本までの複雑なフライトスケジュールや帰国後の手続きの調整などに追われ、その間中、緊張感は消えなかった。コトヌで一日過ごし、家族やブルキナにまだ残っている隊員と連絡を取ってお互いの安否を確認し、落ち着いて食事を取って体の汗を流して眠る。そういう時間のなかで、やっと自分たちとブルキナの、またブルキナにまだ残っているほかの隊員たちとの距離感を測り、これから自分たちがどうなっていくのかを考えることができた。その間も次々と大使館から送られてくる安全情報はいち早くチェックした。銃撃はひとまず、落ち着いているみたいだった。そして他の隊員のフライトの予定も次々に決まっていく。東京のJICA事務所で会うことが出来そうだと話した。緊張感は消えない。だけれど、昨日から張り詰めっぱなしの糸を緩め、少し冷静に事態を把握することは出来るようになっていた。
次の日の夕方、再びコトヌ空港に向け出発。ここで、別便でコトヌに着いたばかりの10人と合流し、パリへ向かう便への搭乗手続きをする。ブルキナ隊は全部で90人近くいたから、他にもまだ60人以上は残っているはず。そして合流したときに判明したのだが、後から来たこの10人がパリでは数時間の滞在で済まし、われわれよりも一足先に日本へ出発すると言う。一方の私たちは、パリに今度は20時間近く滞在の予定。そしてその間、パリ市内への移動は禁止された。e-チケットを渡されたときには誰も気付かなかったが、日本へ帰るのにまる4日、(また別の事情で)家に帰るまでにはまる一週間を、ワガを飛び立った瞬間から数えて要する。どっちつかずの落ち着かない状況が、まだもう暫くは続きそうだ。
真夜中近く、冷房が効いていない待合室で搭乗を待つ。飛行機の出発は遅れそうだ。コトヌに居たたった30時間の間に両腕に、また汗疹ができてしまった。こんなに温度が高くて湿気もあるのは、乾燥したブルキナでずっと過ごしていた私たちには少し酷だった。23時半コトヌ発、エールフランス便を待ちながら。

(続く)
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