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日本のストイシズム




フランスの雑誌で震災報道を見ていたとき、日本のメディアを研究しているフランスメディアもいくつかあった。日本のメディアの文章をそのままフランス語に訳した文章を載せているものもあったし、いろんな雑誌の表紙を載せている雑誌もあった。日本のメディアの温度感を冷静に分析している雑誌もあって、そういうのを読む中で気になったキーワード『頑張って』…日本のストイシズムと『やくざ』…人助けをするマフィアの二つが目立っている気がする。やくざのほうは、阪神大震災のときにもそういうのがあったらしく、日本でも話題になったと思うし、私自身はあまり驚かない。むしろフランスのネットラジオを聴いてると、ものすごく細かくやくざの組の名前まで言っていて、そこまで言って分かる人はどれだけいるんだろうか…いや以外とフランス人は分かるのかも?(何しろ日本マニアとか多いし…)なんて思ってみたりしたけれど、もっと興味を引かれたのは海外メディアによる『頑張って』の考察だ。
私は日本人が頑張って、と言っているのを聞いてもなんとも思わないが、海外の人にしてみればこういうところから日本人の特徴というか国民性を分析してしまうのだと、かなり興味深い。「可愛い」という言葉がフランス語には置き換えられる言葉がなく、そのままフランス語になっているという話は最近知ったのだけれど、「頑張って」というのもフランス語にならないんだろう。増してや、その使い方。日本でも、英語を勉強する際にそのあたりの感覚の違いを知ることになると思うけれど、フランス語も英語と同様に、例えばテスト前とかには「幸運を(bonne chance)!」だとか、最終的には全てを決めて動かしている全知全能の神に祈るような言葉を投げかける。日本人にしてみればぶっきらぼうで、ここまで努力してきたのに最後には神頼みか運頼みか、適切に日本語に置き換えるならば「後は野となれ山となれ」が最もふさわしいのではないかとさえ思われる台詞だ。一方、同様のシーンで日本人は「頑張って」という。結果は本人の努力次第だと思っているから、とストレートに理解しても間違いじゃないと思う。努力すれば報われるというか、少なくとも本人の努力が結果に影響する割合は大きいと思う。
だから、テストの直前という種の危機でもない今、日本全体で「頑張ろう」だとかそういうコピーが目立つことに、ヨーロッパ人が向ける不思議色に染まったまなざしというのは、雑誌を読んでみると実感する。そして私はそれを、けっこう深い日本人分析だと思う。最近は「すでに頑張っている人に『頑張って』と声をかけるのは酷だから」と、英語やフランス語の感覚を真似た声のかけ方をする人が多いと思う。「うまくいくといいね」とか。私もよくやる。そういう中で、でもやっぱり今回の震災のような極限状態になったときに、「頑張って」「頑張ろう」というコピーが目立ってくるところ、あるいはおなじみの応援ソングたちが流れてくるところは、やっぱりちょっと海外を気取ってみたって日本人はそう変わってないものだなぁと言うか、英語やフランス語の感覚を真似た声かけの浅はかさみたいなものを感じる気がする。理屈をこねくり回したところで、みたいな。
一番最初に知ったのは、震災直後に帰国した隊員からのメールを見たとき、今日本に「頑張ろう」とかそういうコピーがあふれていると書いてあった。そういうところがなんとなく、日本っぽいなぁとか思いながら読んだ。そのちょっと後にネットでニュースを見たりしていると、実際にネットの広告でもそういうコピーがあふれているのをよく見かけた。自分だって誰かと言い合ったり、自分に言い聞かせたりとよく使う言葉ではあるけれど、こういうふうにあふれているのを見るとまた不思議な感じがする。声を大にして「頑張ろう」と声を掛け合う社会というのにはどうも、うまく入っていく自信みたいなものが持てず、ちょっと引いて身構えてしまう。
海外のメディアが日本のそういう、「頑張ろう」と声を掛け合う状況を取り上げているのを見て、私の中で少し感覚が変わった。「日本のストイシズム(stoïcisme)」と紹介されているのを読んでまず変わったのは、ストイシズム、とかストイックという言葉のイメージ。はっきりとつかんでいる言葉でもなかったけれど、私の中で日本語に訳すとすれば「我慢」だった。よくよく考えればつながらなくもないけれど、頑張る、とか努力するという言葉が変化した「頑張ろう」という言葉とイメージが重なることはなかった。そこの部分を海外の人の分析にまかせてみたなら、日本独特のストイシズムというのが確かに浮かび上がってくる。ただ頑張る、あるいは努力する、というのではなくて、お互いに頑張ろうと声を掛け合うことで作り出すストイシズム。声を掛け合って励ましあうことで、一人で努力するよりも多く努力できる。一人ではくじけそうなときでも救われると思っているし、乗り越えられるとも考える。そういう連帯感。
この海外から見る「日本のストイシズム」考察を読んで、今まで思っても見なかったけれど、私の中で今回の「頑張ろう」というコピーがあふれているのと、戦時中に日本国民が「欲しがりません、勝つまでは」と声を掛け合った状況というのがダブって見えた。戦時中のこのコピーにも納得がいったというか。どっちも本当に日本人らしい発想でできてることとか、戦時中からそんなに変わってないんだなって言うことも、実感した。ただシンプルに人数が多ければその分、足し算でトータルの力が大きくなるとか言うのではなく。西日本やブルキナにまで蔓延する自粛ムードにも同じような要素がある。誰かが頑張っているとき、苦しんでいるときには、その周辺にいる人もその苦しみを共有することで、それを自分たちが更なる高みに踏み出すためのキャパシティにできる。苦しみを共有することで強くなれる。そういう不思議な能力を持った民族なのかも知れない、日本人というのは。
辞書で調べると、『ストイシズム:禁欲主義』と出ている。間違ってはいないけれど、やっぱり「頑張ろう」とは重ならない。何かが違う。我慢とか頑張るって言うのとは同義じゃない。だからやっぱり「日本の」ストイシズムってよばなきゃ駄目だな。でも確かに、ストイシズムではある。欲を抑えることで強くなれると思っているのだから。
ニヒリズムであふれているようで、実は今でもみんなで一緒に努力すれば何だってできる、どんな困難でも乗り越えられると思っているのが日本人だなのかもしれない。
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 新聞で見たけど、ブルキナで14日に、軍の反乱と、市民のデモが起こったと載っていたけど、大丈夫か?どうゆう按配?

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