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八百長夕食会


人が作ったご飯を食べるときの気まずさと言ったら、ないと思う。それも、何人かで卓を囲っているとき。(作った人と)二人だけか、自分ひとりで食べるならまだいい。そこまで気まずくもない。と思う。

だけど、誰かがご飯を作ってくれて、それを何人かで食べると言ったときの気まずさ、でももしかしたら気まずさと言うのは私だけが感じているのかも知れない。

作ってもらったご飯を最初の一口、ほおばった瞬間に
「うまい!」
って、絶対それ、味わってないだろー!!

この居心地の悪さを感じるようになったのはブルキナに来てからなんだけれど、隊員のためのドミトリーに泊まっているときに、誰かがご飯を作ってくれる。私もなんとなく、それにあずかる。そうすると―私の経験上、饒舌な人から―あからさまなお世辞が飛び出す。次々と、それに続く人々が現れる。「おいしい」以外の声が聞こえなくなる。
最初はその居心地の悪さが、あからさまなお世辞のせいだと思っていた。自分がおいしくないだとか、その場の空気に反する発言をすることをあからさまに拒む雰囲気と言うのが鼻につくんだと思っていた。だけど、どうもそうじゃないらしい。確かなバランスは分からないので、多分その自分のフラストレーションのこともあるけれど、またそれとは違うものも感じている。

味わう前から結論を決めてかかって「うまい!」と叫ぶ人がなぜ嫌なのか、すこし分かってきた。彼らがそう叫ぶことで、それ以外の感想を封じてしまうと言うことがつまり私にとってはまた、味わうことを封じられてしまうと言うことなのだと分かった。もうその一言が出ると感じ取った瞬間から、何を口に運んでも、もうその味が分からず、おいしいもまずいも何もなくなって、気まずい雰囲気だけが重くおなかを満たしていく。

最近の判断基準として、「うまい」「おいしい」しか出てこないのはうそをついているからだと思う。本当に味わっていたなら、その料理のどんなところが好きとかどうしたらもっとよくなるとか、考えてしゃべると思う。それに基本的に、無理してなきゃ普段は口走らない言葉だ。その口調とかにもよると思うけれど。ただ大げさすぎる社交辞令は嫌でしょうがない。


私は本当においしいものが食べたいの!そのためにも、しっかりと味わいたいの!!
そしてそのためには、ドライにお金で買える関係のほうが楽しめる。

この前、ワガで同期隊員と3人で中華を食べに行った。メニューの中で、春巻きがどれか分からなかったので、適当にサラダとチャーハンとえびのチリソースを頼んだ。それはブルキナ料理とは全く違う味付け、食感で、刺激的ではあったけれど、そこまで言うほどおいしくなかった。5000フラン払って、もう来ないかなーという感じ。
で、お店を出てちょっと歩いたところにあった、焼肉のサンドイッチ300フランを買って、かじりながらタクシーに乗る。そのサンドイッチだっておいしいとまで言う自信はないけれど、5000フラン払っておいしくないと思うよりもずっとまともだ。私はそういう感覚で生きている。雑な味付けでもね。無駄に気取ったりしてなくて、好きになれるんだよ。
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コメント

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美味い!ってすぐ口走ってしまう同期隊員ですが(ごめんね)、
この前シノアのとこで食べたパインより、
まさに切ってもらったパインは美味しかった!

良く冷えてたし、やっぱりあの切り方が食欲をそそった!
一方で食べるの勿体ない感があるくらいに綺麗やった 笑
あのときのシノアはそんなに美味しく無かったんだねぇ。
そうか、そうだったのか。

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