スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

またまた教員のための研修、今回は衛生啓発


2月はじめ、PROGEAによる、教師たちのための衛生啓発研修があった。ゾルゴじゅうの先生たち、全部で209人を集めて。

で、その研修に「参加しませんか」という話が来たとき、正直迷った。バイクがある今、村に行きたい気持ちを抑えて、二日間も研修に参加する意味があるのか?と、しばらく考えた。というのも、その研修で紹介される衛生啓発手法はすでに村ではアニメーターを育成して導入されていて、私もそれをすでに見ていて、仮に私がそれを使えるようになったとしても、つたないフランス語ですでに導入されているものと全く同じ方法でアニメーションをする意味があるか?と考えたら、私の出した結論としては「No」。だから手法でどんな啓発をしているか分かっていれば私はそれでいいと思っているし、私はその手法で足りない点とかを補っていくような形で啓発をしていくとイメージしている。

けど、それでも迷った末に参加することにした。ゾルゴ中の教師たちが集まるなら、そこに顔をだすメリットは大きいと思った。というのも、教師は必ずフランス語が話せる。だから、同僚Aは「モレ語が話せないのに、一人で行ってどうやってコミュニケーションをとるの?」というけれど、前にも書いたような葛藤が同僚Aと村に行けば起こる。その点、教師たちと知り合いになっておけば、教師たちと行動して、通訳を頼むこともできるかなぁと。尊敬を集める存在だし、ある程度の影響力もあると思う。
そういうことを考えると、二日間でよっぽどがんばっても6,7つの村しか回れない、その一方でそれぞれの村の学校から先生たちが一同に会する研修が街中であって、コネがつくれるかも。ということで、研修に参加してきた。


集まった先生たちを見て、「やっぱ先生ってお金があるんだなぁ」とポツリと思った。お金があるっていっても、村人と比べてってだけだけど。市役所の会議室であったAUEを集めた研修なんか、市役所の庭の木の陰は自転車の束で埋まっていたけれど、先生たちを集めれば木陰に集っているのはバイクの山。やっぱり公務員って、うちの農業省県局の職員もそうだけれど、バイクがあるってだけである程度の安定した収入があるっていう証明、ステータスになっている気がする。
フランス語が話せて(教育を受けていて)、安定した収入がある。この国の中のことで、相対的なものでもあるけれど、それがけっこうすごいことなんだと思うようになった。フランス語圏で、公用語はフランス語ってことになっていても、ちょこっとしかフランス語が話せない人、読み書きできない人、アルファベットは分かるけれどフランス語の読み書きはできない人たちなんかも多くいて…いろいろと、かみ合ってないと思うことは多い。もともとの言語があるのは分かるし、そっちの言葉のほうを使いたがる気持ちもこっちで半年過ごして、少し分かってきた。だけど、あなたたちの公用文書は全部、フランス語で書いてあるんだよ、って大声を張り上げたくなるようなときも少し、ある。そういう割り切れなさと言うか、中途半端な気持ちって言うのを感じてたりするんだろうか。それとも、私が日本人で、常に日本語を書いたり読んだりすることが当たり前だからそう思うんだろうか。



研修の話に戻ると、今回の研修の様子を村人にアニメーションしている場面と比べてもしょうがないんだけれど、二日間見ていて思ったのは、やっぱり先生たちって頭がいいってこと。知識という意味でもそうだけれど、考え方とか考えが及ぶ範囲というものが村人とは違い、研究する目で見ている部分と言うのはあった気がするし、手法の使い方について議論をしているシーンなんかに出くわすと、一見どっちでもいいようですごく哲学的な話をしているなぁとか思って眺めてみたり…
一年前に東京で行われた普及法研修で、ある手法のデモンストレーションをやったときに「あなたたちは村人役をするには頭がよすぎる」と言われたのを思い出した。村人の考え方を自分の頭で再現することは難しい。
先生たちも、今回の研修で言っているような「トイレを使いましょう」だとか「手を洗いましょう」というのは他の村人たちと違い、そんなの常識、というレベルだろうと勝手に期待している。ただ、そういう教育を受けていて、ごみはごみ箱にって分かっている人たち(農業省県局職員)たちも、ごみ箱がないところでは平気でごみをどこにともなく放り投げてしまっているのを見ていると、頭で分かってても癖として染み付いてないから、抵抗なくできてしまうんだろうなぁと思う。
それと、ついでに言ってしまえばお金がないって言い訳もよくされる。だけど、たとえば本当に石鹸も買って使えないくらいに貧乏している人って言うのはいないと思う。少なくとも大半の人は買える。要するに体のいい言い訳にされてしまっているんだと感じているわけで、その大切さと言うのはただただ説けば言いということではなく、どれだけ生活の中身と相対化させて、優先順位を上げていくかという形に近いんじゃないかなぁと思う。
スポンサーサイト

| そば屋さんちのふろふき大根 ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://karehausagi.blog38.fc2.com/tb.php/397-2857e716
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザーのみ)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。