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望んでいる形が不自然なのが今は悲しい



日々、いろんなことを考えているはずだ。
ただ、その中で言語化する作業を怠っているだけ、ならどれだけいいかと考える。
最近はおよそ思考の言語化からは程遠い、反射的に笑って見るだけの映像作品を見ていたせいで、のうが反射神経ばかり鍛えて、深く考えたり覚えていることが前よりも難しかったりする。本を読んでいても、短い文章しか残らないし、作るよりは捨てるほうが早い。

二日続けてか、それとも二度寝したその2回ともなのか自分でも分からなくなってしまったけれど、同じ様な、というか同じキーワードに支配された夢を見た。
夢というものほど不思議なものもあまりなく、何が不思議といって、意識の元でその不思議さを探ろうとしたとてその曖昧さ、主観の入り込みやすさ、そして大げさな遠近法のようにたちまち見えるものと見えないものに分類され、実際には何時間もその世界に浸って様々なものを見たはずだったのではないかと感じていたものが、一瞬でひとつのシーン、キーワードに集約されてしまうのだから。
結局、自分の無意識が勝手に夢の出来事や登場人物を「重要」「どうでもいい」の二つにカテゴライズし、「重要」と書かれたダンボールの中にあるものが最後には2,3あるいはひとつになるまでに分別を続けてしまうのだから、自分でできる夢占いの本やホームページを使って自分で夢判断をするときほどアテにならないものもない。本やホームページを開くまでもなく、無意識が勝手に答えを決めてかかってしまっているんだから。そしてもう一点挙げておけば、気まぐれな無意識は、同じ夢でもそのときの気分しだいで出す答えを毎回変えてしまう、ように思う。

そこまで頭で考えていても、いつまでもその最後まで残ったキーワードに、次の日一日が引っ張られ、支配されて浮かない気分で過ごしてしまったのは、結局のところ意識が無意識と迎合しているからに他ならず、いわば意識の側にしてみれば、そのことについて考える理由付けを得たわけで、私が浮くと沈むとにかかわらず、望んでいることは否定できない事実だ。それは認める。
そしてここまで考えてしまえば、たとえばフロイドの著作を紐解くまでもなく、夢を用いて自分で自分を診断することの浅はかさというものを感じる。


ところでマラリア予防薬には悪夢を見るという副作用が出ることがある、と説明される。そういわれてしまえば、予防薬を飲んで見た夢は果たして自分が見たものなのか予防薬が見せたものなのかという疑問もわいてくるわけで、なおさら夢診断をすることはばかげているのでは、と思わされる。意味深なキーワードの出所が果たして根拠のあるものなのかただのガセネタなのか、なおさら分からなくなるというもの。友達(女の子)は、赴任してからしばらくして事務所の人に「太ったわねぇ!」と言われる悪夢を見たらしく。私は薬を飲んでいながら、そういう類の夢を見ないなと思っていたところ、とうとう先日、悪夢を見てしまった。それももうほとんど忘れてしまって、二度寝したときに二つ、悪夢を見たと思っていたけれど、そのうちのひとつももうすっかり忘れてしまって、残ったのは「親知らず」。
まだ抜いていない左の上の親知らず。それがどうしようもなく痛んで、歯医者に行って抜いてもらうことになった(した、とは決して言わない)。麻酔も打たずに抜くことになり、最後まで小学生のように、いやだ痛いと泣きわめきながらも抵抗むなしく親知らずを持っていかれ、痛みを感じながらも、こぶし大はあろうかという大きな親知らずを眺めているという…この上なく怖い夢だった。
この夢にて証明されたことは、果たして夢の中でその世界が夢かどうか疑ったとき、ほっぺたをつねって確かめるというのは全く意味のない行為だということ。結局、覚めれば夢、覚めなければ現実でしかないんだと思う。夢も、覚めるまでは、そう信じていれば現実だということ。

ちなみに私は、左の上の親知らずはもう一生、抜かないと決めている。口内炎になるほうが耐えられるから。
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