スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

家族集団の価値について補足~『経済発展の政治経済学』より~


前回書いた、結婚は誰のものか、家族の価値は??という議論の続き。
一次産業では、労働力としては鍬が振れればそれでよかった。誰でもできる単純労働で、問題はその規模だった。一方で三次産業になると労働の種類や質が多様化して、その価値が個人主義、能力主義的になった。個人の違いが際立つようになり、また個人として認識し、される割合が高まった。
で、その社会の構造変化の中で結婚において重要視される価値も変化していった、というのが私論。

で、一方こっちは偉い学者が書いた、根拠のある話。

参照した本:
『経済発展の政治経済学 地域・制度・歴史からのアプローチ』
R.グラボウスキー+S.セルフ+M.P.シールズ…著
山本一已+坂井秀吉+堀金由美+粕谷裕子…訳


この本の第4章、サハラ以南アフリカの中で家族集団が形成される理由について言及してあるのだけれど、核家族との違いとして親族を援助する義務の大きさの違いを挙げている。つまり、家族集団を形成し、その中で誰かが病気になった、誰かが死んだ、などの理由で大金がいるとなったときに、その集団のなかでお互いに助けあい、お金を出し合う。あるいは学校に通う時にも、学費を家族集団全体で負担する。もちろん自分がお金を出す立場になることもたくさんあるし、みんなに学費を負担してもらって学校に行ったなら、就職したのちに働いて稼いだお金は家族集団みんなのものってことになる。
それからもうひとつ、気候に依存した産業に従事しているから、不作の作物もあったりする。だから家族集団内では別々の作物を作って、集団内であっちの作物は今年だめだったけれど、こっちの作物はよく出来たからトータルでみんな食べれるね、という風に気候にすべてを支配されないようにしている。
そうやって、いわゆる保険制度みたいなものを家族集団でつくって、家族同士でリスクコントロールをやっている。それが、3次産業が発達した社会では金融や保険制度も市場を通して提供されるので、家族集団の必要性が無くなってくる。そうやって、核家族が中心になっていく。

なかなかこれが、家族ってよく出来てると思う。リスクコントロールの役割もあったというのはすごく興味深い。その分、現代の私たちにしてみれば家族という関係にはしがらみが多い、ということになるんだろうけれど。
もっと他の視点で見れば、なにか役割があるのかもしれないね。


ここまで考えたときに、私の中に湧いてくる疑問がまだある。
「どうして結婚にこだわるのか??」

結局、社会に承認され、祝福されなければ人間って不安なものなんだろうか??
個人主義、自由主義の世の中になって、結婚が承認されなくったって自分が好きならいいじゃん、関係ないじゃんってならないのはなんでだろう??
人間とか社会とか、一体なんなんだろう。

スポンサーサイト

| そば屋さんちのふろふき大根 ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://karehausagi.blog38.fc2.com/tb.php/289-246c40fd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザーのみ)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。