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小学生への苦悩。


また、ものすごい勢いで悩み始めてしまった…
明日の小学校交流会の話…ブルキナと協力隊の話を小学二年生たちに、10分の持ち時間で紹介するんだけれど。


私は協力隊としての仕事、水道の維持管理の内容と必要性を紹介するために、クイズで
「ブルキナでは五歳までに死んでしまう子どもが100人に何人くらいいるでしょう」
というのを考えてたら、同じチームの人たち、特に看護士の人に思いっきり反対された。曰く、「小学2年生に”死ぬ”と言う言葉は影響が強すぎる」んだって。

私は小学2年生が”死ぬ”という現実があることを受け止めるには早すぎたりはしないと思ってて、寧ろ世界の現実や協力隊の意義を暗に示すためにも意図的に入れた。それに、ずっとそんなヘヴィな話をするつもりでもなかったから、大丈夫かなと思ってた。


だけど、ずっと考えてみて、助産師の人や小学校の先生に聞いて見たら、小学2年生に死ぬと言う言葉は早いかも…ということ。で、もっと柔らかい表現、例えば”生きられない”と言う言葉を使って、さらに求められたなら「熱がでて苦しいときがあるでしょう、それがずっと続いてね…」というふうに話してはどうかと。
成る程、さすがに小学校の先生は小さい子どもたちとずっと関わってきて、よく知ってると思った。


しかし、待てよ。「死ぬ」と「生きられない」という、この二つの言葉の違いはなんなのだ??結局、同じ現象を指していて、言葉を変えても何も変わらないのでは??(ここに関しては看護士も同じ意見らしい。哲学よりも現実を見ていた人なんだからだろう。)
これに関して、別の先生は言う。
「子どもたちはもしかしたら、死ぬと言う言葉自体を理解しないかも知れない。が、それでも死に対する穢れの感覚はあり、まず『気持ち悪い』と受け取るのではないか。」
「気持ち悪い」と受け取られたら、やっぱり意味がない気がする。多分、死ぬと生きられないの違いはここかも知れない。



子どもの死生観を考えるときに参考になるかもしれないと思っていた『ポネット』も『禁じられた遊び』も、この辺のことを考えると日本人を研究する際には思ったほどは当てはまらないのかもしれない。

で結局、小学生に「生きられない(死ぬ)」という言葉はどう影響するのか??答えは出ずに、担任の先生にゆだねることにした。



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