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探しに行こうよ


22年度になる前に。不渡りになる前に清算しておきたいことがある。



群馬の研修の中で何度か、どうして自分が今ここにいて、何処へ向かおうとしているのかを考え直し、考えさせられる機会があった。それは人に聞かれたから話した、というきっかけではあったけれど。
実際には自分自身で確かめなおし、あるいは暗示をかけてるって意味合いも小さくなかったかもしれない。
なんにせよ、その自分の道を、ここで一度整理しておくことにした。



思い出したのは高校のときまで。何でって、聞かれたのが「高校の時は何してたの?どうしてそこから経済学部を選んだの?」って聞かれたから。それ以前のことは聞かれなかった。だから考えてない。
はっきり言って、高校のときなんて何にも考えてなかった。高校受験のときから、「どこか選べ」って言われたから志望校を決めたし、なにか目標らしいものなんかなんにもなかった。その程度のこと。
そんな自分がなんで大学では経済をやろうとおもったのかというと、高校のときの社会の先生が授業中に「経済をやってりゃくいっぱぐれない」って言ってたから。ものすごく低レベルな動機に加えて、ものすごく低レベルな目標。どこのサラリーマンを経験してたんだか、と皮肉の一つも言いたくなるような。
ただ、さすがに大学はいいところにいきたいって思ってた。受験には失敗したけど。
とにかく経済学は、大した意味があって選んだものじゃあなかった。



そうやって静岡大学人文学部経済学科に入って、経済はほとんど勉強せずに過ごしてた。心理学が面白いからと言っては社会学科の授業によく遊びに言ってた。心理学以外もラテン語とか、そのころも本当に興味だけに走って生きてた。ただ最低、心理学を極めて臨床心理士になったところで仕事はなさそう、という感覚だけは持ってて。あとは、サークルも周りの人たちにあわせて頑張るのがつらくて一年でやめた。マイペースで自由に楽しむのが自分にあってるって実感してからは、別のサークルに入ろうなんて考えたくもなかった。
そうやってわりと引きこもりがちに、どこまでもマイペースに大学生活を送ってたけど、自分の価値観を変えた授業はあった。多分、大学4年間で一番好きな授業だった。内容も教授もあのテンポも自虐ギャグもよかったし、毎回ちゃんと出てお菓子を食べながら聞いてた。知る人ぞ知る、伊藤先生の「政治学」って名前の講義だった。
お菓子を食べながら笑いながら聞いてたけれど、その中でこの世界のいびつな構造を知った。自分の住んでいる見ている世界と、地球の実質の回転の間にあるズレ。それを垣間見て、考え方や視点は確実に変わった。だからって、自分の生活が変わりはしないけどね。相変わらずバイトしてお菓子食べて遊び歩いてた。



そうこうしている内に、なんにも考えずに過ごしていられる時間も残り少なくなった。
私が将来の自分と対話を始めたのは、就職活動がきっかけだった。それは、葛藤だらけの日々。結局、人生で一番つらい時期だったんじゃないのかなって思う。これ以降、もっとつらいことがあるのかは分からないけど。

企業にセミナーだとか説明会だとか面接に行くたびに問われ続けたのは、「私のやりたい仕事ってなに??」ってこと。私は前述のとおり、生まれてこの方やりたいことなんてなかった。増して生業としてなんて。
どうにか要領よくやっていこうとすればするほど突きつけられる疑問で、いつまでも答えは出なかった。
自己分析ややりたい仕事なんて、もっと軽く受け止めてたら良かったのに、と今になって思う。

周囲との相対化(あるいは競争)のなかで自分を見る目は今までと変わったし、自分の持つ資格も含めて、自分と周囲の人とが持つ「自分像」のズレを埋めることも出来なくて、ずっと悩みっぱなしだった。結局答えは出ないまま、周囲との溝を埋めるハウトゥーだけはなんとか見つけて、一つぐらいは内定ももらった。


だけど「本当に自分がやりたいこと」って言葉に踊らされて、いい会社だったけど行かなかった。今になれば、本当に惜しいことをしたと思う。リ○ナビその他にだまされた。と、一言言い訳。


そのころ、自分のやりたいこと(仕事とは言わない)の一つの結論として、NGOに就職だ!って思い始めた。
だけど、NGO就職セミナーやなんかで日本のNGOの現実を知ったね。新卒はほとんど採らない、大部分の人が無給、有給の正社員だって給料が少なすぎて3年持つ人なんていやしない。
そんなトコにさ、まだ若いんだしお金ないんだし行きたくないじゃん。
で、周囲の人たちの影響もあって協力隊を受けることにした。




同じころ、卒業論文にも追われ始めた。

間違いなく政治学の授業や就職活動中に考えたことの影響がここに出てて、それまで3年間はEUだとか国際通貨だとかやんや言ってたのが、突然「飢餓だ!!」なんて言い出すものだから、周りも面食らってた。しかも最初に考えたのはそのタイトルもずばり、『日本人は何人殺している計算になるか』というセンセーショナルなものだった。平たく言えば、日本人が過剰に食べたり、捨てたりしている分の食料が何人分のものになっているのかというのを計算したかった。さすがに、教授の反対にあってしまったんだけれど。それに、しょせん研究は私には合わない。

ただ少なくとも、この感覚が私の「国際協力」という分野に踏み出す原動力になった。それが微妙な問題だけれども、ここに、周りの人たちとのズレが出来てしまう。
私は別に、誰かの笑顔だとか幸せだとか、アフリカが好きだとか子どもの笑顔がキラキラしてるとか、そんなことを考えたことはないしこれからも多分考えない。そういう物言いをしているのを聞くと、はっきり言って虫唾が走る。寧ろ私は、日本人も含めた先進国の側の人間がどれだけ下劣なことをやることで豊かな生活を実現しているかを明らかにし、それを修正したいと思ってる。
どこかで、世界は救われないと言うニヒリズムを私は持っている。


言い換えると、私が目指すのは「国際協力」なんて甘ったるい言葉じゃない。
私の原動力はあくまでも「世界の歪み」。
どこまで行っても自分のエゴで動く。だから「国際協力」とか「貧しい人を救いたい」とか、全く思ってない。この世界のあからさまな不公平と、その仕組みが揺るがないように設計されているシステム。これをぶち壊してやりたい。


そんなことを考えながら、だけれどその時は自分の考えを文章などの形にすることが出来ず、論文もぐずぐずのまま、とりあえず卒業するだけはした。
一時期は論文のことを考えるのも嫌で、教授の所へも顔を出さず、年始になってようやく立ち上がって教授の研究室のドアを叩くと「お前は卒業できないかもしれない」と言われ、泣きながら、もうダメだと言いながら、それでもなんとかはいつくばってでも文字をひねり出して、なんとか卒業することは出来た。時に平成21年2月ごろ。

NGOに就職を夢見ていたときに、NGOインターンの人から紹介された、国際開発プランニングコンテスト(idpc)があったのもこのころ。3日間の日程で最終日が2月18日、私の誕生日だったのでよく覚えてる。

ぼんやりとなんとなく考えていた、開発の道。同年代で同じような目標や考えを持つ人たちに出会い、触れ合ったのは初めてで、あらゆる意味で新鮮だった。多少の年齢の幅があって、大学一年生から社会人までが一同に介して、同じテーマにそれぞれの専門とルーツからアプローチして話し合いを重ねる。その中で自分の視点や考えに今まで以上に大きな幅が出てきたと思う。具体的にイメージできることのインパクトは大きかった。


私が協力隊に応募するきっかけになったり、それを後押ししてくれたのは、おおよそ以上のような出来事たち。だから自分にとって協力隊は出発点。まだまだ勉強の段階。


そしてここまでで、ひとまずの清算はおしまい。
明日からまた、新しいシーズンが始まる。


自分が求めている世界はどんなもので、そのためには何が必要で、自分に出来ることはなに??

探しに行こうよ。


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