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拾いの美学


これからものすごく楽しみにしている番組、「EURO24」。

NHK教育のフランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語の4つの番組が互いにコンセプトを共有して、ヨーロッパという視点から出発して4カ国の魅力にアプローチしながら、毎週4ヶ国語で同じフレーズを勉強していくというスタイル。

こういうのが欲しかったから、この番組、4ヶ国語全てを毎回チェックしたい。研修とアフリカ行きでほとんど見れそうにもないんだけど…第一週だけでも見ておきたいと思う。

今まではフランス語とドイツ語を一緒に見たとしても、一週目にどちらも自己紹介をして、ここまではいいんだけれど、
次の週ではコーヒーが先かトイレが先か、みたいなズレがあって、なかなか勉強しづらかったんだけど、今回はそういうこともなさそう!!


EU統合や共通通貨ユーロの導入もあって、今とこれからはもっとヨーロッパとしての魅力が高まっていくと思う。
(ついでに円高もあるしね。)
だから、今のタイミングでこういう企画があるのは妥当なのかも知れない。個人的には、もう少し早くても良かった気がする。数年前には既に、フランス語とスペイン語とイタリア語を同時に勉強する本とか出てたしね。




ヨーロッパと言えば最近、

『河童が覗いたヨーロッパ』(妹尾 河童 著、新潮文庫)

という本を人に借りて読んでるんだけど、
共通の文化ベースを持ちながらもあらゆるところでそれぞれの地域の特徴が表れているのが具に拾われていて面白い。

その中でも特に興味深かったのが、『窓の大きさ』について細かく比べているページ。
ヨーロッパではアムステルダムの窓が一番大きく、それより北に行っても南に行っても窓が小さくなっている!!
それは文化だとか対外関係とは関係ないところに原因を持っていて、平たく言えば自然環境と向き合う中で決まっていったもの。同じ文化圏の中にいながら、環境によって家が変わり、哲学が変わり、(表面的な)態度が変わる。それがすごく面白いと思う。





逆に、と言っていいのだろうか。
友人に勧められて読んでみた

『日本辺境論』(内田 樹 著、新潮新書)、

が面白くない。


日本人を分析する上での一つのキーワードとして、確かに「辺境」はあると思う。
著者の言うように、その事実に卑屈にならずに、むしろ堂々と辺境人として生きればいいと思う。そのことは、間違ってないと思う。

気に入らなかったのはその第一章、日本人が辺境人であるということを説明している部分が、あまりにも押し付けがましかったこと。あまりにも辺境人を押し付けすぎてて、無理矢理っぽい。あそこまで押し切られると、「本当にそうなのか??」と逆に疑問を持ちたくなる。日本人はどう転んでも辺境人にしかなり得ないんだ、ぐらいの強迫した文面に、気分が悪くなる。

日本や日本人を語る際、辺境以外にも、日本を語る上でのキーワードはあるはず。ヨーロッパ各国の特徴に、その気候風土が色濃く出ていたように。


はっきり言うと。
その一つに、縄文が挙げられると思う。

昔の、社会の教科書には縄文時代を貧しい時代だったとか書いてあったり、マンガ日本の歴史とかはもっと悲惨に表現してあるけれど、
日本の古代、縄文時代は実はもっと豊かな暮らしをしていた!!と言うのが最近の研究の成果。

豊かな自然に囲まれて食べるものにはこと欠かず、集落での生活もかなり文化的だったとか。あの縄文土器がその証拠、なんだって。確かにあれはアートだ。
何しろ、大陸から伝わった稲作を受け入れるまでに一千年以上の時間を費やしてるんだとか。稲作をやって、わざわざ食料を生産する必然がなかったんだね。

そして日本人がそういう豊かな自然と向き合って長い時間を過ごしてきたという事実、そこから育まれた精神とか文化とかがあるはず。私たちにまで受け継がれているものがあるはず。
ヨーロッパにだって西から東まで、南から北まであるように。





そして、日本の精神と印度の精神に共通するものを炙り出している人がいる。「拾いの美学」と表現する人。

私にも印度への憧れがある。死ぬまでに、一度は行って見たいと思ってる。特にダージリンは、仏教の聖地でもあり、お茶の聖地でもあり。その名前を聞くだけで拝みたくなるような、乾杯したくなるような。

だから印度に行ったことがあるという人の話を聞くと、本当に羨ましくなる。私は本物のガンジス川さえテレビでしか見たことがない。

だけど、行ったことがある人たちが話してくれるものに、バラモンはない。印度の哲学まで語ってくれる人はいない。
ヨーロッパの話なら、多少はヨーロッパ人がもつ哲学がどんなふうに彼らの生活の表面に出てきてるかを話すことはあるけれど、印度はない。世界最高峰の哲学を持つ国なのに。カーストの表面的なものしか見てないんだと思う、多分。それは何故か??インドの表面だけを見る人にはついていけない世界だからかも知れない。高すぎて深すぎて。


だけど、大学院で印度の哲学を学んだ人は一味違う。

印度のカースト(身分)で一番上のバラモン(祭祀を司る人)と言えば、高校世界史なんかではそのほかの印度人を苛め抜いた、ものすごく悪い人、のイメージしかないのは私だけ??
そんな私の持つバラモン像を180゜ひっくり返してくれたどころか、人生の哲学をもひっくり返されそうにさえなった人と、その著書

『「拾いの美学」 インドに学ぶ』(木村 昭平 著、日本地域社会研究所)。


本来の(?)バラモンの生き方は、生涯是苦行。苦に生きて苦に死ぬ。

そんなバラモンの最高の生き方は、拾って生きる。一番初めの生きる原点、拾う、あるいは自然に身を任せるという行為を貫くことこそが哲学であり宗教だったのだろう。。。
ちなみに、ものをせびると地獄に行き、耕す(働く)行為は最低の生き方なんだとか。これは間違いなく、私たちには理解もできなければ実践なんてとんでもないという哲学。

しかし自分たちの何千年(!)も前の祖先を眺めれば、拾って生きるを実践していた。しかもそれを、1万年も続けていた!!ある種、私たちのための哲学ともいえるかも知れない。


ちなみに本の中では、どうして今は日本(や中国や韓国)で捨てる文化が浸透しているかということも解説してある。最初から最後まで、ものすごく興味深い内容だった。そして確かに、今は拾う哲学を見直す時期かも知れない。


拾うというと、悪いイメージが付きまとうかもしれない。最近のニュースとかで時々見かける、いわゆる「ごみ屋敷」。拾い続けた末に出来たものだ。
あれなんかのイメージが強烈だし、あれがなくても拾うという行為に対するイメージはあまりよくないかも知れない。
だけど、ごみを集め続けた人たちは(私たちにしてみれば)以外にも、ものすごく環境意識が強い。捨てまくり、垂れ流しの私たちの生活にささやかながら意義を唱える。



案外、根本的な「生きる」というところから考え直すほうが、近道なのかもしれない。

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