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18日の日記 我侭を通した夜


18日 日記


これを二日遅れで20日の朝に書いているのはつらい。
今までにも日記を遅れて書く事は少しぐらいあったとおもうけれども、ここまで思い出せなかったことはないんじゃないんだろうか。
その理由は、他にもいくつかあるのかも知れないけど、なによりいつもよりも刺激が多い毎日なこと。知らない街に来て、知らない人たちと共同生活をして、新しい知識を朝から晩まで詰め込まれて…古いことを覚えておく暇もない。
印象的な出来事と言うのはたいてい覚えているものだけど、ここでの生活では印象的な出来事ばかりで、すぐに埋もれていってしまう。だからこれからも、早く書かねば、早く書かねば。


ところで個人的な出来事だけど、集団生活の中で一番廻りにあわせづらいのは、「キッチンで」かも知れない。朝は様子を見ようとして失敗したと思う。女の子二人とやったわけだけど、だから自分にもすごく遠慮があって、女の子ならもっとしっかりしてるものだと思い込みもあってそれなりのものはできるだろうと。
そんなことなかった。ちゃんと入り込まないと、どんどん置いてかれて「なに突っ立ってるの??」みたいな状況にすぐなる。朝はそんな感じで、あまり強く主張しなかったら、味噌汁なんか、テキトーなものができてた気がする。一発で「こりゃヤバイ」と思った。
要するに私の場合、モチベーションは「自分が美味しいものを食べたい」(すくなくともここでは)。人になんと思われようと、まずいものを食べたくない。よく考えたらそれで、妹を泣かせたりしてるわけだけど。
そんなこんなで夜は、まずい鍋なんか絶対に嫌だと思って、一番にキッチンに行って準備を始めて、鍋の素も最初に作って、完全に主導権を握ってやった(笑)美味しいものもできた気がするし、「誰の味付け??」って言ってるのも聞こえたし、キッチンでの欲求不満がたまらなくってよかった。
次から何を作るかがまた、課題なんだけど。


18日の講義・実習内容は以下の通り。


   「JICAの水分野における協力と水の防衛隊について」
   「アフリカ村落給水の現状」
   「ポンプ実習」
   「アフリカの村落給水事例」
   「戦後日本における生活改善運動」



この日はJICAの専門員と職員、つまり現場に何度も入って調査や活動を繰り広げた人たちが話をしてくれた。
ただし最初に書いておきたいのは、みんな温度差があるということ。どの講師もとても丁寧に、貴重な話をしてくれるし、相談にも乗ってくれる。そういう意味ではみんな言い人たちだ。だけど、協力隊として活動する人がどこまで知っておくべきか、どこまでできる必要があるかについては考えが違うみたいで、JICAの人たちが帰ったあとで「あそこまでのものはいらない」と寺子屋所長はぼやいていた。それは今の研修生(つまり私たち)を見込んでいるというサインでもあるらしいんだけど、私の意識を若干、揺らがせたのは間違いない。つまり、やっぱりここで聞く話もある程度は冷めた目線で見ておかなくちゃ、疑っておかなくちゃ、と。




   「JICAの水分野における協力と水の防衛隊について」
最初の講義では、世界の水事情と日本が水分野での協力に力を入れるに至った経緯、そして最近始まった『水の防衛隊』という協力隊隊員の役割および位置づけについて話を聞いた。
要は、水がないことで多くの人たちが苦しんでいますよ、それは貧困の再生産にも繋がっているから、どうにかしなきゃいけないんですよ、と言うこと。
で、日本としては、アフリカ開発会議(TICAD)で行動計画も決めたし、総理大臣も演説をしたことだし、もっと水の問題に焦点を当てた活動をやっていきましょう、てこと。それで、その専門家(というほどでもないけど)として水の防衛隊(W-SAT)ってのが作られた。

貧困国の5歳未満児の病気や死亡の8割に水の問題があるといわれても、ぱっと聞いただけでは怪しい。本当に8割なのか、何処までを貧困国とするのか、水に関わると言う言い方も、一体どれくらい関わったらそこにカウントしているのか…ま、そんな枝葉はおいておいて、貧困国で安全な水にアクセスできないと言うのがどれだけ開発の足を引っ張っているかと言うのが大体イメージできればOKだ。私としては、井戸から遠くに住んでいる子どもの就学率が低い、というデータの方がショッキングだった。
で、MDGsの中にも水のことは書かれているし、日本は水問題に力を入れていきましょうということを、2008年のアフリカ開発会議(TICAD)Ⅳで再確認した。水の防衛隊は、ここから始まった。貧困国で安全な水の確保と維持管理、供給を目的としている。
それから、具体的にどのようにしてその活動を繰り広げていくかと言う大雑把なビジョンも説明された。

この話を聞いたあとで、自分が何を思ったかあまり覚えてない。そこまで水の防衛隊と言うのを意識していたわけではなかったので、全体像を積極的にはつかもうとしなかったし、だから細かい話を覚えている印象がある。けれど今、資料を見直して、自分がこれからどのような理念で何をすることを期待されてここに連れてこられたか、多少は理解が深まったと思う。
今更だけど、もうちょっと意義を知ってから聞けばよかったと思う。つかみ所を先に知っておかなきゃいけなかった。


「アフリカ村落給水の現状」
アフリカの給水率や水源の話を聞いたあとで、多く使われている井戸の概要を写真で見るなどした。水が十分でなく、安全性と言う面でももっと多くの改善が必要だと言うことだった。
湖や川、水溜りの水を使っている人たちが今でも少なくないというところにまず問題がある。だから井戸(や、水道)を整備することが大事になってくるんだけど、どうもその稼働率がよくない。その原因は、井戸ができて時間がたつにつれて整備をしなくなるということが一番。最近のものはコミュニティで維持していくことを前提に作られているらしいけれど、村の維持体制がうまく廻っていかないのが現状。みんなのものとして作られるので、「わざわざ自分がやることはない、自分がやるのは損」という意識があるんだろう。共有地の悲劇というやつで。ここを改善することがまず重要だということはわかった。
それから、井戸を触ることが生業(あるいは商売)として成立しないのもある程度の問題があるみたい。難しい課題だと思う。

☆かずさ掘り


   「ポンプ実習」
はっきり言って井戸やポンプに興味はない。遊び程度に分解して組み立てる練習して、ともっと実物に触ることができたらもっと楽しんだかもしれない。ほとんどは眺めているだけだったので、見ていて面白かったけど、そこまで身についたとは思わない。挙句の果てに専門員が帰ったあとで「あれをやることは絶対無い」とか言われちゃうし。

   「アフリカの村落給水事例」
これも目立った発見はなく、特にブルキナファソについては、いろんな種類のポンプがあるというぐらいのものだった。これは今後、HPで赴任国の情報を自分で調べたほうがよさそうだと思った。



   「戦後日本における生活改善運動」
日本も貧困国だった。そこからどうやって、今の豊かな生活にたどり着いたか。それは決して、奇跡じゃない。ちゃんと理由がある。当時、日本の生活を何とかよくしようと努力した人たちが大勢いる。今回はそのなかでも、家庭から貧困の脱却を試みた「改善さん」の話を聞いた。

昔は実際、今のアフリカで流行ってるような病気が日本にもあったし、井戸に水を汲みに来た人たちがながーい列を作ったりもしてた。そのときに改善さんがやったのは、大規模な公共事業で経済を上向かせようとか、そういう話じゃない。数字には出てこないけれど、声は聞こえないけど

そんな改善さんのキーワードは「改善」。これをさいきん、カタカナで「カイゼン」って書く人がいるけど(寺子屋所長もそうだけど)、全く意味が分からない。余談でした。


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