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世界征服を目指す。


もしも(今の仕事を辞めて暫くは不自由無く暮らせるだけの)お金と時間が十分にあったなら、

「どうする?」

と言う話をした。


少し前の週末のこと。
土曜の夜に友人と集まって、色々と話した中の一つが、そんな話だった。

ちょっと前の私なら、私もきっと、ヨーロッパに遊びに行くとか、住むんだとか言っていたと思う。
でも今は、時間とお金があったら「ヨーロッパ」とは簡単に言えない自分が居る。

ヨーロッパは目下、私の目標ではなくなった。
自分の為の時間はヨーロッパやその他の海外には無くなった。


まだ小学生か中学生の時に、ある漫画の中にあった台詞。
「夏休みは世界征服の夢の為にある。」
私にも、この台詞の意味が分かるようになって来た。

私も、世界征服を目指さなきゃ行けない。まわりのみんながそうしているように。

自信が無い。これでいいのか分からない。ちっぽけな自分に出来るか分からない。
現に今、こんな小さなことで躓いている。
目の前のことさえも投げ出してしまいそう。

だから、そんな状態で大きな声では言えないかもしれない。
でも、「私も世界征服を目指す」。

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人はいつ、どうやって奴隷になるか。


この3連休は色々なことを考えた。
3連休って書いたけれど、主に土曜日と日曜日。
特に土曜日。

私は将来にほとんどビジョンを描かないけれど、
自分が持つべき正義については考える。
自分を飾る言葉は特に持とうとしないけれど(自分らしさが言葉に縛られるのも嫌だし)、
自分の理想と思う世界の形については常々、修飾語を与えなきゃと思っている。


今日、家の近くのココイチに行って、漫画を読んだ。
カレー一杯で2時間強居て、ずっと漫画読んでるって一体、
ここを何の店だ!って店員はみんな思ったかもしれないけれど、
漫画おいている方が悪い。
私はそれ目的で今度から、通うことにしよう。
これからの週末はココイチで読書だ。


で、途中までで止まっていたストーリーの続きを読み始めた。
正直な話、みんなが読んでるからって理由で読み始め、
なんだかんだ言って私としてはギャグ漫画として楽しんでいた、
「ワンピース」という作品で今日初めて、
あ、この台詞いいな、好きだなと言うのに出会った。


一度話をそらすけれど、私は最近漫画なんて全然読まなくて、
前からそんなに読む方じゃないけれど、今は流行っているどの漫画のストーリーも知らない。
ストーリーを聞いても興味も湧かない。
漫画だけではなく、割と色んなものに対する興味が薄れて来ていると思う。

もう一つ話をそらしておくと、
みんなの間で流行っているもの、は好きではない。
という言い方をするのは誤解を招く。
漫画や、何にしろ大事なのは内容で、面白いかどうかで。
私が嫌いと思うのは、みんなが「それを好き」つまり「それを支持する」、
その考え方、哲学、思想を支持する、共感を覚える、というレベルになった時。
もっと典型的なのが、facebookで時々流れて来る、
「いいと思ったらシェア」みたいなヤツ。
完全に、マジョリティを形成して「主流はこの考え方だぞ、
こう思わなければいけないぞ」と価値観の押しつけをして来る。
漫画もただの面白い、面白くないだけの基準で流行ればいいものを、
流行っている漫画の価値観が押し付けがましく世間に触れ込まれるようになれば
私の反発を買うだけだ。
私が反発しようが世の中は関係ないと思うかもしれないけれど、
簡単に付和雷同してマジョリティの価値観を自分のものに簡単にできる日本人は、
こういう価値観の押し付けに対して弱く、いとも簡単に作られたマジョリティの側に付き、
思想なくマイノリティの迫害に動く。


・・・とここまで書いて、二つ目の話をそらしておくと、の積もりが
全く話それていないことに気付いてしまった。
私が今のところ、唯一好きになったワンピースの台詞、それは
「おれたちが敵か見方か・・・そんなの、お前が決めろ」
みたいな台詞。
メモとかした訳じゃないから、若干曖昧でごめん。

ワンピースは多分、今の日本でかなり影響力がある漫画だろう。
しかしここの台詞の部分は、ちゃんと伝わっているのだろうか??
よく読めば、この漫画は気を使って描かれているけれど
日本や世界を鏡のように映し出していて、現実離れしたフィクションではない。
魚人島編も、ヘイトスピーチする日本人たちとかぶるなぁ。
さっきの台詞も、日本人全員が胸を痛めなければいけない一言だと思う。


誰が敵で味方で、何が間違っていて正しいことなのか、
その答えを人に求めちゃいけないってことだ。
人の提出する答えに対して、無条件に受け入れてはいけない。
結論だけ人から得て、分かった気になっていては危ない。
どうやってその結論にたどり着いたのか、それが自分にとっても受け入れられる過程を経ているのか。
判断する基準を自分自身の中に持っている必要があると言うこと。

思うに、自分自身で悩むことの中にこそ、正義が潜むのではないだろうか。
結論ではなく、考える過程に正義がある。
人に聞けばとりあえずの答えは得られる。しかしそれが本当に正しい答えなのかどうか?
自分自身に検証する術が無くてはいけない。
それに、そもそも人に結論を尋ねてはいけない。グーグルにも聞いてはいけない。
人に答えを求めることは、死ぬことと同義だ。ロボットになると言うことだ。

考え、悩み続けることでしか正義は実現できない。
人に答えを求めたなら、そのときから私たちは自らを奴隷と規定することになる。


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