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平和、暴力って何だろうか。


引き続き、『書くことが思いつかない人のための文章教室』近藤勝重著、幻冬社新書より。

今日の課題は…

p.23 問 井上ひさしさんは、『平和を守る』と言う表現を、
     現代にも通じるように、どのような言葉に置き換えたでしょう。
     (だいたいこんな意味の問題)

私の答:『いじめない、いじめられない』

実査に井上ひさしさんがどのような言葉を使ったかは…本を読んでください。
別に宣伝してる訳じゃないけれど…文章かけるようになりたい人は、
色んな意味で勉強になると思うよ。


この問題はテキストの中の最初の方にある訳だけれど、
テキストは文章が上達することを目的にしている為か、この問が提起する問題を全く扱っていない。
私がこの部分を読んで素直に思ったことを書いていこう。

この『平和を守る』という言葉について、井上ひさし氏は「使い古されている」というが、果たしてそうだろうか。私の考えによれば「否」、昨日(10月14日)の経験からも分かった。
問題は『平和』という概念について、   吟味と理解および想像力がないままの状態で、ていのいい記号として使い続けている点である。平和と言う言葉のイメージや響きばかりに頼った上で共通概念と認めて各々が使い、その実全く違った意味、あるいは全く意味のないままで、「平和」という器だけがそこにあるという状態。
この言葉を改めて全体の中で定義しなければいけないと言う点は正しいが、その際に、皆が本当に井上ひさし氏の定義で納得するか?という問題がある。
井上ひさし氏の定義が浮き彫りにするのは、今の世代にとってはその儚さ、あるいは暴力という言葉の薄ら寒さとでも言うか。
つまり、「戦争と平和」はそれぞれ対をなす概念ではないと言うことである。
この事実を井上ひさし氏が訴えようとしていたとは思えないが…

また、ありがちな批判だが、「普通の人々の日々の〜」とは、いつ、どこ、だれのことを基準にしているのか。現代日本においてさえ、その基準を決めることは難しいし、具体的に定義したとたんに、隣り合って暮らす人々の一方が平和で一方が平和でない、という状態が出来上がってしまう。


「平和」という状態が、(井上ひさし氏の定義する「平和」を当てはめたなら)どれほど成立が難しい状態か、そしてまた実際に身近に平和が成立していない状態、成立させる為にかなりの困難が伴うであろうことが予想されて、簡単に「平和を守る」とも言えなくなってしまう。



平和って何だろうか…暴力って何だろうか。
イメージで語っていても、ただの絵に描いたお花畑でしかないな、と昨日思った。
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岸部一徳を描写する&子どものころ、母は病弱だった


今日のテキスト:
書くことが思いつかない人のための文章教室』近藤勝重著、幻冬舎新書



p.48 問題 岸部一徳を、細部にこだわって描写しなさい。

私の答:
岸部は平凡な男だった。彼の見た目に、これと言って特徴はない。
少し広くなった額の上に、右から七三に分けた髪には白髪が交じり、
丁寧に揃えられた黒髪の合間を、白髪も漂うように流れている。
こんな髪型をしたサラリーマンはこの日本にゴマンと居る。
彼の太い眉、黒々とした瞳、しわが深くなり、目立つようになった隈。
一文字に結ばれた唇。
そして真っ白でぱりっとアイロンの効いたワイシャツに至るまで、
この世界にありふれたものだ。
彼がこの顔、服装のままで今すぐJR新橋駅に到着したばかりの
満員電車から降りてきたとて、誰も彼に目を留めはしないだろう。
彼はきっと、夕暮れの柔らかな光やその中を一心不乱に走っては止まる
山手線のグリーンの電車よりも遥かに有能な背景として機能するに違いない。


こんなもんでしょうか。如何??
ちなみに、本には筆者による模範解答、あるいは著者が選んだ学生の優秀作品が紹介されています。



p.56  問題 「子どものころ、母は病弱だった。」この分の続きを書きなさい。

私の答:
子どものころ、母は病弱だった。
隙間風が常々吹き抜ける湿った部屋に布団を敷き、母はいつも布団の上でコホコホやっていた。
他に何も覚えていない。床に臥せった母が咳をする音だけが脳内で何度も繰り返される。
母の顔を覆うしなやかな黒髪のため、表情も分からないままだ。
おかげで父はいつも忙しそうだった。朝早く起きて米を炊き、洗濯をし、朝食の準備をして母に薬を飲ませると、私たちを幼稚園に連れて行き、そのまま小学校から徒歩五分の場所にある工場に働きに出る。昼は家に戻って母の食事と薬の世話をしていたはずだ。
夕方、日が暮れてから幼稚園に私たちを迎えに来、それから夕食の支度、風呂を沸かして食後に母の体を拭く。父も母も寡黙だったように思うのは私だけだろうか。幼かった私たち兄妹は、せめて父の邪魔にならぬよう、廊下の隅で幼稚園ごっこや小学生ごっこをしてあそんだ。家族ごっこをする勇気は私にも妹にもなかった。
今、母が咳をする音が家に響かないという事実を私は、安心の材料と受け止めてよいのだろうか。少なくとも父は今でも、寡黙である。


この問題、問題文からして今の母がどういう状態なのか、がまず浮かんだ課題だった。
昔に病弱で、今(10年後、20年後)には健康な母というイメージが自分の中で浮かばず、
それも自分がかなり小さい時に亡くなってしまった母の様子を回顧する、という内容になった。
模範解答(学生の優秀作品)と比べると、私の文章は量で力押ししているような気になる。
短い文章で伝えるのは、私には出来ないように思う。
それと、時代劇の見過ぎ、って感じの内容になっている(笑)
慌てて、家で傘張りの内職をする父、という描写をやめて工場と言う事にしたけれど、
今の子どもたちが読んでもイメージ膨らまないだろうなぁ。。。




みんなも暇つぶしにパズルを解くような感覚で、ちょっと挑戦してみたら??

ディケイドの本当のテーマ


引き続き、宇野常寛氏の「リトル・ピープルの時代」という本を読んでいる。

リトル・ピープル的存在のヒーローとして、平成の時代にその真価を発揮し、
市場のニーズに合わせて現代の比喩として説得力を持つように、
次々と斬新なヒーロー像を描き出してきた平成仮面ライダー。
この本でその意味を再点検される平成ライダーたちの、それぞれが持っていた変身の定義と正義・悪の描写についても、やっと仮面ライダー ディケイドの検証部分を読んだ。

仮面ライダーに興味を持ち始めた時に、たまたま見たその時のテレビシリーズがこの「ディケイド」だった。

しかし見たのが最終回だけで、悪役が仮面ライダーにやられて
「私は世界一迷惑な人になるんだー」という捨て台詞を吐いて爆死した為に、
私はストーリーも何も知らずに
「ヒーローものの悪役って、子ども向け番組とはいえこんなに適当でいいのか??」
と思い、じゃあどんなヒーローだったら倒されてしかるべきだろうか、と考えたりした。


このディケイドという仮面ライダーが、他の仮面ライダーの世界を行き来しているのはうすうす知っていたけれど、
それがどんな目的で、あるいはディケイドという作品のテーマは何なのか?という事を知らなかった為にこういう全く的外れな考察を延々とはじめてしまった訳で、

でもこれで確信した。間違いない。あれはディケイドだった。
というのも、その悪役が倒れた後で、別の仮面ライダーが出てきて、ディケイドに向かって
「お前は悪役だ」
と言って目の前に立ちはだかり、そこで最終回が終わっていたから。

話がこれで終わっていないなと言うのはそれで分かった。
もっと別な話が、やられた悪役とは別に進行していたっぽいのも何となく分かっていた。



内容的にもこの仮面ライダーの話は一番面白そうだ。
ただ、平成仮面ライダーって子ども番組とは思えないくらいに深いテーマを見事なくらいに鮮やかに描き出してしまっている作品だと言うことが分かって、
果たして自分が見ても理解できるとは思えない。
そもそも、ディケイドを理解する為にはやっぱり平成ライダーを一通り見るべきだろう。
と思うと、絶対無理だ。時間がなさ過ぎる。飽きずに見る自信がない。
自分がそこまで時代の変化に敏感だとも思えないし。


一方で、昔の仮面ライダーが、昔見ていた世代以外にもある程度の認知を得ているのも、
この作品の功績はある程度ありそうだ。


続きをまたこれから、読もう。
そろそろ、最近の話に近づいてきたなぁ。

うつ病で悩むとはどういうことか。


土曜日に遊びに行ったAIDS文化フォーラムin京都で、
「医療現場で役立つカウンセリングの実践例」
という講座を聞いてみた。

講師は、日本心理療法協会代表理事の椎名雄一氏。



会場で知り合った、薬剤師の方が勧めてくれた講座で、私はどの講座を受けようということも全く考えていなかったので、タイトルの中身さえも吟味することなくオウム返しして、
「じゃあそれ受ける」
という、いつもながらのこのいい加減な流れ。



この講座の中で、「AIDS」とか「HIV」の単語は全く出てこない。
先生は「自分がはうつ病だった」と言って、うつの人の話を自分の実体験について話していた。
たぶん、AIDSの告知とかに役立ててくださいという講座なんだろうな。と思った。

一番最初のテーマは「ラポールをとる」ことだったけれど、
最初の10分ほど遅れていったために「ラポール」の意味が分からず、文脈から「こういうことかな?」
と考えていた。
私の理解からざっくり言って「信頼関係を得る、患者が話しやすい環境を作る」という意味。
「ラポール形成」とかで検索したら、いろんなサイトが出てくるので、もっとちゃんと知りたい人は
ご自身で検索されたし。


私は人とうまく話もできないし、誰かのためにカウンセリングするかどうかも疑問だし、
医療的な意味でというのもまず、ない気がする。
でもこの講座が、私のコミュニケーション能力の向上に役立ってくれればいいなと思うが。。。
でも講座の目的はコミュニケーション能力の向上じゃないか。

まぁとにかく、カウンセラーたちがよくぶつかる壁が、
「相手(患者?)をうまく導けなかった」
と言うものらしく、椎名さん曰く「自分と相手を分割して考えている。これでは相手が心を開いて話してくれる事はない」そうだ。特にうつ病のひと、あるいは悩みを人に相談したい人は、という事になるだろう。
悩みを抱える人の信頼を得る事は、ただセオリーを押し付ければいいというわけではないそうだ。

私も、基本的に相手の話を聞けないからなぁ。。。
聞いている振りをするのは得意なのに、真剣なまなざししてその実、右から左にすぎて行くだけだし。。。いけないのは知っているんだけれど。




医療現場の現実については私はあまりピンとこないし、それが今後も自分に役立つかはわからないけれど、
実際にうつ病の友人もいたりと、結構身近な病気だ。
少なくとも普通の人にとっては、AIDSよりも身近な病気だろう。
(あ、AIDSにかかったという事実のためにうつ病に陥る人も多いということでこの講座なのかな?)
しかし身近な分、今のうつ病は複雑さが増してきている様子。
いろんなタイプのうつ病が出てきたり、低年齢化していたり、
対処法も迷走している感じがする。
講師の先生の話を聞いていても、カウンセラーがカウンセリングをせずに病状ばかりを話題にし、それが患者をより憂鬱にさせている現状など話してくれた。
うつ病コミュニティーに入ってお互いの悩みを打ち明け合ったところで、マイナスの効果にしかならないらしい。




この講座の中で特に面白かったのは、うつ病の人と存在意義の話。
うつ病の人は、自分が存在する意味、理由を探しているんだそうだ。私の理解を言葉にすると、そう言う事。
落ち込んで悩んでいるように見えるのは、つまりどうして自分は生まれてきたのか、自分が生きている意味は何処に、あるいは何をする事によって見いだせるのか、などといったことをひたすら悩んでいる。

この場合、その答えを直接求める事ももちろんやっていいけれど、それ以前に、個人が優先するべきものとして、自分が存在するという事実を大事にすることを教えてやればいいんだそうだ。
要するに、人間は能力や立場ではなく、存在するだけで意味があるんだよと。

この話を聞くと、うつ病が現代に多い病だなと思えてくる。悩む病気ってことは、
目標を定めるのに苦労している病気ということは、そういうことだよ。
つまり、現代のどこに向かっていけばいいのか、何を目指して成長していけばいいのかとか、そういうことを必死で探している時代の病気ということで、
ちょっと前の科学信仰の時代、あるいは成長神話の時代には目標があれば全く悩むことないよね。


なるほど。だから価値観があまりにも多様化している現代はうつ病が多いのか。
じゃあ私も今、うつ病かもしれない。毎日毎日落ち込んでいるわけではないけれど、なやんでるしなぁ。

国民的アイドルって??


ちょっと前に、年配の人と話していた時に、その人がAKBの話を持ち出して、
「今、国民的アイドルって居ると思う?」
なんて言い出す。

その人が何を言いたいのかは瞬間に分かったけれど、あえてそこに乗っかって
「AKBに決まっているじゃないですか!」
と言っておいた。


私からすると矛盾していると思うんだけれど、その人はテレビの事を「洗脳装置」と言うんだ。
「だから私の部屋にはテレビがない」
と豪語しておいて、一方で「昔は国民みんなが好きだったアイドルが居た」と言い出す。

なんだ、アイドルだけは洗脳じゃないってか?
テレビじゃない時代が来て、ネットでそれぞれが好きなコンテンツを選べる時代に、
これほどまで支持されているAKBは、そりゃ国民全員がテレビで洗脳されていた時代に比べれば
みんながみんなは支持していないかもしれないけれど、十分国民的って言えるんじゃないのか?

まぁいいや、昔のアイドルに興味もないし、
AKBのことを理解できない人に、実際に見ない人に理屈こねこねしてAKBの良さを納得させたとしても意味がないし。



ところで、宇野常寛と言う人の「リトル・ピープルの時代」と言う本は面白い。
この人も、昨日紹介した切通理作氏と同様、サブカルが彼の強い部分で、
アニメや特撮に詳しいんだろう…と思う。
この本も、ウルトラマンと仮面ライダーの在り方の違いを細かく検証して、
ウルトラマン的なヒーローの在り方はいわば現代には時代遅れ、
そして現代のヒーロー像を担うべく存在しているのが仮面ライダーだと論じている。
もっと象徴的な、そして一般的な言葉を使って理解を深めれば、
「ウルトラマン=ブッグブラザー」で、「仮面ライダー=リトル・ピープル」だと言う。

そもそも、この本に興味を持ったきっかけは、朝日新聞の書評でいつか、
表紙が仮面ライダーの本で、内容でも仮面ライダーの本質に深く切り込んで論じてある、
見たいなことが書いてあって、ちょうど仮面ライダーの事を知りたいと思っていた私は、
でもそのタイトルも著者の名前も忘れて暫く立った頃、どんなきっかけだったかも忘れたけれど、
偶然表紙に仮面ライダーが描いてある本を見つけたのだった。


昨日紹介した「特撮黙示録1995−2001」はそのタイトルの通り、
一番最近のもので今から10年以上前の作品を論じている訳で、
その期間のヒーロー像の変遷を知って、それを面白いとは思っても、
現代にまで追いつけるほどのものではない。

更に言えば、このサブカル・ヒーローを切通理作以上に現代社会を映す鏡として扱っているのが宇野常寛と言う人で、
ウルトラマンと仮面ライダーを材料に、見事に社会を動かす圧力の変化をあぶり出していると思う。

しかも、切通理作氏の「特撮黙示録1995-2001」見たいに、一つ一つの作品を細かく丁寧に内容を検証して行く事はないので、見た事がなくて内容が分からなかったとしても、そこまで作品の内容を丁寧に理解する事を求められずに読み進めて行く事が出来る。
それだけで、正直な話、いくらか気分が楽だ。


この「リトル・ピープルの時代」を途中まで読んで、ちょっと頭が痛くなったので小休止し、
ちょっと落ち着いて周りを見ていたら、
「アイドルもリトル・ピープルの時代なのかも知れない!」と、ふと思った。
そんな論をここでくどくどと書く気も起こらないけれど、
AKBも時代に望まれて誕生したアイドルなのかもしれない。

理解できたらものすごく面白い概念だ。

ある種、ロールズ勉強するよりつらい??


ちょっと前に買った、切通理作氏の
「特撮黙示録 1995-2001」 
と言う本が、もうすぐ読み終わりそう。

…と思って横から見てみたら、最後の章のインタビュー部分がごつくて、
まだ4分の1ぐらい残っていたけれど。

興味があると思って買ってみたものの、全く見た事もないゴジラやガメラの怪獣映画、
平成ウルトラマン・仮面ライダーシリーズを、内容をあらすじという以上に丁寧に解説されても、
なかなか頭に入らずに、すぐに飽きてしまう。
「作品の意義とか本質だけ解説してくれたら楽なのに。。。」
と思ってしまう。

私が小さかった頃にはウルトラマンも仮面ライダーもやってなかったし、
ヒーローものは見ていた記憶はあるものの、内容は全く覚えていない。
てことは、すぐに興味を失ったんだろう。
怪獣ものに至っては、一度も興味をもった覚えもない。
その所為なのか?本の内容にもこんなに興味が持てないのは。
内容を飲み込むので一苦労、その先の話をされても、まず書いてあったことを思い出さなきゃいけなくて、買ってから一ヶ月近くになるのに、未だに読み終わっていないのは普通に読んでいたら、こんな事はないのに。


この本、発祥は昭和である怪獣ものやウルトラマン、仮面ライダーが
本来持っていた性格・意義をもとに、
20世紀末によみがえってきた意味を、内容を細かく検証しながら論じて行くと言うもので、

ただ子どもたちを喜ばせるだけの作品ではなく、
小さな子どもも見ると言う部分で配慮をしながらも、時代を反映して作られ続けてきた
怪獣もの、ヒーローものの持つメッセージ性やその内容がどのように変化し、
またそれが市場に受け入れられるか受け入れられないかでどの程度、
それぞれの時代にマッチしたものを作りだせてきたか、
あるいはヒーロー像そのものがどの時代にマッチしているかを考察している。


私のイメージ的に、ヒーローと言ったら単純な勧善懲悪、
怪獣ものは怪獣が街を踏みつぶすというイメージしかなかった。

この本を読んで、想像していた以上に(特に平成ヒーローは、という事になるんだろうか??)
時代にあった正義のあり方や内容を模索してきたんだなぁと言うのが分かる。
特に平成仮面ライダーの、それまでのヒーロー像のぶちこわしようには驚いた。
この本以外もちょっと見てみたら、これ以降にさらに仮面ライダーはそもそもヒーローからはみ出しての革命的なヒーローになっている様子だ。

ちょっと前の仮面ライダーが何人も出てきたりしているのは知っていたけれど、
最近見たショッピングセンターでの仮面ライダーショーを見ていたら、
勧善懲悪の基本路線と言うのは変わってないのかなと思っていた。
ちょうど今やっている仮面ライダーはどんなヒーロー像を、
あるいはどんなふうに今の世の中を斬って、あるいはあぶり出しているんだろうか、というのも、
誰かの分析を聞いてみたい。
自分で見る気は…全くないので。


ちょっと前に仮面ライダーを見てみようと思って、ツタヤで初代仮面ライダーのビデオを借りたりもしたけれど、
最初は原作にある程度忠実で、これは見れるかも、って思ったけれど、
2号ライダーが登場した辺りから全く面白くなくなって、たった3巻(ちなみに1巻7話)でやめてしまった。
後から、1号ライダーである本郷猛役の藤岡弘が事故で番組に出れなくなった時に路線変更して、
チャンバラやるだけの、そのチャンバラの為にストーリーを毎回作る、
言うなら「暴れん坊将軍」とかに近いものになったらしい。
確かに、仮面ライダーはもともとの設定が人間のサイズのままで、戦闘シーンも敵が大勢出てきて、
派手に殴り合って斬りつけ合うシーンは時代劇に重なる。

でもそうなってしまうと、最後のチャンバラシーンだけ見ればいい気までして来るし、
それが分かっていてそこまでみたい作品でもないかな、もうちいさな子どもでもないし…
ってなって来るわけだ。



漫画の仮面ライダーspiritsというのは、結局どうして仮面ライダーが戦うのかという理由については納得できないにしても、仮面ライダー自身が抱える葛藤とか弱さを乗り越えて行くドラマはかっこいいので読んでいられる。
特に、新仮面ライダーspiritsの一巻二巻にまたがって展開される1号と2号の友情ドラマには痺れる。

この漫画も今はいいけれど、終わる時が怖いなぁ。

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