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中庸は正義じゃない。


ちょっと前に新聞の広告で見かけてから、
『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』という本が気になってしょうがなくなった。
仮面ライダーと同様、ウルトラマンも単純な子ども向けの勧善懲悪の話だと勝手に思っていたので、ウルトラマンにもなにか、シンプルに単純な世界征服から地球を守るという話以上に深いストーリーやメッセージがあるのなら、それに触れてみたいなと思った。
それと、マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」とタイトルが似ているから、これは絶対にマイケル・サンデルを意識して書いた本だな、どれぐらいサンデルに対抗できる本なのか試しに読んでみたい、という考えもあった。

とにかく、気になったのですぐに買って読んでみた。でも仮面ライダーと違い、ウルトラマンに関しては全くの予備知識なし。


この『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』という本は朝日新聞出版から出ていて、著者は神谷和宏という人。この本の元になっているのは、著者が中学校で行っている国語教育の授業。生徒たちにウルトラマンのビデオを見せ、ウルトラマンの正義のあり方について生徒たちと意見交換をする、という内容の授業らしく、本も同じような構成。つまり、実際に正義を考える上で題材になるウルトラマンのストーリーを紹介し、その話の中での正義のあり方やウルトラマンが模索し続ける正義について筆者が解説し、所々で生徒の感想も紹介する。

中学校での授業が前提ということで、分かり易く親しみ易い題材でありながら、悩むウルトラマンを通じて生徒たちと単純には割り切れない正義が持つ苦悩を共有し、考えていくことが出来るというのは面白い試みだと思うし、思った以上に色々なテーマや正義のあり方が提示されていて、面白いないようだったと思う。
実際に読んでみて、自分の中で子ども向けヒーローのイメージがこれで変わったのは確か。

本では7つに分けた、正義を語る上でのテーマがまず示され、それぞれのテーマについて一つ一つの話を具体的に挙げて、論が組み立てられる。ウルトラマンの予備知識もここである程度紹介されるので、その点であまり悩むことはなくてすらすら読める。中学生向けということで、思想を哲学レベルにまで掘り下げることはないので、頭が拒否反応を示すことも多分、あまりないと思う。誰でも読めて、誰でもある程度までは考えることが出来る娯楽作品だと思う。マイケル・サンデルについていくことが出来る人には内容的に薄くて物足りないと思うだろうが、日本人にとっては導入も内容もこれの方が取っ付き易いだろう。

筆者はウルトラマン研究もしているようで、「ウルトラマンは日本的な、多神教に基づく存在」である、時代を経るごとに変化する人間とウルトラマンの関係、等の論は面白い。



ただし、私のこの本の感想としては、本の中で多様な正義を挙げて、それらを皆平等に扱おうとするあまりに、最終的に全ての正義に関して懐疑的にならなければならないという欠点がある。この本、というかウルトラマンの背中を見た上で、じゃあ各々がどういった価値判断を下すべきか、については結論がない。

日本が多神教で、色んな価値観を認めることが出来る、絶対の正義はないという部分までは、考え方としてアリだろう。だけれど、最終的に「中庸がベスト」と筆者が言い切ってしまうのはどうだろうか。苦悩しながらも、たくさんある中から正義を選び取って戦ってきたウルトラマンに対する裏切りなのではないだろうか、と私は思うのだが。最終的に、中間の無難なところを選んでおけばいいよという、無責任な価値相対主義で、無難さを全面に出しているとしか思えない。真剣さが足りないように思う。
し、どちらの正義もとらない中庸、客観しか求めないなら、苦悩もその分なくなるし、同時に自分が胸に持つ主張もない、情報だけになってしまう。そこには、ひとを振り向かせるだけのエネルギーもない。

ウルトラマンの正義とは一体なんだったのか。

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まぁた気管支炎かぁ。


喉の調子がここ一周間ぐらい悪くて、ひどく痛んでいたので、病院に行ってきた。
田舎の病院なので、自分以外はみんなお年寄り。まぁ予想はして居たけれどね。
それと、一人一人の診察が思った以上にぱっぱと進んでいて、それにも驚いたね。

田舎の病院は、よく聞くと思うけれど、井戸端状態。
大きな声で、あそこの議員のビルがどうとかこうとか話していて、
地元のどんな情報もこの病院のロビーに集まっていそう…
何か知りたいことがあったら、次からここに来ようか。


で、私は咳をこらえながら待っていた。暫くして、名前を呼ばれてドクターの診察室に入る。
熱は平熱です、喉が一週間前から痛くて、
咳や痰が最近出始めましたと。普通に問診を受けて、
喉を一瞬見てもらって、
「あぁ、確かに赤く腫れてるね」。
そして、
「じゃあ気管支炎ということにしましょう」と。

この瞬間に、なんだか色々と疑問が涌いた。
喉をちょっと見ただけで分かってしまうのか。
そして、ドクターの「気管支炎ということにしましょう」の一言。
〜にしましょう、とは、別の病気でもいいということなのか??

気になって詳しく聞いてみたら、肺に水の音がするようになったら肺炎、ということになるらしく、
症状が咳や扁桃腺の腫れだけならば風邪、ということになるみたい。
で、その間をとって気管支炎という病気を作ったという感じらしい。
法律に基づいて、その病気に投与できる薬や治療が決まっているらしく、同じ病気と診断しても、その重さに応じて薬の種類を変えるには限度がある様子。
特に最近は国民保険の圧迫でその扱いが厳格らしい。
で、風邪という病気だと抗生物質の投与が出来ないそうで、
飲み薬も点滴も使えるものが少なくなり、そうすると
「治るのも遅くなりますよ」
だって。

なんか医療の仕組みも、ものすごく複雑なんだな。
ドクターはこっちが納得していない顔してたり、質問をしたら、何でも時間をかけて説明してくれそうな勢いで、医者の説明責任の話まで話していた。
もっと色んな話を聞いてみたかったけれど、自分のあとにも人がたくさん居ることを思ったら、なんか申し訳なくて、いやいやもう結構ですと言って断ったけれど、聞いておけばよかったかも?


それにしても、2年前にも気管支炎で病院に通って以来、やたらと喉が弱い気がする。
ちょっとは鍛えた方がいいかな…カラオケとか行って(笑)

風車が世界を救う。


昨日の話の続き。ヒーローの存在を容認させる悪の存在について、
一体どんな存在意義があったなら、説得力があるだろうかと…
仮面ライダーの悪役、ショッカーは何の為に世界征服をするのか。どんな目的ならば、世界征服をする理由として納得できるか。
私としては、環境破壊を止める為に人間を支配しようとするのなら納得する、と考えた。


仮面ライダーの場合、中公文庫から出ている漫画・仮面ライダー一巻の最後に、作者である石ノ森章太郎氏が仮面ライダーに込めた思いについて書いている。
そこには、ショッカーは「歪んだ技術文明の象徴」と書かれている。つまり、人類を征服しようと牙を剥くショッカーというのは、人類が自分たちの生活を豊かにする為に発展させてきた近代文明や技術の負の側面である。環境を破壊し続け、公害を垂れ流し、放射能をまき散らして人類自身を傷つけ続ける近代文明がショッカーで、仮面ライダーもそこから生み出されたという設定は面白い。

これも漫画を読んで初めて知ったけれど、仮面ライダーを作り出したのはショッカーだ。
つまり、仮面ライダーは科学技術の申し子ということになる。
仮面ライダーののチーフはバッタであり、力の源はベルトの風車に風を受けること。
科学技術によって作りだされて、人間と自然が協力して科学技術の弊害に立ち向かうという構図なのだ。そして仮面ライダーこそが「真の文明」のシンボルだ、と言う。
科学技術の進歩が単純に人間の更なる豊かさや幸せに繋がる訳ではないと悟った時代に、ただ技術を信仰するのではなく、自然がもつポテンシャルや人間の叡智を持って、今で言う持続可能な社会を作っていくことが出来るはずという願いが読み取れる。


実際に、仮面ライダーの2号ライダー一文字隼人は原爆カメラマンで、被爆した子どもの面倒を見ていたり、第3話では公害問題がベースにあったりと、人間を傷つける技術の弊害を憎む仮面ライダーという構図はある。
特に被爆したために白血病で苦しむ少年を救おうとする仮面ライダーの原動力が風車であるのは象徴的な気がする。今の時代でも、というよりは今このタイミングだからこそ、より強いメッセージになっているのではないだろうか。

そして、科学技術信仰を止めないショッカーも…自身の目的(利益)の為に自然エネルギーなどの可能性を潰そうとするのは。びっくりするぐらいに、重なるものがある気がする。
残念ながらショッカーは、人類の敵ではあり得ない様子だ。人類がどっちを正義とするか。それこそが問題だ。



もう一つ、今の何が正義で何が悪か分からない時代に、「正義は必ず悪に勝つ」という構図も子どもたちに見せたかったと書いている石ノ森章太郎氏。確かに、価値感が多くあって、お互いにどの価値観が正しいかをはっきりとさせようとしない曖昧な時代に、正しいことを探す理由を子どもたちに教えることはすごく重要だろう。このまま、「正しいことなんてない、結局勝つのはパワーがある側」という冷めた哲学しかない世界では、よりよい世界を作っていこうという動機なんて湧いてこないだろう。


今、どうするのが正しい道だと思いますか??

世界征服は世界を救うだろうか。


自分が昔、小さい頃に、戦隊ヒーローものだとかをテレビで見て、なんと思っていたのかはほとんど覚えていない。今になって考えると、だけれど、見てはいたけれど、好きだったかどうかは甚だ怪しい。まぁ昔のことは昔のことだけれど。

そんな私が数年前、ふとしたきっかけで仮面ライダーに興味を持った。仮面ライダー2号の一文字隼人というキャラクターは原作では、原爆カメラマンだと言う。
とはいえ、その興味を原動力にして、実際に漫画やテレビの仮面ライダーを見ることはなかった。ただ一回だけ、数年前の仮面ライダーの最終回で、ヒール(悪役)が「私は世界一迷惑な男となるのだ」と絶叫しながら死んでいったのを見て、さすがに子ども向けとはいっても、これでは納得して悪を倒すということに共感できる人は居ないのではないかと思った。
じゃあ、どうして仮面ライダーは悪を倒すのか。討たれるべき悪がどんな形で存在していたなら、仮面ライダーの正義に正当性が見いだせるのだろうか。なんてことを考えるようになった。
つまり、どんな理由をもってしての武力を用いた世界征服ならば、正当性があるだろうか。



仮面ライダーの前に立ちはだかる悪の組織は、「ショッカー」という名前らしい。

じゃあ…といって、どういう理由でショッカーが世界制服を目指すのなら、その目標に正当性や説得力があるのかを考えてみた。少なくとも私の想像力を駆使して考えたところ、並大抵の努力やお金や時間を持ってしても、世界征服なんて成し遂げられるとは思えない。世界を圧倒する技術を開発することにも、実際に制服活動をすることにも、征服後のマネージメントにしても、膨大な労力がかかると思われる。そういったコストに対して、じゃあ何を得られるのかと言ったら。世界中の人間が自分の言うことに絶対服従したとして、それって何か楽しいことだろうか。そこまでのコストをかけてやることだろうか。だったら、ある程度大きな会社のエラい人にでもなって、ある程度まとまったお金を稼いだ方が、そりゃ世界中の人が従ってはくれないけれど、コストに見合うという意味では、世界征服するよりも絶対に現実的だしなぁ。。。うーん、何か違う。世界を征服する理由は、もっと別のところにありそう。


など、色々考えてみた結果、私がたどり着いた結論は。

ショッカーが世界征服を目指す理由は、「環境問題解決の為」。
地球の環境はもう持たない。地球は、人間が自らの行いを今すぐに改めなければ崩壊してしまう。
そう、ショッカーの創設者は元々、環境保護運動家だったのだと思う。
彼は元々、地道にNGOかどこかの団体に所属して、環境保護を日々、世界中の人々に訴えていた。
しかし、行いを改めずに地球を食いつぶそうとする人類に失望。地球を人類から救う為には、世界を征服して人類全てを自分に従わさせ、力づくで人間たちに行いを改めさせるしかない。彼はそう思い詰めて、世界征服を始めた。

彼が世界を征服するのは、地球の環境を守る為。地球を守る為には、人類の尊厳や自由を制限する必要がある、いやそれ以外に道はないと考えての行動だったのではないだろうか。自分自身の利益や満足の為ではなく、長期的に見たときの人類の為、あるいは人類の枠を超えて動物や地球の為にそれが必要だと思った。

ショッカーの選んだ道が正しかったのかは分からない(ていうか、ショッカーが出来た理由が完全に、私の憶測)。けれど、地球規模の問題に関して議論がまとまらなかったり、利益を優先する企業や国が多く、そもそも世界規模で世論をまとめることがすごく難しいということも分かった。そうしたときに、問題の解決の為には誰かが悪役を買って出て、独裁者になってでもやるべきタイミングは来るのかもしれないな。と、

私はそう思う。



この推論に仮面ライダーの登場する余地がなくて、今考えたらちょっと説得力ないな、仮面ライダーの世界観を想像するには。でも、世界征服を企む理由としてはありじゃないだろうか?自分の正義が間違いなく正しいと確信することが出来たら、それが人間の価値観としては間違っていたとしても、実行に値するというか、寧ろ現代的な価値観に対するアンチテーゼとしても存在意義を見いだせる気がしてくる。



明日は、実際に仮面ライダーがどういう意図を持って書かれたのかを見ていこう。

映画「ニッポンの嘘」後日談。


週末、金曜日に用事があって東京に来た。一泊二日。AKB48が東京ドーム公演をしているというのに、それを横目で見ながら私は面接か…あまりに切ない。


で、本当に面接だけ受けて帰るのは耐えきれないくらいに切なかったので、偶然、土曜日の昼に映画「ニッポンの嘘 福島菊次郎 90歳」のあとにトークイベントがあると知り、それを見に行くことにした。場所は、銀座シネパトスという映画館。この映画を見るのは二回目。一回目にみた感想は。

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ちなみに話をするのはこの映画の監督である長谷川三郎氏と政治活動家の鈴木邦男氏。映画自体も一回見ただけでは飲み込めなかった部分も多かったし、この映画を撮った監督がどんなことを話すのか気になったので、見に行ってきた。


映画は二回目も鮮烈だった。一回目には自分に訴えてこなかったシーンが強く主張するし、一回目の理解を超えて思いメッセージを発してくる部分が多い。三回、四回と見ればまた、もっと深いメッセージが受け取れるだろう。


二回目と一回目で特に違いが出たのは、原爆関係者意外の彼の写真について。というのも、原爆以外については自分に予備知識が無さすぎて、彼の写真の意味をほとんど理解できなかった。彼が写真を撮った意味。その写真が社会の中で持つ意味。リブとふうてん、学生運動、天皇の戦争責任等々。
そしてそれが、彼の信念や哲学を、字面でしか捉えられないことの大きな要因になっていた。
だからもし、これからこの映画を見るという人で、戦後の歴史をあまり知らないとか関心が無いという人は、一応、予習をしてから見た方が絶対に理解が深まる。少しでも勉強してから見ることを勧める。

それにしても改めて、というか今日やっと、彼の90年の人生の重みから発せられる言葉がこうも光っているのに気がついた。
戦争当時、軍国少年だったという彼が招集され、戦後を迎える。原爆や公害などを目撃する過程で、自分が愛す守るべき日本が自分や国民を裏切るという自体に何度も遭遇する。
その、それぞれの過程での細かな彼の心理の変化まではたった2時間の映画で性格に追いかけるのは難しい。でも、彼がカメラを自身の武器として国家に反旗を翻し、日本の嘘、裏切りを告発するようになる理由を推して測るには十分だ。
個人的な思いだけれど、天皇の戦争責任を追求する人々の心境も少し、分かった気がする。ただ戦争で傷ついた、つらかった苦しかった、アジアの人々を傷つけたと言っているのではなくて、日本なら天皇なら(戦中、戦後には同義だったと思われる)間違いなく決断すると思っていた国民やアジアの人々に対する労いや救済への対応があまりにずさんで、そこでまたひどく裏切られた気持ちになったのだろう。

だから、反骨の底には本来、好きとか愛しいというものがまずあるのだということを知った。


映画のあとの、長谷川三郎氏と鈴木邦男氏の対談の中でもそういう話があったけれど、福島菊次郎という人の主張はイデオロギーからやってくるものではなく、自身の経験に根ざしている。だから、自分の長い人生にある価値から色んな価値判断をして主張を練り上げている。そこに、簡単には反論できない芯の強さがある。そして原動力を失わない怒りというのも確かに、すごい。
鈴木氏によれば、マイナス面も含めて好きになれるのが愛国だということ。そうでなければ、ただの自己愛。もしも福島さんほどの愛国心があるならば、もっと日本のことを見つめることが出来るはず、と彼は話していたけれど…自己愛の固まりのような人たちが時々、このブログにも来ますね。ある人物の名前を検索して。

この二人の対談の中で気になったのは、鈴木氏が「今はドキュメンタリーで取り上げる人が居ないでしょう、実際に戦っている人は(他に)居ないし、撮る人もいない」と話した部分。長谷川氏も「今は怒った顔を撮るのが難しい、見つからない」と話す。確かに映画の中世界は自分たちにとって別世界のようで、こんなにも激動で人々が表情豊かに生きていた時代があったのかと思わされる。美術館を見たときにも持った感想を、ドキュメンタリーを撮っている人が同じように感じているというのは興味深い。

原発を今後どうするかは、日本が今後どうするか、という問いに直結する。ただ、その答えを出す前に、もう一度戦後日本そのものを冷静に見直す機会を持ってもいいのではないだろうか。いや正しい判断を下す為に、見直すべきではなかろうか。と、切に思う。




さぁ、AKB48の前田敦子卒業公演が始まりだ。生放送あるぞ!!!

写真の基礎!!


今日は写真教室に行ってきた!
一ヶ月前にも行った写真教室で、広島で活躍しているプロのカメラマンさんが教えてくれる教室。
前回は基礎編の3で光の使い方について勉強したけれど、今回は基礎編の1ということで、一番最初に勉強するべき、カメラや写真の構造や原理からお勉強。

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カメラも色んな種類があるのを教わり、カメラの仕組みについて聞いたものの…コムヅカシイ理屈の話を始められると、ものの1分で話を聞かなくなる特技を発揮。どうなってんだ、この頭は??


で、まぁ、理屈は置いておいて、光がレンズから入って、デジカメの場合は像がCCDに写って写真は撮れると。

でも、じゃあどうやって光を取り込むのかと言ったときに、絞りだとかシャッタースピードだとか色々考えなきゃいけなくなる。でもこれらの要素が、光の量意外の意外の要素をそれぞれもっているから、最終的に同じ明るさの写真が撮れたとしても、内容は全然違う写真になる可能性が多いにあるわけ。

絞りを開けば(f値を小さくすれば)、ピントが狭い範囲にしかあわなくなり、その特定の場所以外はぼやけてはっきり見えなくなる。逆に絞りを閉じると、一瞬の間に入ってくる光の量が少なくなる。その代わりに、全体にピントがあってはっきり見えるようになる。

それからシャッタースピード。こっちは原理とか分かり易いと思う。つまり、どれだけの時間、光をCCDやフィルムに集めるかという話で、1秒とか2秒とか。この時間が長いほど、光がたくさん集まる。でも、長い時間光を集めると、カメラや像が動いたら、ぶれる。

それと、今まで全然理解できなかったISO感度も、どういう意味があるのかよく分かった!数字が大きければいいってものじゃないのかー。この数字を下げると、暗く写るように出来てるんだって。不思議な機能だー。



そして、最初に今日のプリントを見て「プログラムオート…使わないようにしましょう」って書いてあったのを見つけ、
「そんなの無理ー!!」
って思ってたけれど、これだけカメラの機能を理解できたら、ちょっとづつでもマニュアルとかでこれまで以上にうまく撮れるようになれそう!がんばって練習しよ♩

参考までに。
絞り優先モード…ピント調整の意図により設定。
シャッター優先モード…動きのあるものを撮る場合に使用。
マニュアルモード…自分で絞りとシャッタースピードを決める。



それにしても今日は、先生のカメラばかり撮ってたなー。

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