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旅立ち


旅立ちって、一体どんな色かなぁ…
と、ふと思った。

まぁ、なんでもいいんだけれど。
旅立つなら、朝と昼と夜とか、何時頃がいいだろうか??
旅行じゃなくお出かけじゃなく、旅立ち。

まぁ何と言うか、昼間に旅立つというのは変な気がする。
青い空の下、旅立つというのはなんとなく、暑いし、色彩的にも情緒がない。
みんなが周囲のビルにこもって働いている時間に旅立つというのもなんだか、申し訳なくなってくる気がする。
それに、旅立つには元気がよすぎるイメージだね、お昼は。
太陽のような明るい笑顔で
「さーぁこれから旅立つぞ!」
というのはどうも、旅立つ動機に欠ける
気がする。

うん。昼はダメだ。
チャップリンだって、「モダンタイムス」のラスト、二人が旅立つシーンは
朝と夕方のカット。昼は二人は歩いていない。


ところでもう一つ大事なのは、旅の手段
徒歩か車か電車かバスか…これも結構、大事な話だと思う。
あぁ、飛行機もあるか…でも飛行機はやっぱり、移動手段であっても旅の手段ではない気がする。
旅で楽しむべき情緒を飛行機は提供してくれないと思う。
でも、バスはイヤ
これは根拠があるわけではなく、ただ単に私の好み。
絢香の「First message」というアルバムの一曲目、
「Start to 0」という曲の一説では、
『疲れ果てたなら バスに乗って旅に出ればいい』
とあるけれど、疲れたときにバスはなおさら無理
家かホテルでしっかりと休養をとった後でなければ、バスは無理。

そうするとやっぱり、電車か車、それか思いっきり原点に立ち返って徒歩。
水戸黄門も西行も松尾芭蕉も徒歩で旅をしているのだから、
東北も四国も徒歩で行かなければ本来は、その目的を達成しないものなのだ!!
新幹線なんて、もってのほか!!
厳密に旅を突き詰めていけば、の話ね。


そうそぅ、もうひとつ、旅の手段がある。
私にとってはまず、これ!が出てこなきゃいけなかったんだけれど。
船の旅。
私に限らず、遣唐使や遣隋使とかの古の時代、
日本に限らず大航海時代など、
海を旅することで人の知識や世界は広がりも深みも増すものだなぁ。
生命の原点でもあるわけだし。

人は、海からやってきて、
また海を旅して、
進歩を重ねていくのかもしれない…

なんて言ったら、ちょっとカッコつけてていいかも。


ちょっと前に、
「これが旅立ちの写真です。」
と言ったら説得力があると思う写真が撮れた。

ところでこの写真は、朝に見える?それとも夕方??


IMG_1175.jpg
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夕暮れはなぜきれいなのか??


あ~ぁ、今日は一日中イライラしてしまった。
こんなにひどい気分になったのは本当に久しぶり。

おかげで、夜、うちに帰ったときに親から「今日は暗い」なんて言われるし、
まぁそれは別にいいけれど、朝から一日中ブルーで、なにかと周囲のあらさがしをしたくもなり、
何やっててもあまり楽しくなかった…

感情的になるということは私の場合、セルフコントロールが全く効かなくなって、
いつも以上に頭のおかしい人間になってしまうので、ネガティブな類の感情というものはおおよそ、心の奥底に抑え込んで口を閉ざして平気な顔をしているほうが楽。
普段はできるだけ、怒鳴り散らしたくなるぐらいに怒ったとしてもそういう顔を家族以外に見せることはほとんどなく(腹が立ったライブハウスの話参照)、
もう本当に何年振りかというぐらいに久しぶりに、人に対して怒りをぶつけた気がする。


さっき、友達と長電話して、朝からの怒りがやっとおさまってきた。
嫌なことほど忘れられなくて、一日中そのことばかり考えてしまうというのは、
あぁ損な性格しているんだろうなぁと思う。


そんな最悪な気分で出かけた帰り、広島市内から呉に向かってバイクを走らせる。
そしたら坂を抜けたあたりで隣を電車が追いついてきて、しばらく並走していた。
ちょうど夕暮れ時。

友達が、職場の人に「(JRの)呉線は景色がいいよ」と勧められたらしい。
最近は観光客用にマリンビューという、海が大きなパノラマで見れる電車も走っているみたいだし、
そうやって評判になるくらい、そこそこきれいなんだろうなぁと思う。
自分でも実際、ここら辺を走っていて海や空がきれいに見えることは知っているし、
この海の景色のよさに共感する人が増えていくのは、やっぱりうれしいことだと思う。

ちょうど、呉線の景色の話をしたばかりだったので、この海の景色のことを思い出して、
まぁ思い出さなくても海を眺めながらいつでも走っているんだけれど(笑)、
今日は適度にちぎれ雲もあって、最高にいい景色だった。

呉線に乗っていたら見ることのできない、夕暮れをバックにした日新製鉄の工場や戦艦大和が作られたという宮原のドッグがたそがれているシーンも、太陽が沈みかけの一番いい時間にそこを走って、
バックのオレンジと逆光で黒くそびえたつ、かの高度経済成長の象徴のような工場の煙突やクレーンは、
この一瞬で時間旅行をしているような気分にしてくれる。
こんなに好きな景色もなかなかない。


バイクに乗りながらそういう景色を眺めているので、もちろんこの景色の写真はない!!
期待した人がいたら、ごめんね。
バイク走らせながらこの景色を一人で独占する気分というのは最高だし、
この景色を写真に撮ってここに載せたとしても、絶対に感動が伝わらないのはもう知っている。

例えば、バイクに乗りながら夕陽を眺めて、その時にJAZZを聞いているのとROCKを聞いているのでは気分って違う。感動も変わる。そのあとも全然違ってくると思う。
ちなみに今日はROCKを聞いていたんだけれど(イライラしていたため)、
そういうところから、気持はどんどん派生していって、
同じ景色を見ていても、瞳に映るもの、ファインダーを通るものは全く違ってきてしまう。


テレビとかで恋愛論だとか言って知識人たちが語るときに、
時々出してくるデータの一つに、「告白が成功する時間帯」がある(ちょっと前のNHK『爆笑問題のニッポンの教養』とか。例えば)。

だけど、そのデータだけ示されても、それが何を示しているのかは分かんない。
ざっくりと言って考えられるのは次の二つ。
①告白する時間が夜だと成功する確率が上がり、昼だと失敗する確率が上がる。
②成功する告白をする人は夜を選びがちで、失敗する告白をする人は昼を選びがち。


だからなんだ、って??
ん~、つまり。。。私は割と、疑り深いほうに分類されるんだろうなぁ、と思っただけ。

最低のライブハウスで最低の経験。



昨日は、一ヶ月も前からずっと楽しみにしていた、
寺久保エレナのライブ
だったのに…

思い出したくもないくらいに悔しいけれど、
ライブも半分までで「もうこれ以上居たって、楽しめそうにない」と思って、
『Brack & Tan』を出てきた。

『Black & Tan』というのは、ライブハウスの名前。
JAZZ bar, 『Black & Tan』。東広島の、黒瀬にあるライブハウス。
ここに来るのは初めてだったけれど、今思い返してみればなんかものすごく不思議というか、
一生のうちにこれだけいらっとする出来事が何回あるだろうか、って思うぐらいに腹が立ったのだ。

だけど遠慮しすぎというか何でも穏便に済ませようとする私は言いたいことも言わず、
どれだけすごい人が来たって、このライブハウスでは絶対に見たくない!!もう二度と来ない!
と心の中で叫び、ついでにバイク運転しながら、
時々思い出したように「ばかやろーーっ!」と叫びながら、
『Black & Tan』というライブハウスを後にした。


ライブ自体は多分、そんなに悪くなかったと思う。
デュオだったから選曲も全然違ったけれど、音を聞いていれば、
いいとこも悪いとこも含めて、あぁいつもの寺久保エレナだなーと思いながら見ていた。


だけど、ライブハウスの側がものすごくひどくて、ずっと音楽には集中できなかったし
食堂としてもなかなかない低いレベルで、それはもうがっかりさせられた。

とりあえずパスタがまずかった
パスタに関しては、私の主観だから、違う人が食べたらおいしいと思うのかも知れないけれど…
正直、作り方間違えてるのかと思ったぐらいに味がない。
それに、食べる場所によって味が少ししたりしなかったり。
あれ、「正真正銘のアーリオ・オーリオ(オイルのみ、という意味)です」って言って出せばいいんだ。
あれはペペロンチーノじゃない。
ああいうのを出されたら、他のも期待できない、と私は思う。

次に、厨房がむき出しでうるさい。スタッフの足音も響く。
店に入ったときにまず、一番に疑問に思ったことだったけれど、ライブが始まったら
「やっぱり、そうだよねぇ…」と思った。
炒める音、水道の音、皿やグラスを扱う音などが、いちいちうるさい。壁ものれんもない。
ライブ中にそういうことに気を使っているふうでもない。
床や靴も、足音が響かないようなものを選ぶとか気を使って歩くとか、できるんじゃないの?と思った。
少なくとも私ならそうする。
そして内装、見た目だけおしゃれにこだわってて、机の配置までおしゃれに見せようとするからスタッフが配膳に来ると歩きにくそうで目立つ。余計に邪魔くさい。気が散る。

髪の長いスタッフが髪を縛っていないまま配膳をするのでとても不潔
実際、食べ物や飲み物に髪がつきそうになっているのを何度もみて、不安になった。
女性スタッフは4人ぐらいいて、肩まで髪の毛が伸びている人も何人か。
一人は完全にロングヘアーで、それを平気で垂らしている。
これは「私だったらそうする」というレベルではなく、食品を扱う店としての自覚がないと思う。
ついでに言っておけば、厨房を見ていても、スタッフが手洗いやアルコールスプレーを使っているのを見なかった気がする。

サラダは極めつけ
パスタは不味すぎてほとんど食べれなくて、代わりになにか、と思ってスタッフにおすすめを聞いてサラダを頼んだんだ。不味いのはもう嫌だったから。
だけどよく考えたら、ここは不潔な店だからと、不安な気持ちのままサラダを頼んだら、
一時間待ってようやく出てきたそのサラダに、
髪の毛の代わりにビニールが入っていた


これ全部、一体なんで?どうしてこうなるわけ?
私にだけ、なにか嫌がらせしている??と思うぐらいに、不愉快にさせられた。

あそこには絶対、もう二度と行かないし、人にも勧められないし、
どれだけいいプレイヤーが来てもここにだけは入りたくない。
交通の便が良くないけれど、内容が良ければ…と思ったけれど、
あらゆる意味で最低を知らされた場所だった


それでも、寺久保エレナが居れば、私もそこに残って彼女のサックスを聞く価値はあるかも知れない、と思ったけれど、
あの環境の中で、一瞬でも調理やスタッフが動く時の音、あるいは料理を運ぶスタッフを見るたびに
たった一時間二時間のうちに全部起こったことが思い出されてきて、
何度もいらっとさせられるのかと思うと、これはむしろライブと差し引きでマイナスになって、
とてもいい気持ちになって帰ることはできないだろう、という判断をしたのだった。
帰り、マイルス・デイビスをガンガンにかけながらアクセルをいつもより多くひねる。

1時間ライブを見ていて、なぁんも残ってなかった。



本当は、料理にビニールが入っていたんだから、私は怒鳴って出てきてもよかったと思うわけ。
大きな声で、その場にいる全員に聞こえるように、「ここではビニールを食べさせるんですか」って怒鳴ってもいいわけ。パスタもまずい、サラダもダメで、「普通だったらこんなものを出しておいて客からお金取れませんよ。どういう神経しているんですか!」って怒鳴ってもいいわけ。ライブは楽しめない最低な環境で、あんなに楽しみにしていたのに実際には半分聞いただけで出てきてしまって、ライブの料金返せ、どころか「慰謝料を請求します!」とだっていう権利があると思う。こうなったら「行列ができる法律相談所」に投稿して、いくら慰謝料が請求できるか聞いてみたい、て思うぐらいに。

実際に慰謝料取れるかどうかは別にして、それぐらいに自分の不快感を伝える方法はあったし、
本当は伝えたほうが店もよくなるのかも知れない、ぐらいは思うけれど、
その場に居た周囲の人たちを巻き込んで不快にさせることもないのかな、と思って何も言わずに出てきた。

もしかしたらこれから、あそこを通るたびに不愉快になるかもしれないなぁ…と思うとまた、腹立ってくる!!

9月7日、出国します。


ブルキナに再赴任する予定、決まりました。

ついさっき、JICA事務所からメールが来て、ブルキナ情勢は安定しているために
再派遣を決定、そして表題のとおり、
9月7日に日本を出国。

そしておおよそ二日かけてブルキナに到着する。
一ヶ月間の、中間語学研修。

そして、10月ごろから本格的に任地・ゾルゴでの活動を再開することになるんだろう、と考えると…


一瞬、早すぎるなーと思った。
個人的なことなんだけれど、9月9日にも用事を入れようとしていたところだったから、
せめてあと一週間、待ってくれたらなーなんて自分勝手なことを思っただけ。



でも、メールを読んでから30分もすると、心が逸ってきた。
あぁずっと待っていた、ブルキナに戻る日が決まった。

2年目の活動の準備をするべき時間だと頭では分かっていたものの、
何にもリアルなものというか、迫りくるものを感じることができず、

切迫感なく緊張感もなく、
やるべきことを整理したところでほぼすべてに手がつかず、

あぁこのメールを受け取るまでは、水溜りの腐った水のような自分だったなぁと振り返って思う。

でも一瞬で火がつきそうだ。
スロットルを大胆にひねって。
トップに入れる準備はすぐにできる。


なんていうんだろう…みんな、ごめん。

すごく楽しみだよ。1年前よりもずっと、ずっと楽しみ。



ただ一つ心残りというか、ネット環境がすこぶる悪いところに行き、
情報がまた遮断されたような状態になるのは怖い。
特に今、世界中で明日、何が起こったとしてもすっと一瞬で納得させられてしまいそうな雰囲気、
こと日本においては震災のこともあるし、
その他あらゆる面で不安にさせられるような問題が山積している。
ネットがこうも世界中の垣根を低くし、
まさに望んだとおりの情報が得られるような世の中で、
今の泥船に乗っているような感覚の日本を、せめて見守っていることができないというのが怖い。

…「怖い」という表現が当たっているかはよく分からないけれど、
世界中のみんなが知っている日本の惨状が、不思議なぐらいに私には届かなかったこととか、
自分にだけない暗い空気を共有したいと思って叶わず、
日本のことを把握できないということにこんなに、とてつもない焦りを覚えたのは確か。

今のようなボーダーレス時代にでも、私からはそれを日本に居る人たちに任せることしかできないということなので、
とにかく、なんにせよ私は行きます。あとは任せた。
また来年の6月に帰ってくるからね。

ブログももう少ししたらまた、ブルキナとか協力隊のことばかり書くことになると思います。

終戦記念日、広島護国神社、笹幸恵、『一枚のハガキ』


昨日、8月15日。終戦記念日。
一週間前に靖国神社に行ったときに、
「8月15日は靖国神社か、地元の護国神社に行くべき」
と言っていたので、これまで護国神社には行ったことがなかったけれど、
いい機会かも知れないと思って行ってみた。


神社に参拝をして、引き続き笹幸恵さんの講演。

この笹幸恵さんと言う人は、大洋州の国々に
第二次大戦時の日本兵の遺骨を追って出かけているような人で、

その経験をもとに書いた本が「驚くほど売れない」とぼやきながらも、
旧戦地に行った経験をもとに面白い話をしてくれた。


その講演が終わって、ちょうどいい時間だったので映画を一本見てから帰った。
『一枚のハガキ』。
なんと99歳で現役の映画監督という新藤兼人氏がじぶんの体験を色濃く反映しながら作った最新作。

この映画には、内容はあまり知らずに何となく
(はっきり言ってちょうどいい時間だったから)行ってみた。
映画館に向かいながら、「あぁこの映画も戦争を扱っているんだよなぁ」ぐらいの。

映画を見ながら、驚いた。
護国神社での公演とは別々の話だったはずなのに、
するすると全てがつながってくるような。
映画を見たおかげで、講演の中で自分が感覚的に納得できなかったことにも答えが示されたり、
同じキーワードがどちらでも飛び出して来て、狙ったような内容だった。



笹さんの話としては、終戦記念日と言ってあの戦争を忘れるべからずとは言いながらも、
南方の島々には多くの日本兵の遺骨が残されており…
そういう状況を放置し、忘れたままで新しい国づくりを目指すことの違和感をぶつけられた。

実際、まだ何十万人分もの日本兵の遺骨が、
アジア各地の、例えばソロモンだとかパラオという場所にあって、
その遺骨が日本に帰ってくるのを待っている人がたくさんいるという。

そして現地にある日本の戦没者慰霊碑は五百万近くあって、
でも半数は慰霊碑とは分からないぐらいに壊れ、管理が行き届いていないという話もショックだった。
一方で、アメリカの慰霊碑は塀に守衛着き、きれいに管理されて花壇まであると。
お盆、終戦記念日と先祖の霊を慰めるこの時期に、でも一方で忘れ去られていく、
孤独な戦いを強いられた日本兵たちというのが本当にあわれというか…このままではいけないな、と思った。

「無知は罪、無関心は恥。」「気付いた人のもつ責任。」と笹さんは言った。
残念ながら私たちは、何か社会の問題に気付いたときに、見て見ぬふりをするのが得意だったりする。
あえて自分たちのそういう部分を認識して、本当は当たり前のことを、ちゃんとやらなければ。

そして「戦争はまだ終わっていない!」とも言った。



ただ、講演を聞いただけでは納得できないことも多かった。理屈としては分からないもないけれど…本当に遺骨をそんな血眼になって捜す価値があるのか??コストとか考えたら、慰霊碑もそうだけれど、数を減らすとか大体のところで終わらせるとか…話を聞きながら、考えた。


講演が終わってから、『一枚のハガキ』を見に行った。講演会で聞いた話のことを考えながら。
この映画も戦争を扱った話だったはずだな、終戦記念日だし、
今見るにはいい作品かも知れない、と思いながらお茶とお菓子を買って劇場に座ると…

この映画がまさに笹幸恵さんの講演と同じようなテーマをいくつも抱えていて、びっくりした。
だからみている途中で講演の内容も踏まえながら、いろんな言葉、考えや気持ちがオーバーラップしてきた。

映画のネタばれになったら悪いのであまり書かないけれど、
この映画を見て、遺族にとって遺骨がどれだけ大切かも少しわかった。
海に沈んで回収できない遺骨は30万近くあるんだって。

そして、講演では実際に戦争に行った人に焦点が当てられたけれど、
映画を見て同じ感情の、戦争に家族を取られた側からの持ち方も描かれていて、
戦争がただ兵士だけでなく、兵士を取り囲むあらゆる人を巻き込むものなんだと改めて実感した。


戦時中の日本では、子供をたくさん産んで、
家族からたくさん兵隊を出して、
複数の戦死者を出すことが、名誉とされた。

その理不尽さや、表面的には名誉とされるコンプレックス。
そういものを全部乗り越えて、やっと戦争ができるものだった。
もちろんその恐怖に勝てず、村中で嫌われても日本に残る人もいて。

そしてこの映画でも「戦後は終わってない」というメッセージ。
監督はこの映画を作ることでやっと、戦後を迎えることができたのかも知れない。
この映画は監督の経験をモチーフにしているらしいから…。

笹さんも、日本人全員が、大洋州などに置き去りにされた遺骨について知り、戦地だった場所を知り、
それらを戦争を知らない世代も自分たちの経験とすることで、本当の戦後に移ることができると話した。
『一枚のハガキ』でも、戦没者に向き合わなければ本当に戦争を終わりにすることはできない、というメッセージがあった(それがメインではないけれど)。


今の日本人は、あまりにも戦争に無関心すぎるのかも知れない。
ただ祈るだけで済ませようとしてはいけないのかも知れない、と思った。

疎外感


わざわざ横浜までHIVのフォーラムを見に行っておいて、
一番印象に残ったのは陸前高田の話だった。

フォーラムの主催者と陸前高田の人と、ちょっと前から
つながりがあったことをきっかけに支援に入った話や、
普段は学校などでHIV啓発をやっている保健師が
被災地に入って活動した話を最初のオープニングセレモニーでしていたんだけれど、

その話を聞いていて率直に思ったのは、
「あー私はもう、他の日本人と感覚が違ってきているんだ」
ってことだった。


HIVの話はこれっぽっちもしないよ。


東日本大災害があった3月11日が金曜日で、
その週末は娯楽番組その他の一切がキャンセルになって、ひたすら被災地から情報が発信されていたと友達に聞いた。
地震が起こってからの3日間、ずっと津波が町を飲み込む映像と
被災した人々をまざまざと見せつけられた日本人たちは、
自然災害としての津波の恐ろしさと、
それ以上にたくさんの人が亡くなり、毎日お葬式をやっても間に合わないような状況を三日間延々と突き付けられて、
物資も不足してコンビニからものが消え、電気も消えて、

とにかく、国民全体で精神的にも物理的にも暗い雰囲気を共有したみたい。

その深刻さやそれを共有した一体感が私にだけはない。
地震が起こったこと、津波で大勢の人が亡くなっているという情報もなかなか入ってこなかったし、
テレビやネットはないから映像も見ない、雑誌さえも手に入らない。
人づてに小さな情報を手に入れるくらい。
ブルキナにいたから、暗い空気を共有することもなく、
ネットカフェに行っても、何人死んで何人行方不明で、という情報ばかりが集まり、
日本の空気感や論調みたいなものは全く分からなかった。
日本に居る人がどういう気持ちなのか全く想像できなかったし、
地震から1カ月ぐらいしてやっと雑誌で津波の写真を見て
「こんなの日本じゃない」
という感想がやっと出た。
でもその時には日本の人びとはそれを現実として受け止め、
少しずつでも復興に向けて経済を回さなきゃ!と言いだす人が増えてきて、
停電も減って少しずつ、もとの生活を取り戻そうと努力を始めていた。

私は、みんなが共有している絶望感もないし、絶望から這い出さなきゃという気持ちにもなれない。
あぁ、がんばれ東北とかがんばろう日本とか言っている気持ちが、
私にはまったく理解できない気持ちだなーと思う。
何気なく普通の会話をみんなとしていても、
そういうずれが絶対存在しているんだ。
いま、そう思う。

私の言動や思考は、
そういう絶望感を共有していないという部分で、
もし私の個性がそう考えさせていると思っているようなことでも、
3.11を知らない所為で溝ができているのかも知れない。

そう思ってください。



あぁ、9月初めにまた東京に行きたい。
だけど、ブルキナにいつ、出発することになるのか分からない。
こういう生活は、私をとことん堕落させるなーと実感する。

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