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エンドマークから始まる




私はこうしてだらだらと映画を見ていて、
でもちゃんと楽しんでいないかもしれない。
見たいものを選んで、時間を割いてみているはずのものなのに、
それを全部とは言わないまでも、無駄にしている??

映画を二本見た帰り道、私は本が無性に読みたくてたまらなかった。
映画が終わってから30分ぐらいだろうか。
本を読んでいるときに、ふと思った。
どうして、映画をみた直後に
普通に本が読めるんだろう?
さっき見たばかりの映画のことをもう、
考えていない。

あの壮大な世界は、
私の中でもうおしまい、になっている。
いろんなことが考えたくて、
次々といろんなものを消費してはまた次のものを探していて、
今はあまりおちついて一つのものを
じっくりと消費することができなくなっているのかも知れない。
本も何冊も同時に読み進めてたりするし、
もしかしたらもっと一つのことに時間をかけて
余韻まで味わいながらゆっくりと消化しなきゃいけないのかもなーと、
思わされた。

広島の小さな映画情報誌、名前は「エンドマーク」。
エンドマークとは、映画の終わりに出てくる、終わりを意味する文字のこと。
「完」とか、「fini」とか。
なんで映画情報誌がそういう名前かというと、
フィルムを見終わってから、フィルムのそのあとの世界や
描かれなかった部分を自分で想像し、世界を補完していく作業を重ねることで、
映画を本当に味わうことができるからだと、少し前に教えてもらった。
私は映画館のシートでさっきまでぼろぼろ泣いていたのに、
そんなこともすっかり忘れてもう別の世界に入り込もうとしている。
…これで想像力が、自分でもっと映画を楽しくする力が、
育まれるだろうか?
もっとちゃんと映画の世界に没頭しなきゃ!!!



今回見た映画は、
「赤い靴」のデジタルリマスターバージョンと
「ダンシング・チャップリン」。

特に何も考えずに選んだけれど、
結構共通点が多いこの二つの作品。

両方でバレエをやってて、
フランス語と英語が飛び交う。

ストーリーや描き方、
そもそもジャンルが違う
この二つの作品を続けてやっている、
映画館にもなにかそういう、選ぶときに
意図があったんだろうかと勘繰りたくなる。
いやいや、理解がある。


特に私はチャップリンが好きで、
いろんな作品を見ているから、
ダンシングチャップリンを見て、
チャップリンにああいう形で
敬意を示している人たちがいるのを知って、
感動した。
あのバレエは、言葉の危うさを風刺して
無声映画にこだわったチャップリンを
彼のこだわりを守って表現した、
最高の表現だったように思う。
いい作品だった。

チャップリンが好きで好きでたまらない人は多分世界中にたくさんいて、
それぞれの表現の仕方があると思うけれど、
フィルムに出てくる人たちは、多分
世界で一番素敵な表現方法を知っている人たちだと思う。
あんなふうな表現を知っていることが、すごくうらやましいと思った。

ルイジ・ボニーノという人が映画の中で
「チャップリンのフィルムを見て勉強しろと言われた。
だけど、一度も見なかった。怖かったんだ」
と言ったのが私には一番、印象に残った。

チャップリンを本当に偉大な人だと思っているからこそ、好きだからこそ
演じるプレッシャーは大きかっただろう。
それを超えたうえで、チャップリンのコスチュームを着て演じる
彼の表現はチャップリンを愛し、バレエを愛するからこそ…


このバレエの振り付け師であるローラン・プティ氏は
今月の10日に亡くなられたそうだ。
本当に素晴らしい振り付けだった。
あの映画、バレエはプティ氏がいてこそ。
本当に残念だ。
冥福をお祈りします。
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『グランブルー』


『グランブルー』という映画をみた。

リュック・ベッソン監督の、ジャン・レノとヴァンサン・カッセルが初共演!と確か書いてあったから、気になってみた映画だったと思う。この二人がタッグを組んでいる『クリムゾン・リバー』という映画があって、そのグロさと展開の早さで全くついていけなかったんだけれど、疾走感だけはあって面白かったという印象の映画、その2人が一緒にやっているというのが気になって見てみた。

実際には、ヴァンサン・カッセルはわき役で、共演はしているけれど、という感じ。

そういうところ、ちょっと想像していたのと違ったけれど、この映画はものすごく面白かった。好きになったね。


この映画を見た正直な感想として、そういう友情もありなのかと思った。
実在の天才ダイバーをモデルにしているというジャック・マイユールというキャラクターは、
父親が自分の目の前で、海で溺れて死んだということが彼にとって水を恐怖に思うトラウマになるのでなく、
むしろ溺れ死んだ父親がイルカになり、
彼自身も人間ではなくいるイルカが家族となって
イルカに本当の信頼とか情、愛を重ねていく。

だから彼は海が一番落ち着く、自分が帰属するべき場所だと信じるし、
彼の友人であるイタリア人ダイバー・エンゾは性格があれだけ違っても、
同じように海で生きてきたことをアイデンティティや誇りにしていて、
必ずしも同じ道をたどっているわけではないけれど、
ジャックと同様に海に自分を帰属させる。

そういう不思議な友情というか、
片方は自分をイルカだと思い、
もう一方は自分をれっきとした人間だと認識していて、
それでも深い海に抱かれた二人が心を通わせるというのはすごく興味深いストーリーだった。


映像も、オープニングの白黒の海というのも、すごくきれいな絵になっているし。その他にも、普段は見れない幻想的な海の画をいくつも見せてくれる。
ジャックが最後、ベッドの上で溺れていくシーン私の中で、私の大好きな映画「ALL THAT JAZZ」とかぶった。全く違うテーマ、表現をしているはずなんだけれど、死に直面した時に素直な自己がどちらも表現されているようで、不思議なことにこの瞬間にイメージがダブった。




ところで話の筋とは全く関係ないけれど、途中で日本人の潜水チームが出てくる。日本人が見るとなかなか笑えないところだと思うんだけれど、世界の人たちから見ると日本ってこういうイメージなのかと、がっかりする日本人って少なくないだろうなぁ。私たちにとってはあまりにもシュールで、といいたくなるけれど、外国、特に(敵にしろ見方にしろ)一緒に世界大戦をやり、戦後日本の驚くべき経済成長を見ていた国からしてみれば、日本人の団結力というか協調性、今回の震災でも決して自分の利益よりは集団としての団結力をという面が最初に目につくものと思われる。欧米人たちにしてみれば、日本人のそういう部分がすごいと言いながらも、日常の中では個のなさとか、どこまで行ってもまず組織でなければ何もできない日本人を軽蔑しているところもあるのかもしれないなー。
そして、何よりも驚くのは、日本人があそこまでのナショナリストと思われていること。この部分を見るにつけ、世界大戦を戦う日本の姿を見ておそれを抱いた国の精一杯の皮肉という表現方法なのかも知れない、と思う。ちょっと複雑なメガネで日本のことを見ているのかも知れない。

『ミクロの決死圏』



『ミクロの決死圏』という映画のタイトルをなぜメモ帳に書いておいたのか、きれいさっぱりと忘れていたために、どうしてその映画が見たいのかも分からないままDVDを借りて、見てみた。

あらすじとしては、脳の奥の血管を手術するために、人間を小さくしてボートに乗せて、人間の体内に注射するというもので、古い時代のSF映画だ。映像以上に、その演出や効果音がこの映画のクラシックさを実感させる。とはいえ、オープニングはセリフなしで進んでいくので、そういう部分は面白い試みだと思った。

映画がしばらく進んで、人の体内を移動するためのボートが登場したときに、「あぁそうだった」と思った。何のことはない、その映画の話になったときに、必死になって語っていたのはあの地図だ。壁に円柱型の穴がいくつも空いていて、そこに丸められた地図がいくつも収まっているという。たかがそれだけのことをみんなが集まったときに話して、私はそのタイトルをメモした。結局のところ、なぜその地図の話をしたのか、何が面白いと言っていたかも全く覚えず。
自分で選んでいたら絶対に手を出すことのない映画だったから、ユニークなものは見れたのかも知れない。
昔のSF映画の描写だから正直言って鈍臭いんだけれど、そうは言ってもこういう映像を作るという試みは斬新だったのかも知れない。今では手術シーンが割とリアルに再現されていて、というか実際に手術している最中の映像を使うこともあり、動く心臓をブラウン管で見ることも珍しくなくなったけれど、血管や内臓をもっと小さな目で、というか人体を一つの宇宙、世界と捉えて作られている映画というものはあまり見たことがないから(そう考えるとこの映画もありきたりなSFになってしまうわけだけれど)、SFのなかでも珍しい部類に入るのかも知れない。ちゃっちい作りではあったかも知れないけれど、意外と血管や肺とかいうものは小さな目で見れば、ああいうものなのかもしれない。

そういうところ、革新的な映像を作っているのかも知れない。

関係ないけれど、個人的に深刻なこと。アナログ放送も終わって今日び、むしろ珍しくなっていくのはブラウン管のほうだ。メディアがこうも多様化したときに、それをざっくりと表現する方法って、いいものがあるだろうか?それとも細かく、「プラズマテレビで見た」とか「ネットで見た」とか言わなきゃいけないんだろうか?「ブラウン管」が死語になっていくと、ちょっと困るかも、と最近よく考える。

ヤバい経済学


昨日に引き続き、
『ヤバい経済学』

ご存知、数年前に流行った経済の本が映画化。
実は『超ヤバい経済学』という続きが出版されているけれど、
まさかこれが映画になるとは思ってもなかった。
インサイド・ジョブとは違って、
そこまで真面目にみる必要はないから気は楽
「あぁ、こんなこと考えて飯食ってるひとがいるのか~」って。
数字や小難しい理論が使われていなくて、
経済学を知らない人でも楽しめてしまう、というのがこの本のコンセプトの一つであった気がするので、
映画化するという路線は間違っていないのかも??


ここの段落は、めんどくさかったら飛ばして読んでね♪
ただ、この部分だけ切り取って「経済学ってこんなに面白い!」みたいな評価をしているのとかをみると、ちょっと困る。彼らはインセンティブを、身近な問題を取り上げる中でその理論を説明するけれど、これがあればこ難しいミクロ経済学やマクロ経済学がなくなるわけではないので。ミクロ経済学の中では、個人や法人(会社とか)がどういう基準で経済活動をするのか、という基本的なパラメータについて以前は、完全情報とか合理的な個人、ってものを仮定して話を進めていた。要するに、A店とB店で扱われている商品の値段や性能が完全に消費者には把握できていて。そのうえで消費者は最もコストがかからない手段を選ぶという…はっきり言って現実を無視した、そんなのありえない!!って仮定に基づいてミクロ経済を計算していたわけ。当然のことながら、そうやって計算したものと現実が全くかみ合わない。それで、その問題を解決するために、もっと現実的に、インセンティブ(誘因とか訳される)によって動く個人というものが考えだされている。一見、合理的な判断をしない個人はどういう判断基準で物事を決めているのか、ということを知るために、行動経済学とかの研究が進んで、完全情報でない状態(要するに、私たちが普段買い物をするときに与えられている程度の情報がある状態)に近づけて考えて、個人がその時にどういう部分を重視するとか、価格でないところでどういう判断基準を持っている(例えば、C店の店員は若くて美人だから男性客が集まる)などといったことを考慮して、個人の消費の傾向とかをつかんで店舗側は戦術を練ったりと。そういうことが最近の経済学では考えられてる。


正直な話、本を読んで理解できればまたわざわざ映画を見ることはない、っていうのがこの映画だと思う。
本の作者が制作にかかわっている、っていうか出演しているし、
だからなおさら、小説を映画するほどには本から映画になったときの
表現方法の変化はないわけだから。
本で読んだ以上の情報はないと思う。

それでも、相撲の八百長問題が取り上げてあるなど、
日本人には特に楽しめる映画になっていると思う。

私は相撲なんて今まで興味が全くなかったから知らなかったけれど、
映画では相撲のことを本当によく取材していて、
だからあれを見て私は相撲をスポーツと呼ぶ感覚が間違っている、
という論にものすごく共感した。

他のスポーツで、神にささげるためにやっているものが果たしてあるだろうか?
そういうことを考えると、相撲はスポーツではなくて祭りだ。
もちろんその事実が八百長やそのほかのスキャンダラスな隠蔽体質を許すものではないけれど、
まぁ他のスポーツと同列に語ることはできないんじゃない?
ただ勝った負けたを見るものではないんだなぁということを感じた。


そういうことで、日本人にとってはみる価値が特に大きい一本かもしれない

ヤバい経済学の話なのに、経済の話全くしてないね。
私は本が面白くて、その著者スティーブン・D・レヴィットという人が出演するとあるから、どんな顔をした人があの本を書いたんだろうと、そういうちょっと面白半分で見たんだけれど。
さっきも書いたとおり、映画は原作のまま。
この本(映画)のテーマは「インセンティブ」というもので、
「誘因」とよく訳されるけれど、動機づけみたいなものかな。
人を動かすもの。
心理学でよく使うのは「内発的動機づけ」「外発的動機づけ」だけど、
どう捉えるかという視点が違うだけで、同じようなものかな。
このヤバい経済学で取り上げられているテーマは、
相撲の八百長や名前で人生が決まるか、高校生の成績をアップさせる方法など、
一般的な感覚からは経済学という言葉に結びつかないテーマで、
そこをインセンティブという言葉を使って解説していくやり方は、
モラル的な面とか、別の見方をすれば納得できないことはあるかもしれないけれど、
面白いことは言っているから、
読むあるいはみてみてはどうかな?と思う。
話の内容だけ考えたら、本ののほうがいいかな。

ヤバい経済学

『インサイド・ジョブ』


数日前に、二本連続で映画を見た。

『インサイド・ジョブ』
と、
『ヤバい経済学』

二本続けてみて、全く寝なかった。しかもそのあと、フランス語講座。上級も上級、フラ語で政治の話をされてちんぷんかんぷんだった。
そんなに頑張った自分をほめてあげたくなる。
というか自分は、なんて社会派!!
経済関係の映画を二本続けてみた後に、政治の話をしてるなんて!

インサイドジョブという映画は要するに、
サブプライムローンだとか2008年の世界的な金融危機
そこに至る過程や、防げたはずの危機を引き起こした金融界の暴走を
インタビューを多く交えてかなりリアルに伝えている。

私の率直な思いとして、こういう映画が本当は一般庶民には理解できないでいい
というか理解できないでいてほしい。
理解できる頭があるとかないとかいう話ではなく、
金融危機を引き起こすにいたった金融工学のからくりなんて
一般的な生活を営むにあたっては全く必要がないものだし、
そういう目線から見れば、生きていくうえで全く必要のないものだった。
基本的な生活を営むための生産活動をしている間には必要のない発明だったし、
生産余剰ができたおかげで畑を耕さずに毎日、お金を数えていれば儲かるというのは、大地の恵みを頂いて生きている私たちにとっては本当は矛盾していることかもしれない。
それどころかいつの間にか、ないはずのお金を錬金術を使って生み出す人たちが
世界の経済を支配し、操るようになり、そればかりか2008年の金融危機で世界中を混乱させておいて、悪びれもせずに高給をとり続けている。

あの映画の中で細かく解説されているとはいえ、
やっぱり知識のない人にサブプライムローンがどうやって作られたとかなんで破綻したとか、
難しい部分はたくさんあったんじゃないかな。
とりあえず、そういうことをやっている人たちがとりあえず胡散臭くて、詐欺まがいのことをやって、
自分の利益を追求した結果として世界を混乱させたとしても構わないといわんばかりのスタンスで
金融商品を次々と開発し、売りさばいていったということだけ伝わればいいって映画なんだろうか?
テンポも速くて、ついて行きづらい映画だったと思う。

今の金融世界のことをちゃんと理解している人が世の中にどれだけいるかも疑問だし、
そもそも金融を理解する必要がないでしょ、普通の人には。
そういうことを考えたら、世界をあれだけ惑わしておいて
責任を取らない人たちを追求する映画は必要だとは思うけれど、
いい映画に仕上がったとしても市場は小さいかもしれない。

特に2011年は世界中がものすごくあわただしく動いているから、
2008年のリーマンショックとか金融危機というものに対して
今でも実感を持って怒りをあらわにできる人っているのか?
そんなことよりもみんな、ロバート・デ・ニーロ見に行くわけでしょ。
本当は今後も、金融業界の暴走を防ぐためにみんながこの映画を見て問題意識を共有して、
また同じような暴走をさせないように見張ってなきゃいけないはずなんだけれど。

最近、詐欺とかも複数社が関わって人をだます、
「劇場型」といわれるものが流行っているらしいけれど、
金融業界の人たちがやっていたのがまさにこれ、劇場型
そうやって堂々と詐欺をやって、
政府や学者たちも金融業界に買収されて、
眼の玉が飛び出るような高給をもらっていながら世界中を混乱させた人たちが
いまでも何もなかったような顔して同じようなことをやっているんだから許せない。
あれで多くの、つつましくも真面目に働いていた人たちが
何も悪いこともしていないのに、大きな被害を受けたんだから。
今後の金融業界の暴走を許さないためにも、この映画を見て勉強するべし!!と思う。

『インサイド・ジョブ』

飢餓は殺人に他ならない


昨日、出席したのを最後に、日仏学院のフランス語講座は夏休みに入ってしまった。
最後の2週は自分の都合で、一番上の会話のクラスに出させてもらったけれど、
アフリカに行っていましたというと結構な頻度で

アフリカのどういうところが魅力なんですか?

と聞かれる。

まぁそう聞く気持ちが分からなくもないけれど、
一度行ったあとでも基本的に私はアフリカに魅力を感じてない
アフリカに行きたいから行ったわけではない。断じて。
やり残していることがあるからもう一度行きたい、とは言っているけれど、
趣味で行こうとは多分、思わないだろう。
私にとってはヨーロッパや南米のほうがよっぽど、魅力的。

じゃあなんでアフリカに行ったの、ということは
理解してもらうのは大変な部分が多いと思う。
自分が考えていることとアフリカに行くという行動が
かみ合ってないということもうすうす、自分で感じてもいるし。

やっぱり一般的な感覚から言ったら、
貧困とか飢餓とか言ったら、アフリカのお腹が膨れて
あばらが浮いたような子供たちのイメージで、

助けなきゃ!
と思わず言いたくなるようなものだろうか。

私が考えていることは、全く違う。
現在、世界の人口は70億人ちかくと言われ、
一方で世界全体では120億人を養えるだけの食料が生産
されている。
一方で人びとが飢えて、一方で人びとは食料を食べる分もさることながら、同時に大量に廃棄する

『ありあまるごちそう』という映画の予告編でそう言っているのを見たけれど、

「飢餓は殺人に他ならない」

のだ、と私は考えている。
何しろ私は大学の卒業論文を最初、
日本人は何人殺している計算になるか
というテーマで書こうと思っていたんだから。
自分がもっとまじめで細かいところまでリサーチを徹底できる性格だったら、本当に書いていたかもしれないなー。
ま、その辺は置いといて、
私の言いたいことを代弁してくれているような映画がいつのまにかできていた。うん、ありがたい。
広島や高崎などではまだこれから映画を放映するところがあるみたいだから、
これはぜひ!見なければ。

最近の社会派映画って(それ以外の映画も?)、
映画が終わった後に、映画のHPのURLがよく出るから、
ホームページだけでもチェックしてみよう!!
『ありあまるごちそう』
『フードインク』
↑姉妹映画みたいなもの。主に食の工業化の問題をクローズアップ。
これも見ておきたい。


フランス語講座の一番上のクラスに行くと、文法とかを勉強することはほとんどなくて、
簡単なプレゼンや議論をやっていた。
自分が話したいと思えばどんどん会話ができるからいいなぁとは思ったけれど、
フランス語で政治の話をされても分からない。特にフランスの政治家とか。
あれはみんな、あんな難しい単語をちゃんとおさえて理解しているのかな?
だけど、私もお遊びでフランス語をやっているんじゃないから、
政治とか世界経済だとか国際情勢だとかぐらいは、フランス語で自分の意見が言えるまでになりたい。
日本に戻ってきて1か月も経たないうちに、フラ語でニュース見るのも嫌になったけれど。
オンラインでゲームみたいにフランス語が勉強できるサイトとかアプリとか、ないかな~。英語ならたくさんあるんだからさ。やっぱ、需要がないのかな???

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