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世界中が気になっている東北沖地震



ネットでやり取りしていたら、とある友人が「今回の地震のことが海外でどういうふうに報道されているのか知りたい」と言っていたが、その他の、このブログを読んでくれている人もそういう情報が欲しいだろうか。
と、これからさもアンケートでもとりそうな口振りで聞いてみたけれど、これから問答無用で私から見た海外における地震報道をリポートすることにする。

…とは言ったものの、知ってのとおり、ブルキナにいる私が集められる情報など微々たる物。少し前にもそこら辺のことには触れたと思うけれど、任地にいればネットはあまり使わない、テレビもない、ブルキナベたちの強い見方、ラジオも私の味方ではなく…職場で読むことのできる新聞は味方になってくれそうだけれど、どうも地震そのものの記事よりもそれについてコメントした大使の記事などが多く、地震そのものについてどういう報道がされているかを判断する基準にはなりそうにもないので…特殊なアンテナを取り付けてフランスのテレビを見れるところも裕福な家庭とか会社にはちらほらあって、その中では津波の映像など、本当にショッキングな映像もいくつもあったらしい。が、私は全くそういうものを目にしていないので。
そんな事情なので、私が集められた情報は主に首都に上がってから、ここ数日間必死にネットで集めたもの、ドミにおいてあった週刊朝日2011年4月1日号、週刊フライデー2011年4月8日号と首都中心街の本屋さんで買ったnewsweek2011年3月28日4月4日合同号(英語)と必死で読み漁ったフランスの雑誌、COURRIER International no.1063 2011年3月17日から23日号、同じくno.1064 2011年3月24日から30日号、L’EXPRESS International no.3115 2011年3月16日から22日号、Le Point no.2009 2011年3月17日号。おおよそこのあたりを少し詳しく読んだ。そのほかにも地震について報道する雑誌はいくらでもあったけれど、これぐらいが私には、フランス語的にも時間的にも精神的にも限界。

本題に入って、こちらで雑誌をぱらぱらとめくってみて印象に残ったのは、海外でも今回の地震関連のニュースがとても注目を集めていると言うこと。最近発売された雑誌の表紙という表紙が津波、被災した人々、原発の危機、日本の悲劇、という一色に染まっている。今までそういう光景をあまり見たことがなかった気がしたので、とても印象に残っている。リビアも大きなニュースになっているはずだが、ショッキングな写真と大きな文字でまず目に付くのは日本の悲劇、惨事、津波…といったキーワード。
そしてその中身を見ていけば、海外メディアは冷静な記事を書いていると言うことが目に付いた。というか逆に、日本の雑誌の記事は被害報道もしつつ、日本国民を励ましていく、あるいは被害を拡大させる方向に動いている東電や国の政策を批判するという、情報以外での使命感を感じさせる報道がされているという印象。日本の雑誌の、日本に関する記事が、今まではそれが普通だと思って読んでいたものが、こんなにも感情的に書いてあるものだったのかと、冷静な情報以外のいろんなものがたくさん詰まっているものなんだと、比べてみていて思ったこと。写真も、時期的なものもあるのかも知れないけれど、日本の雑誌では被害を写したものと同時に復興というキーワードを忍ばせたものも載せている。またそういうメッセージを届けるために、被災現場以外からも、例えば病院などといったところからもイメージを引っ張ってきている。人を撮った物が多い。
一方で、海外メディアは地震や津波・火災などの災害を直接写した写真が多い。だから私が本当に今回の津波の破壊力をビジュアル的に実感したのは、フランス雑誌に載せられていた写真を見たときだった。人よりも現場を撮っているという感じで、そこに移りこんだ人々もうなだれていたり途方にくれていたりと、震災を撮っているなと思わされるものが多い。写真のみでなく見出しに使われる言葉も記事も、震災の様子を冷静に描写しているものが多い気がする。それからふと思ったのは、日本ではどんなふうに報道されているか、受け止められているか、日本人にとっての注目のトピックは何かということも大きな注目を集めているようで、日本の新聞の1面や雑誌の表紙がいくつも並んでいるのを、私も興味深く眺めた。日本で海外のニュースを取り入れるときも、割と同じような感じなのかもしれない。
そして地震や津波の衝撃もひと段落したら、地震の1週2週後ぐらいから、原発について特に記述が多くなっていると言う印象を受ける。福島原発での事故を冷静に分析し、また放射能汚染の人体への影響や放射能から身を守る方法など、そういう情報を多く出してきている。フランスの雑誌を読んでいると、フランスは原発大国なので(フランスは電力の80%近くを原発に頼っている)、今回の事故は他人事ではなく、いつ自分たちの身に起こっても不思議ではない、というスタンスが読み取れる気がする。フランスのみでなく世界中の原発事情、場合によっては地震事情までを詳細に分析し、同じような危険性がある地域を指摘している。日本の雑誌を読む中では、当然ながらまさに危機が自分たちの身に降りかかってきているのだから「いったいこれをどうするのだ。私たちはこれからどうするのだ」という雰囲気があるが、海外の雑誌はそういうところを一歩引いて、もちろん福島原発の事故を分析しながらも同時に、フランスのみならず世界中の原発事情を今一度整理して、過去に起こったチェルノブイリをはじめとする原発事故を検証し、リスクや今後の対策も含めて論じている。フランス以外ももちろん同様の危機感を抱いている様子。
Newsweekはちょっと個性的な記事が多くて(並べてみたのがこういう組み合わせだから?)、写真だけではなく事象を象徴する様な絵を効果的に挿入していったり、『ゴジラ』や『アキラ』、『日本沈没』と言った日本の、ある種予言的な映像作品を取り上げて論じている記事を載せていたりする。日本人はおそらく世界で一番自分たちの国が崩壊していくというフィクションに触れている、と言われれば、納得できる気がする。滅びの美学見たいなものと結びつく部分もあるんだろうか。Newsweekは同じ号の日本語版がもう出てるかな、それともこれからだろうか。それを見たら、私のいい加減な報告よりもずっとちゃんと、何が書いてあるか分かるはず。
Newsweekは過去の核危機特集を組んだ号の表紙を網羅して載せていたりして、「自分たちは核の危機を常に監視しているぞ」ということをアピールしているんだろうか、あれは。

以上、雑ながらも日本の今回の震災が海外でどういうふうに報道されているかを自分で確かめた範囲内で紹介してみた。今回、日本の雑誌を意識しながら海外の情報誌を読んでみた印象として、改めて自分のことかどうかということで温度差がものすごくあるなと思った。日本はオリンピックの中継とかしていてアナウンサーが「頑張れ、頑張れ」と繰り返している、なんていう話は言われてみればアナウンサーとしてそれでいいのか?とか思いながらも、そういうのをずっと聞いて育っているからそう不自然とは思わなかった。だけれど今回の震災報道を見て、身内とか海外のこととか差はあって当然と思うけれど、例えばフランスの雑誌がフランスのことを書くよりも日本の場合、冷静な情報というよりも人々に語りかけている部分が大きいのかも知れない、と思った(本当にごくごく一部しか見てないから分からないけれど)。また、こんなに早いタイミングでこの震災と『ゴジラ』などの日本の映像作品を重ね合わせて論じることができるのも、海外というスタンスがあってこそかもしれない、とも考えた。

地震も原発も、多くの国にとって他人事ではない危機。日本の経験を糧にしようとしている国や地域は、日本人が考えているよりも多いのかもしれない。

続・放射能について




私は今まで、どうして原発のことを知ろうとしなかったんだろうと…いまさらになって思う。日本でもこれまで何度か事故があって(1999年のJCO燃料加工工場臨界事故など)、その危険性は目に見えていたはずなのに、大した興味もなく、深く知ろうともしていなかったことを後悔している。
福島原発での水素爆発事故、および放射能漏れのニュースを受けて、原発廃止の声が高まっている。核兵器廃絶を訴える団体もここぞとばかりに声を大にして原発廃止を訴えていて、私はその団体の人たちの雰囲気というか、反対する対象にはなんの躊躇いも遠慮もなく否定してしまう部分とか、異常というか必要以上に煽ったり、さも自分たちが寸分の疑いもなく正義と確信しているような批判対象に対する罵り方だとか、好きになれない部分は多くあれど…核兵器に対して私もネガティブに思っていることは間違いないことだ。広島に生まれた者として、あるいは広島を中心に活動する団体として、兵器のほうに特に注目するのはしょうがない。それに、どっちにしろ兵器のほうが攻めやすいのかもしれない。今回のような事故だとかがなければ。
その、あまり好きではない団体のメーリングリストで数日前にメールが来ていて、原発で働いていた人の文章が載っているホームページのURLが紹介されていた。ちょうど原発の事故のことで気になっていたし、もう少し原発のことを知りたいと思ってそれを読んだ私は、もうショックでショックで、他の何事もとるに足らないちっぽけなことのように思えてきた。誰かの不幸も別の誰かの誕生日も、もうそんなことを考える余裕すらなくなってしまうほどに…今まで何も知らなかった自分に本当に腹が立つと思うし、今、このブログを読んでいる人にも読んでいない人にも原発のことをもっと知ってもらいたい。もちろん、この人が書いている内容で完全情報というわけではないし、この人が書いていることがすべて真実かどうかも私には分からないことだ。が、ものすごく貴重な証言であることは間違いないと思う。
そのHPをここでも紹介します。それと、ネットのニュースで知った、環境エネルギー政策研究所のURLもかなり興味深かったので載せておく。

『原発がどんなものか知って欲しい』


『特定非営利法人 環境エネルギー政策研究所』


私は今まで、原発のことについてはテレビのCMで見るくらいのことしか知らなかった。テレビのCM程度のものというのは、地球温暖化が世界で一番大きなトピックだったときの、「原発は二酸化炭素を出さない、エコなエネルギーだ」という推進派の意見のこと。それ以外のことについてはただぼんやりと、でも同間違っても100%の安全性というのはありえない、というぐらいの浅い考え、知識だった。要するに、事故がなければ安全なエネルギーだと、鵜呑みにして信じていた。
でも本当はそうじゃないらしい。このことを、原発で働いていた人が書いた文章を読んで知った。本当に自分のそういう、無知で勉強しようとしない態度には嫌気が差してくる。
もちろん、今回のような事故があれば放射能は瞬く間に広がり、大きな被害をもたらす。だけど事故が起こらなかったとしても原発は、稼動しているだけで被爆者を作り出している。『k-19』は日本で、今までずっと起こっていた。そしてもちろん、今も。星の数ほどヒーローがいたとしても救えないこの世界の構造って、いったいどうしてこうなんだろうか。
原発で働く人は被爆を避けられないらしい。冷却水(海水)も放射能に汚染されてしまっている。そして原発の付近で生活する人々の間では白血病が他の地域の人たちよりも多く発生している。
こんな、核兵器よりももっと、今現在害悪を流し続けている存在があったんじゃないか。どうしてこんなに大事なことを、テレビのCMではちゃんと言わないんだろうか。
ブルキナには原発がない、という現実がうらやましくなった。原発がなくて電気に不自由しているブルキナの暮らしと、被爆者を出しながら湯水のように電気が使える暮らしだったら…?私は、絶対に前者がいい。電気に不自由しても、エアコンが使えない生活でも、誰かが被爆し続けているよりはずっといい。
友人も、原発を止められなかったこと、こうして事故が起こってしまったことに憤り、悲しんでいる。今の私たち、24、23歳。私たちが生まれる前から原発は存在した。その点については、何もできなかった。その分、これからは私たちが世界を作っていく番だ。その緊張感で、足がすくんでしまうのも事実。だけど、ただ時代に流されるのではなく、この波を言い訳にするのではなく、意思のない歯車になってしまうのではなく。本当に自分たちが次の世界に誇れるユートピアを作っていけるかどうか。
ちゃんと自分の目で見て、自分の頭で自分の幸せがどこにあるのかを探して、歩いていこう。必要以上に煽るのではなくて、冷静に考えて論じていくことでちゃんと答えが出せるように。

少なくとも、ひとつ分かった。
原発なんて、いらねーぜ!
そのためにもし電気が供給不足になると言うのなら、エアコンもパソコンも捨てる準備ができてる。

そして最後に。被災地で苦しんでいる方々、復興が一日も早く成り、心身の傷が早く癒されますように。被災地の救援活動に全力を尽くしている医療関係者、インフラや建設関係、原発職員、消防警察自衛隊、米軍、その他の海外からの支援者たち、ボランティアの方々、今回の災害復興のために活動しているすべての人に、感謝して。また原発事故に関して、これ以上の被爆者が極力出ませんように。

せめて自分の知り合いだけでも被爆しませんように…と願うのは、それもエゴだろうか。すこし心配している。

ブルキナにも自粛ムード広がる



さてさてこのブログを見てくださっている皆さんにひとつ、(私にとって)悲しいお知らせが。
当面の間(4月いっぱいを目処)、ブログの内容に制限がかかります。その理由については、おおよそお察しの通りだろうと思います。ブルキナからガスがなくなった、という話のときにも定期連絡の話を少ししたと思うんだけれど、ブルキナ隊員全員に毎週、定期的にメールでやってくる連絡があり、健康・安全などの注意喚起や出張予定など隊員活動を支えるための様々な情報が詰まったその定期連絡の、2011年4月1日号にて以下のような連絡があった。4月1日号とはいえブルキナ時間の話なので、このブログでは4月2日まで、世間の厳しい目から見て今「不謹慎だろう!」と言われてもしょうがない記事が載ってしまいましたが。もしそういう感想を持った方が折られましたならこの場を借りてお詫びをするとともに、3日に更新する予定だった3回シリーズの最終回については暫く延期する旨、ここに伝えておきます。
話を元に戻して、今回のことはもちろん、東北地方太平洋沖地震災害に端を発しており、日本全国にその影響が及び、原発での爆発と放射能漏れ、またそういう状況の中でODAや協力隊事業についても「現在のような緊急事態において、貧困国の支援よりもまず力(やお金)をかけるべきことがあるのではないか」という意見も聞かれる中での(私はなんて婉曲表現にしてしまっている?こんなんだから伝言ゲームは信用できない!)JICAの対応と言うこと。なので「ブルキナ隊の定期連絡で連絡があった」とは書いたけれど、おそらく世界中の隊員に同じ様な(あるいは全く同じ)連絡が届いているのではないか、と思われる。
本題に入って、ではいったいどういうふうにブログの内容に制限がかかってくるのかと言うと。定期連絡の文面を直接ここに載せる。誤解を避けるために。

当面の間(4月一杯を目処)、ブログ内容の公開は以下の点に留意する。
■ 任国の方々の地震災害にかかる反響や応援メッセージを積極的に収集し、執筆者自身の地震災害にかかるお見舞いのメッセージとともに公開可とする。
■ 純粋な「活動報告」や「文化・生活習慣紹介」のような新規ブログ記事の公開を見合わせる。

さて一体、どれだけの人がこのブログを協力隊のブログだと思って呼んでいるのかは、分からないけれど。少なくとも私はそういうつもりで書いている。協力隊とは何も関係なかったときからこのタイトル、このスタンスでやっているつもりで、このブログの執筆者が協力隊としてブルキナファソにいると言うことは状況に過ぎない。だから読んでいる人がどこまで協力隊が書いているブログとして受け取っているのか?個人的には懐疑的に思っていたりする。だけど、筆者の自己紹介の欄には間違いなく「協力隊22年度1次隊としてブルキナファソに…」と書いている。だから言い訳はできない。協力隊のブログを読んだ人から時々、税金で暮らしている者が公開する内容として不謹慎だという内容のクレームがくることがあると聞くから、自分が考えている以上にインパクトはある名札なのかもしれない、実感できないだけで。
私は、今自分がブルキナにいることに戸惑いを覚えたりする。どうしてこんな日本が大変なときに、自分はこんな遠くにいて、ニュースもまともに入らないような状況なのだろうかと…一方で協力隊春募集広告の差し止めが間に合わず、日本中が災害被害に苦しんでいるときに満面の笑みで「世界を救おう」というコピー入りの写真が出たことなどに大きな批判が集まり、「こんなときに世界とは何事だ」という意見が出ていることも知った。その話を始めて帰国した隊員からメールで知らされたときには「勝手なことばかり、何言ってんだ」って思った。こうして海外に取り残されてしまい、何もできないもどかしさを抱えている自分たちや、貧困国の人たちの気持ちだってあるって思った。
だけど、やっぱりブルキナにいて、ほとんどが広島の人と連絡とってたから、今回の災害について、本当にその深刻さが分かってはなかったと今になって思う。私は日本にいる間広島、静岡という場所にずっといて。東北には縁がなかったしね。そして今ブルキナの田舎町で、ネット環境が不十分な中で生活していて、思うようには情報が手に入らない。津波だとかキーワードは拾いながら、さらっと出てくるそういう単語にインパクトを感じなかった。加えて自分の知っている人には死亡者・行方不明者などはいなかった。家族や知り合いは西日本など被害が少ない地域に住んでいる人が多く、そういう人たちからの情報では、本当の深刻さからは一歩距離をとった形になってしまっていた。
私は今、首都ワガドゥグにいる。月曜(4月4日)からの健康診断に備えての上京。そして上京するときいつも私は、首都の情報インフラを頼りにしている部分が大いにある。特にこのごろは(ネットだけじゃないってこと)。
上京してドミに到着してすぐ、ドミのテーブルの上に無造作に置かれていた雑誌を見た。週刊フライデイの最新号。表紙に並ぶショッキングな言葉からは目が離せなかった。が、言葉なんて所詮その程度のものだったと、思い直した。ぱらぱらと2、3枚ページをめくって、巻頭に並ぶ写真を見て、最初は何の写真か分からなかった。写真の内容を少しずつ認識してきたときに、もう一度タイトルに戻って何の写真であったか確かめる。そしてやっと分かった。ネットの記事やその中の数字を何度頭に入れても、ここまでの光景は想像できなかった。被災地の写真を見てショックを受けた。信じられなかった。「こんなの、日本じゃない…」心のなかでそうつぶやいた。今まで無抵抗に受け入れてきたニュースを一度全部否定したい気分に襲われた。遅い遅い、気付き。
新しくブルキナに来たばかりの隊員にも話を聞いた。彼は語学その他の訓練を終え、駒ヶ根訓練所から帰宅するバスの中で地震にあった。そしてその後10日ほどの日本を見てからブルキナに旅立ってきている。彼によると、東京の駅なども蛍光灯や電光掲示板を止め、極力節電に努めている。コンビニからは食料品や乾電池などの品がそっくりそのまま消えてしまっている。そしてそれを見た、出国のために東京にやってきた西日本出身の隊員たちの驚き…。

今、改めて思う。どうして自分は今、こんな西アフリカの片隅にいるんだろう。貧しいところだけれど、任地にいても基本的に不自由はない。慣れきってしまったいまのこのインフラ環境、もともと不足がちの燃料、水、電気…それでも想像していたよりは安定はしているし、不足しがちでいることが前提だから一時的になくなっても困ることはない。なくなったときにどう対応するとか代わりに何を使うとか誰を頼るとかどれぐらいすれば戻ってくるとか、すこしずつだけれど掴んできた。急激な需要増と供給不足というのもないし。一週間ほど前に私の任地・ゾルゴにに来て泊まっていってくれた隊員が、水道・電気なし生活だけれど「以外と、居心地いい」と言ってくれた。気を使ってくれた部分もあるとは思うけれど、本当に、家に水道や電気が来てないことにそこまで不満は感じない。そういう生活に慣れてきた部分、そういう環境に適応した生活スタイルを作り出せていることだけじゃなくて実際問題、家にないだけで任地には電気や水道などのインフラはかなりしっかりと整備されているし、街ではあるし首都から遠くないということもあって物資も割と行き届いている。
村にしたってそうだ。電気・水道がないことが前提の生活。そういう環境を前提にスタイルをみんな組み立てている。電気はついで、あれば儲けもの、ぐらいの感じ。電気がないからと困ったりはしていない。だから、どれだけレベルの低い生活をしていて、一日1ドル未満で生活していて、いくら5歳未満児の死亡率が高かろうと、人間開発指数が低かろうと、今の自分やブルキナの人たちの生活を見て、場合によっては今現在の日本よりいい生活をしているのかもしれないと想像する。
津波が飲み込んでいった街の残骸などの写真には大きなショックを感じた。だけど雑誌を読んでショックを受けたからと言って、今、それなりに満たされているブルキナでの生活を切り詰めることはない。首都に上がってくれば、久しぶりにシャワーのノズルから暖かいお湯を浴びて、蛍光灯の下で本を読んでいる。洗濯機で洗濯をし、うちよりも整ったキッチンで、首都に上がってきたときの習慣になった、パイナップルを切る。うちよりも性能がいいガスコンロで料理を楽しむ。埃だらけになったズボンをクリーニングにも出す。そしてはしゃいで街に遊びに出かける。任地にいても同じで、普段と変わらず食事をして仕事に行ってご飯食べて本読んだりして、疲れたら寝る。
そういう自分の振る舞いにね、後ろめたさと言うものを感じたりはする。こんなときに日本を飛び出したままで、一体自分は何をやってるんだろうと思っている。日本にいてボランティアをやったほうがいいんじゃないか…って悩みながらも飛行機に乗って新たに海外に飛び出してきた人たちもいる。やむをえない(任国の事情とかで)日本に戻ることになり、東北でボランティア活動をすることにした人もいる。世界各地に留まり続ける意味を今、必死で探している。
同じ、4月1日の定期連絡に、ブルキナ隊からの東北地震災害への義捐金の合計金額が載っていた。JICAブルキナの関係者から全部で2,213,000FCFA、3,374€が集まったらしい。1€が119.71円として(2011年4月4日現在のレート)、403,901.54円。これ以外にも、自分でネットを通じて募金をしている人もいると思う。ブルキナ協力隊のメーリングリストでも、そういう呼びかけがあった。何もできない無力さをみんな自分で呪っているし、それでも我慢してブルキナや、世界の各地にとどまり続ける意味を必死で探している。

一ヵ月後には、溜めまくった言いたいこと、紹介したいことをこれでもか!ってぐらいに更新してやるからなァ!

市役所で誓いのキス



結婚式の2回目。私はもう疲れちゃってんだ。暑さでへばってる。
教会での儀式が終わったら、今度は市役所で儀式。これも新郎新婦から遠すぎてなにやってるのかよくわかんないんだけれど、役所の人たちの目の前で書類を書いてサインをしているのではないか、と思われる。と思ったら突然新郎新婦が立ち上がってキスしたりしてるんだけれど、何が起こっているのかよく分からない。

こういうところ。

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ここは会場が狭いので、ほとんどの人が外で待っている。
これが本当に暑い日で、ものすごく日差しが強く、容赦なく気温が上がった。小さな日陰にみんなが避難するものだから、シェルターももういっぱいいっぱい。

市役所の階段が、少しかわいいことになっていたので撮ってみた。

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そして市役所を出るときにやっと、新郎新婦がどんな顔しているのか分かった。
特に感想なし。

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カトリック・ド・ダサスゴ教会にて


友人の妹の結婚式に、遊びに行ってきた。(もうだいぶ前の話。ってこういうことをいちいち断るのも珍しい。)

よくよく考えて見たら、ブルキナに着いてからすでに半年以上になるのに、まだ葬式や結婚式のイベントを見たことはなかったなーと思う。
ちょっと雰囲気をあじわってほしいと思うので、短くて画質は荒いけれど、その様子を収めたビデオを載せます。

ただし、私がイメージしていたアフリカの結婚式とはちょっとかけ離れていて、首都で割りと近代的な生活をしている人たちの結婚式だったので、思ったよりも自分たちにも理解しやすい結婚式だったと思う。
実はこの一週間後に、村での結婚式にも行ったけれど、そのときには見ていてもよく分からない儀式が行われたり(残念ながら写真は取れなかった)、バイクのヘルメットを取られて「返して欲しかったらお金を頂戴」と言われて結局300フランぐらい支払ったり、その後に親戚や友人を集めた食事会があって、なんだか小さい頃に自分ちでも、何かあったら親戚が集まってこんな感じでご飯食べたなーとか思ったりした。
もしまた村の結婚式に呼ばれて、写真が取れたら。改めて紹介したい。
今日のは、ヨーロッパ風の結婚式。とはいえ、日本でもありそうで、何かが違う、と思ったりする。

ビデオは3回に分けて公開していくけれど、この3つを全部一日の中に収める。
つまり、私が見た今回の結婚式では、朝に教会で神に誓って、お昼に市役所で結婚を届け出て、お昼過ぎに披露宴、という感じ。


ということで一本目。教会での様子を紹介。
ワガドゥグ東駅近くにある、カトリック・ド・ダサスゴ教会にて。

かなり大きな教会で、その教会にあふれるほどの人が集まっていた。私は少し後れて行って、そのときにはすでに教会の中には入れないほどの人の山。たった二人をお祝いするためにこんなに人が集まるのかと思っていたら、なんといっぺんに10組のカップルの結婚式をやっているんだとか。そりゃ、人も多いはずだぁ。

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で、入りきらない人たちは外でおしゃべりしている。なんか、緊張感がない。
せっかく来たのに、あまりの暑さと人の多さと新郎新婦神父たちから遠すぎることから早々に興味が失せ、新郎新婦専用車の撮影に励む私。
たまーにこういう車が走ってるのを見かけると、ものめずらしくて振り向いて見たりする。多くの場合、周囲にまたたくさん車を従えているケースがほとんど。

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誰がこういうデコレーションをやるんだろうなぁ?果たしてこの車はレンタルかそれとも新郎新婦の私物か?ナンバープレートを隠すのにはどういう意味があるんだろう??と、疑問は尽きない。

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