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かまきり・コーディネート



先週の日曜日に、隣に住んでいる同僚と一緒に、村での衛生アニメーションのモニタリングに行ってきた。
街中から南に15kmほど行ったところにある村で、道がすこぶる悪いのには閉口した。こんなにタイヤをとられる道も久しぶりだった。同僚はこういう道に慣れているから、子どもをしょって3人乗りですいすいと走っていくから驚きだったりする。
お昼過ぎに家を出て、着いた村は電気、水道どころかトイレもない村なのだそうだ。唯一トイレらしいトイレは学校のものだけ。だから村の人たちは、木の陰とかで用を足していたりするらしい。
村に着いて椅子を出してもらい、座ろうとしたときに、すぐそばにあった木材にかまきりがいるのに気がついた。鮮やかな黄緑色をした、立派なかまきりだ。なんとなく子供心がわいてきて、かまきりとじゃれたりしてみた。そういえば昔、大学の近くで一人暮らしをしたときに、いつの間にか部屋にかまきりが侵入して、カーテンに卵を産み付けていたことがあった。それに気づいてあわてて卵を取り除き、孵化する前にその作業を終えたので大事には至らなかったが、そのあと卒業してその部屋を出るまで、カーテンの一部にかまきりの卵のあとの土色がいつまでも残っていた。それを見る度に、かまきりの細長い緑色の体を思い出していた。そのかまきりを同処分したかは、もう思い出せなかった。多分、ベランダから外に出したんだろう。
小学生のころにかまきりを見つけては背中から取り押さえようとしていたのは夏休み前後の夏真っ盛り、蒸し暑い、耳鳴りのようにせみの声がやまない日々だったと思う。さてそんな小さな頃には、まさか3月の中ごろにかまきりを拝もうなどとは想像だにしていなかった私。しかし暑いは暑いので、以外とその自分が24年間生きて培ってきた季節感とのずれになかなか気付かないものだったりする。こんなに乾いた大地で、よくもこうみずみずしい黄緑色に染まっていられるものだ、と思う。
そう、乾燥した大地。見渡せば一面、埃の色。ふとかまきりの向こうに見える頼りなげな木々を見て現実がよみがえる。かまきりの鮮やかな緑に比べて、あの木々の葉っぱの、どうしてこうもくすんでいることか。緑色ではあるけれど、わざわざ大雑把にサンド系の塗料を吹き付けたようにくすんでいる。そして空気中に舞う埃。雲なのか埃なのか、もう見分けがつかないが、朝晩は埃が多すぎて太陽が隠れ、日差しが大分に弱められるほどだ。日中の太陽をさえぎるほどの埃はないけれど。どうせなら、日中のほうに埃に頑張って欲しい、なんて祈ってみる、駄目でもともと。
時々不思議に思うのは、こんなに暑くて、人間はほとんどへばっていて、水を与えれらない植物たちもこんなに苦しそうな色を見せている中で、どうして虫たちはこんなに生き生きとしているんだろうか。いや植物たちだって本当は生き生きしているのかも知れない。特に、そろそろシーズンを迎えるマンゴーとか。
ただ、少なくともその運動量と色合いを見て思うのだ。虫たちはこんなに元気なのはなぜだ、と。
昨日、とある映画の中でアイルランドの風景を見た。憧れのアイルランド。なだらかな、表情豊かな丘に映える突き抜けるような青い空と、深く沈みこむような緑。そして目の前に一面広がるラベンダー畑。そこに一人の女の子が立っている。カラフルな女の子だ。その女の子は、大学で芸術を専攻しているという設定。様々な色を取り入れたコーディネートには独特のセンスが光る。バックのラベンダーに色が重なる帽子が気になる。合点のいく設定かもしれない。私はほとんどかかわりあうこともなかったので全く注意して見ていなかったが、大学の教育学部には芸術を専攻するコースがあった。友人によれば、――彼は寮に住んでいたから学内での友好関係は広かったようだし、いろんな学部の人たちを観察する機会にも恵まれたんだろう――芸術を専攻している人たちは大部分が、独特のセンスを持っていたそうだ。服のコーディネートも、全く理解不能なものから抜群のセンスと思えるものまで居たそうだが、そのセンスを隠すことなく表現する才能というのは同様に持ち合わせているようだ。
同じ友人と服を買いにデパートに出かけたとき、あるショップの店員はこういった。「自分やマネキンのコーディネートをするときには、最大で3色までしか使わない。それ以上の色を使うと、統一感がなくなって見栄えが悪くなるから。」こっちは無難なセンスだ、と思う。美人投票の原理みたいなものだ。大半の人はそういうのを見て落ち着いたりするだろう。だから自分のコーディネートとしてもそっちを選ぶだろう。
今日の自分の服を見てみた。シャツだけで3色ある。そのうちの、どれがメインでどの色が服従的で、というのがなく、3色が3色とも個性を主張している。それが長袖だから余計に、3色の主張が激しくなる。ズボンは落ち着いた黒のスラックスにしておいたけれど、やはり落ち着きのなさ過ぎる格好は避けようとする。だからシャツの3色に合わせて、中に来ているのは黄色のポロシャツ、靴は赤…日本なら「絶対に、無理」なシャツだ(シャツ以外も?)。パーツごとに好きなものを選んで組み合わせて見ると、そういうことになってしまう。私は割りとパーツでみてそれぞれを買うので、トータルでバランスが取れないことが多い。
ただそれは美人投票のことを気にしているからで、本当に自分にとって何がいいのか、どういうものが好みなのかを素直に表現すれば、雑誌の中でモデルがポーズを決めている、その服が可愛くないと思うかもしれないし、人から見れば奇抜なだけのものが自分にとってはクールでしょうがないかもしれない。それは分からないことで、「人から否定されたら喜びなさい、それはあなたが個性的だという証拠なのだから」という人もいるぐらいだし。
1週間ほど前に、かまきりとはちょっと色合いが違ったけれど、鮮やかな緑をまとった人を見た。時々、晩御飯を買いに行く先のマダムなんだけれど、全身緑と言うコーディネートだった。そのコーディネートは徹底していて、もちろんドレスも頭の布も緑だし、何より目についたのはアイシャドーの緑。ここまではっきりと緑を主張されたら、緑のアイシャドーなんでこんな全面に出して使う人がいるなんて思いもしなかったけれど、きれいにまとまっていた。ちなみにそのマダムは、次に見たときにはアイシャドーが緑ではなかったので、化粧もはっきりと服に合わせて変えてきている。あんな化粧ができるのはパリコレぐらいのものだと思っていたけれど…自分のイメージしたものをストレートに完全に表現できる力と言うのはすごいなぁと思った。
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ゴーマニズム宣言国防論~TPP参加は食料安保を脅かす~、SAPIO2011年3月9日号をよんで思うこと


日本の雑誌を久しぶりに読んだ。(ちなみに書いてるのは月末でも、読んだのは月はじめごろだからね。)雑誌どころか日本のあらゆる情報に飢えているこのごろなので、久しぶりに読むと、今日本がどういうことになっていて、みんながどういうことに関心を持っているのかが分かってものすごく面白い。今まで雑誌を読んでいても、ここまでその面白さと言うものを感じたことはなかったので、本当に感謝したい。そしてあぁ、本屋さんが近所に欲しい。
タイトルの通り、なぜかSAPIOの最新号がドミにあって、日本にいたときよりも夢中になって読んでいた。停電している時間も多かったけれど、携帯電話についている小さいライトを使って読んだりしていた。他の記事も面白かったけれど、やっぱり一番気になったのはこれ。
暫くみないうちに(訓練所に入ってから見なくなったから、一年近くぶり)、国防論というのが始まっていた。ということは、日本の言論状況も相変わらずなんだろうと思う。多分、テレビとか見ても相変わらずで、2年明けて日本に帰るときにも、大した抵抗もなく見れてしまうのかもしれない。国防と言うのも彼が今までずっと主張して来ていることなので、おおよそ言いたいことというのも分かる気がするし、世の中のどんな現象について彼が主張しているのかも、そう難しいことでもないと思う。

同じ時期のサンデー毎日も読んだのだけれど(サンデーの号数などは確認次第記載します)、小林よしのりもサンデー毎日もTPPについては全く同じ論調だ。ただしサンデー毎日は食糧安全保障以外の面からもTPP参加を批判していた。JICA事務所で新聞ダイジェストを立ち読みしたときには(まぁいろいろとすいません)逆にどの紙面も同様に『平静の開国』支持であったようだから、少し不思議な感じと言うか、釈然としない。納得できかねる部分は多いが、最近(に始まったことではない?よく分からないけれど)落ち目の菅政権が破れかぶれの打開策ということなのだろう。それに新聞が乗っかるのは、小泉政権のときと同じ仕掛けなんだろうかと想像してみる。

実は食糧安全保障という観点からみた日本の食料自給率の低さについて、雑誌を読む数日前に友人としゃべっていたときに、ブルキナベの友人もその点心配してくれていて、曰く「日本はそんなに食料自給率が低くてだいじょうぶなのか」と。食糧の輸出を外国が拒否したらどうするのかと。小林よしのりも土地をあさられる貧困国のことを描いていたが、日本の状況というのも、その貧困国の代表のようなブルキナファソの人までもが心配するぐらいに、異常な状況だということだと思う。今現在で日本の食料自給率は40%、TPPに参加すればこれが14%にまで低下するとサンデー毎日は推測している。が、現在の食料自給率にしたって、家畜飼料や野菜の種などはほとんど輸入しているという事実を考慮すれば、もっと低くなるだろう(農業省職員はブルキナべでもモンサント社とか知っていて驚き)。だからTPP参加後の自給率予想ももっと低くなるだろう。食糧安全保障の観点から見れば、今の時点ですでに非常事態だ。米以外は輸入がなければほとんど成立していないのだから。アメリカやオーストラリアで作られたとうもろこし(そしてもちろん、これは遺伝子組み換えとうもろこしの可能盛大)と食べて育った牛や鶏の肉を持ってして、胸を張ってこれらを「国産だ」と言って食べられるかどうか?サンデーの記事中で『TPPは賛成するほうが難しい、デタラメな議論』だと言っているが、私も賛成だ。

そういう日本政府の体たらくを批判して「日本はアメリカの51番目の州だ」なんて言い方をしたりする。もしTPPが成って日本の農業が大打撃を受け、みんながアメリカ産の米を毎日食べるようになったとしても、そのときになってまだ私たちは自分たちのことを「日本人だ」といえるだろうか。米もそうだが、日本人の国民職と言えば味噌汁。ブルキナにいる私に時々家族は日本食や日本のお菓子を送ってくれるが、その中に味噌汁は必ずと言っていいほど入っている。インスタントの味噌が入っているビニールの下のほうに、こう書いてあった。「このみそは遺伝子組み換え大豆を使用していません。」こう断ってある意味が分かるだろうか。味噌やしょうゆの原料である大豆はすでに、ほとんどが輸入。日本産の大豆を使えばわざわざそれを断ってブランド化できてしまう。世界がつながりあっていることを実感する瞬間は、どうしようもなくむなしい。


小林よしのりは言う。
『「TPPは、日本の田園と、田園によって支えられている環境の循環システムを壊す。…(略)…TPPは日本人の美意識の崩壊にまで結びつく、狂気の政策である。」』

ただ日本の米を食べているという事実だけでなく、米を作り出す環境そのものがすでに日本人の形成に大きな影響を与える。
私はその考えに全く賛成したいけれど、すごく不安になることがある。
ブルキナ隊で任国外旅行の話になったときに、多くの隊員がモロッコやフランスに行って「マック(マクドナルドのハンバーガーやポテト)を食べたい」と言っている。あるならもちろん、日本食やそれに近いものが食べたいと思っているだろう。が、それはそれとしてマックを食べたいという欲求があると言う。彼らが話しているのを聞いていると、「幼い頃によく食べた味が、大人になってからも食べたくなるらしいよ。だから子供相手の、おもちゃを配ったりなんかしてるんだって。」だから、そうおいしくもないと思っていても行きたくなるんだそうだ。そうしてマックを食べて育った子供たちが大人になって、また子供をマックにつれていくんだろうと思うと、この循環システムは怖い。本国アメリカでマック相手に女子高生が裁判起こそうと、毎日マックを食べて病気になる映画が作られようと、どうもこれが変わる気配はなさそうだ。思うに、食料自給率が伸び悩むのは、また工業側がTPPに賛成するのは、そういった側面、つまり文化的に、それも根の深いところからすでにかなりアメリカに侵食されているって事実もあるのじゃないだろうか。田園風景に裏打ちされた美意識を持っている日本人と言うのは、もうかなり減ってきてないだろうか。ただの田園風景だけでなく、稲作のサイクルに基づいた祭りなども、こう書いている私だってよく知らない。茶摘の歌もあったけれど、ああいう歌に出てくるような細かい日本の季節感を、感じることなく鈍感に過ごしている。米だってブランド志向で、地元で取れた米を味わっている人と言うのはそう多くない気がする。少し前に、隣のコミューンに出かけてそこで食事をした。米を食べたが、ひどくまずい、と思った。「この米な、このあたりで生産したものなんだ。」そう嬉しそうに言った友人をうらやましいと思う。


日本人であるってことは、ただ国籍を持っていればいいってものじゃないと思う。ハンバーガーとポテトばかり食ってて毎日洋服ばかり着て、「武士道精神が語れるかってんだ」。日本人であるってことは、日本の歴史と文化を体現するってこともすごく重要なことだと思う。だから、たとえば江戸時代の日本人がどのようなものを食べていたかとか、そういうものを尊重して、自分たちも同様の食生活を辿って見ることは、日本人として大事なことじゃないかな。今でも武士道が日本の精神だと思うならね。

小林よしのりは日本における稲の存在感について古事記の、ニニギノミコトが稲を託されるシーンから考察しているが、神話や宗教で大切にされていることと言うのは私も尊重するべきだと思う。ちなみに小林よしのりのみならず、サンデー毎日では田んぼの写真に「日本聖域・コメも危い」とでているあたり、思わずにやりとしてしまう。ヒンドゥー教でなぜ牛が神聖な動物とされているかという問題について、ヴァンダナ・シヴァはインド人にとっての牛の生活(生産)面での重要さがまず影響していたと説明する。日本でも、小林よしのりが取り上げた古事記の一説の意味と言うのは私たちにとって小さからぬものがあって、だから当然ながら日本人が米を中心とした食生活を営んできたということには日本人の生活や精神を語る上で欠いてはならないものなのだと思う。だから、米を食べることのみでなく、米を育てることにも、日本人として大切なものが宿っているのではないだろうか。

コンポスト


子供たちとコンポストを作って見た。

学校菜園をやっているところで、肥料がほしいという要望があったのでコンポストをやって見ることにした。コンポストを広めていくと言う構想は暫く前からあって、遡れば10月に先輩隊員の活動見学に行ったときに「やって見たら?」と言われたことだった。そのあと、任地の近くで実際にコンポストを作っているものを見せてもらって勉強し、生ごみだとか生産性の向上だとかということよりも、個人的には町中、村中にあふれる動物たちの糞の行き場がこれで見つかった気がしたので、なおさらやって見たいと思っていたところ。今回は小学校でやったけれど、もしもこれがうまくいったら小学校を通じてか、自分で直接か、とにかく村人にも広めていきたいと思っている活動。


リクエストがあったときに「じゃあやろう」と言って、一ヶ月前から決めて、一週間ぐらい前から事前に材料を集めてもらって、村にたくさんある動物の糞や粟の糠、枯葉とかを集めてやってみた。
この活動で、久しぶりに自分の写真を撮ってもらったので、これまた久しぶりに自分の活動をここで少し、報告しようかと思う。カメラを任せた人が、頼んでもないのにわざわざプライバシーに配慮してくれて、顔の上半分は写っていない、こんな写真ができてた(笑)。Tシャツに手ぬぐいに(写真には写ってないけれど)足袋はいて、もうやる気の格好。

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コンポスト実習は校長先生、二人の保護者が手伝ってくれて、まずは目的と作り方を説明。自分で作ったプリントを見ながらしゃべる。そのたどたどしいフランス語を校長先生が、モレ語に訳してくれる。村の子供たちはフランス語を勉強してはいるけれど、家に帰ったらモレ語。フランス語を実際に話す場所があまりないから、学校でフランス語をやってもしっかりとは身に着かない子供が多いんだって。それで、フランス語が多少は通じるけれど、基本的にモレ語をみんなしゃべる。


説明を終えて、早速作ってみることに。
最初に植物性の枯葉や糠を敷き詰め、その上に動物の糞を並べる。で、水をかけて湿らせる。その繰り返し。実際の作業は大部分を子供に実際にやってもらい、覚えてもらおうとおもったが…いかんせん子供が多すぎて、実際に作業しているのは10人前後。残りの子供たちはおしゃべりをしていたりじゃれあったり、座り込んだりする子もいて、なかなかみんなに話を聞いてもらうのは大変だった。また教室みたいに、端っこから全体がきれいに見渡せるって状況じゃないしね。先生もなかなか大変みたいで、「来週テストに出すからな!」とか言って、何とか子供たちをコンポストに集中させようと頑張っていた。

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さてさて、そんなこんなで何とかコンポストを作って見たはいいけれど、最初の不安は「果たしてこれでちゃんとできてるのか?」ってこと。いまひとつは、うまく維持管理していくために温度と湿度のコントロールが重要なんだけれど、それをキチンとやっていくかどうか。コンポストをブルキナベと作ったことがある先輩隊員は「結局、私がいなきゃ湿度管理とかちゃんとやらないからね、できないんだ。」って言ってた。なんか心配だなー、頻繁に見に行かなきゃ駄目かな??とか思っていながら結局2週間、見に行ってない。ほったらかしだ。今度、ちゃんとみにいくよぅ。

Thé en bonheur




お茶を入れるのがへたくそな女性がいた。
それも、よく思い出してみたら一人じゃなかった気がする。はっきり覚えているのは一人だけ。そしてそんなことが突然、懐かしくなった。2週間も一緒に生活したなんて、今でも信じられなくなりそうだ。あの人も、ペットボトルのお茶ばかり飲んでいたんだろうなと、想像している。急須の中を、お茶っ葉でパンパンにした人。私が3回ぐらい出したお茶っ葉を急須から出してそばに置いておいたら、それを見てものすごくにやついて
「あれー、お茶っ葉入れすぎちゃったの?」
と聞いてきた。
「そうなんだよ、間違えちゃった」
と言ってあげればよかったなと、あのちょっと寂しそうな表情を思い出して、そう思う。

ブルキナで生活していて抱える悩みのひとつは、お茶。
ブルキナはフランスの植民地だったところで、「フランスパンがおいしいよ」と聞いていたので、勝手に早合点してフランスのおいしい紅茶にもブルキナベたちは理解があるものだ、と来る前には思っていた。だから首都には紅茶の専門店がひとつ二つぐらいはあるんだろうと期待していた。が、来て見てびっくり。専門店なんて影も形もないし、大きなスーパーに行っても紅茶コーナーは小さなもの。そしてそのほとんどがティーバッグ。ティーポットもあまり見かけない。多くの人たちはグラスで熱い紅茶を入れ、飲む。
こちらで主流のお茶はLiptonか、thé chinois(中国茶、ゆっくりと長い時間かけて何度もグラスとポットに移し変えたりしながら入れ、濃く出したものに砂糖を大めに入れて少量を飲む)で、それも都会が中心。友人の家や田舎に行けば、人をもてなすために出すのは水かドロゥ(モロコシを原料にしたビールみたいな飲み物)か粟のジュースなどで、お茶の文化にはまだまだ理解がない様子。日本で江戸時代に水因性疾患が少なかった理由としてお茶を飲む習慣があり、お茶を飲むために水を沸かし、そうすることで水の中の細菌が死滅し、病気が防がれていたと言う話を聞いたことがある。最近、日本で甘い飲み物よりもお茶がはやっていることについては、嗜好に加えて、CMとか見る限りその成分とかの意味で体にいいものを選んでいるということだと思うけれど、また別の意味でもお茶は昔から日本人の健康を守ってくれているものだったりする。
お茶を飲む習慣というものにそういう意味があるのだから、衛生的な飲み水の確保をミッションとしている私としては、村でもみんながお茶を飲むようになってくれればいいなぁと思っている。ただ「沸かしたほうが好ましい」と言ったってコストがかかるし、暑いところで熱いお湯なんか「飲めない」と言われるのは分かってるし、だけどお茶が定着すれば、沸かして飲む習慣が少しでもついてくるんじゃないかと思ってみる。味や香りを加える分、塩素も勧めやすくなる気がする。ただ、アニメーションをやったりすると「お金がなくて石鹸が買えない人はどうしたらいいの?」という質問が村では平気で出るから、村人にはまだまだ苦しいのかなと思う。いっそのことブルキナでお茶を生産してしまえば、と思ったりもするけれど、まさかそんな知識や技術が自分にあるはずもなく。買って飲むのは得意なんだけれど。

話は戻って、来る前にはブルキナにもフランスのお茶文化がいくらか入っているものと期待していたから、お茶に関するものは大体なんでもブルキナで手に入ると思っていた。だからお茶もティーポットもカップも何も持ってこなかった。それが大きな誤算だったわけで、週末の午後はうちでのんびりお茶して過ごそう、なんて赴任前には思っていたのに、お茶を楽しむ環境と、楽しめるようなお茶がないので、ほとんどお茶らしいお茶を楽しむこともなかった。お茶を飲むことはままある。だけれど、色とか香りとか、もっと時間をかけていたものを楽しんではいないなぁと思う。それでお茶がしたくなって、スーパーに行ってティーポットを探したら、金属製のポットが3つセットになったものが30%オフで置いてあって、ちょっと考えて買うことにした。ドミと任地と両方で楽しめればいいからひとつ余るな、と思っていたら、ちょうど「私も任地でお茶がしたい!」という人が現れて、喜んで余ったのを持っていった。うまくおさまったなーと思う。
もしも、日本のようにペットボトルのお茶が手軽にコンビニとかスーパーで買えたなら、どうするかなぁとちょっと想像して見る。レストランに行ったらとりあえず、ジュースとかよりもお茶を注文したい。気軽にお茶がのめることの喜びはある。ドイツに行ったときに、「自販機であったかい紅茶を買ってね、…」なんて話をしたら驚かれた。熱いお茶が入った缶なんて持てないでしょ、と言われたけれどそれでも持つんだ。もって飲むんだ。以外と、これが癖になりそうだったりする。だけれど、自分でお茶を入れるときの、ずっと茶葉を眺めていたり香りを楽しみながらころあいを計るようなことをする時間はなくなっていくなぁと思ってみたりする。昔のドラマで、OLとかがお茶を入れて会議室とかに持っていくシーンを時々見かけたけれど、今でもやっているんだろうか。講演会とかに行くと、パネリストとかにはペットボトルのお茶か水が配られるのをよく見る。あれが正直な話、落ち着かないなぁと思ったりする。いちいち乾いたのどを潤そうとするたびにパネリストがペットボトルのふたをくりくりひねって開けたり閉めたりするのを会場一同が眺めているのも、間抜けなワンシーンだと思う。

それに、自分でお茶を入れるとね。お菓子だってその場の雰囲気だってもっと大事に味わって消化する気がするんだよ。

『日本語か英語か、それが問題だ。』


ブルキナべに囲まれて9ヶ月ほどを過ごしたある日、何気ない会話の中で、一番ショックを受けた一言に出会った。
「日本の公用語は英語じゃないの?」


ブルキナベと日本の話になったときに、日本の知識がある程度はある人が多い。学校で日本のことをある程度は勉強するみたいだし、車やバイクや電化製品の有名なメーカーがブルキナにも進出していて、ブルキナベたちにとっても普段の生活の中で身近に感じることのある国ということなんだと思う。ただ、実際に日本に行ったことのある人がたくさんはいないこと、加えてブルキナという国を基準に考えるところから誤解をしている部分と言うのは多分にあって、そういうブルキナベたちと会話していて私が一番気になるのは、「日本ではみんな日本語をしゃべっているよ」というと、みんな一様に驚くことだ

日本と言う国で生きていくのに、日本語ひとつがあれば十分と言う事実は確かに、ブルキナベやその他の多言語(多民族)国家の人々にとっては不思議な事実かもしれない。ブルキナの場合、民族が60あまりもあって、現地語もいくつもある。一番主なのはモレ語だけれど、西側ではデュラ語とかボボ語、東の民族はフルフル語をしゃべったりする。それらはお互いに方言のように同じ単語、文法で語尾がちょっと違う、というものではなくて本当に別言語。そしてラジオなんか聞いていると、そういう主だった現地語のチャンネルがある。もちろん公用語としてはフランス語があり、テレビのニュース番組なんかはほとんどフランス語。

そういうブルキナべにしてみれば、日本の言語情況というのはちょっと変わっているのかもしれない。確かに、「どうして日本語しかないの?」とか「公用語は英語じゃないの?」という疑問がわいてくる余地と言うのは…あるのかもしれない。ブルキナの公用語がフランス語になったのは、フランスの植民地になったからなワケで。もしもフランスの植民地にならずに近代国家になったとしたら、文字はアルファベットを入れたかも知れないけれど言葉としてはモレ語か何かを選んだかもしれない。
まぁ「もしも」は置いておいて、西アフリカの小さな一国として、あるいは一地域として、そうやってフランスの植民地時代を過ごし、フランスの言語、文化、政治体系などを取り入れて、現地語、母語というものはそれとしてあれど学校ではフランス語を習い、公式の場ではフランス語でコミュニケーションをとっている人々にとってのフランス語、あるいはヨーロッパ言語の存在感というのは以外に大きいのかもしれない。「ブルキナにはモレ語があるんだ。モレ語をしゃべるんだ。」と大きな声で言う人はいる。だけれど一方で、ヨーロッパ言語が世界のコミュニケーションツールとして席巻していることを、まず誰よりも感じているのかもしれない、この人たちは…と思った。

戦争をやっていた時代に外国語を学校などで学んだ人たちの文章を読むことが時々ある。すると、今とは状況が全く違うことが分かる。今の日本の学校では、小学校から高校まで英語、英語、英語だ。大学でも英語が必修のケースは多いと思うし、その他の場面でも外国語を勉強するといったらまず英語と言うイメージだったりする(TVの外国語講座のCMとか)。ところが敗戦前。英語は主流ではなかった。かといって何語が主流だったと言うわけでもなさそうだけれど、世界の主だった国々の言葉は広く学ばれていた。戦争をする相手の国の言語はよく学んでいたという話を聞くが、日露戦争前後はロシア語が多かったとか、陸軍ではドイツ語とフランス語をやって、英語は海軍のものと言うイメージだったとか、なかなかに興味深い。文化人類学的には同価値であるのかもしれないけれど、市場の原理からちゃんと優劣はつけられている。
今、日本で英語をまず勉強するのは、おおよそ二つのファクターによると思う。一つ目はアメリカとの密な関係、いまひとつはネットワーク外部性(共有することで価値が上がる、例えば電話。自分だけ持ってても価値ないでしょ)。敗戦後、アメリカに占領・統治され、独立後も日米安保など、政治的にも経済的にもアメリカとの関係が日本にとって最重要であること。それから、アメリカが世界の主導権を握ったことで英語のプライオリティが上がり、米ドルのようなもので、世界中のみんなが英語を学び、こちらも英語を学べば世界中のいろんな人とコミュニケーションが簡単に取れると言うこと。

そういう状況を考えたら日本も、日本語を話すのが当たり前の状況ではないのかも知れないなぁと、考えて見る。
一度占領されたと言う事実がある、第一外国語としてはほとんどの日本人が英語を学ぶ。そういう事実はある。だから、同様にフランスの植民地になり、フランス語を勉強してフランス語を公用語としている人たちが、日本についても日本語ではなく、英語を公用語としていると誤解するのも不自然な話ではないかも知れない、と思った。
私は、日本で胸を張って日本語を話し、書き、読み、聞くことができる状況というのが改めてものすごく幸せなことかも知れないと思う。外国人だって、日本に来たらとりあえず日本語を挨拶だけでも勉強して、日本語を話そうとしてくれる。ブルキナに来て私は基本的にフランス語。「だって公用語でしょ」と思っていたけれど、意外な一言からブルキナベたちの受難が読み取れたのかも知れない。

In a sentimental mood



ブルキナでまさか、ライブが楽しめると思ってなかった。
それも日本人の、アルトサックスプレイヤー。
2年間は我慢しなきゃいけないだろうと泣きながら覚悟していたまさかのJAZZのライブが3月8日、ワガであった。

実は私はそのことを2,3日前まで全く知らずに首都に来た。首都に着たらいつもそうするようにJICA事務所に来てみたら、絵はがきが一通、届いていた。ウガンダの同期隊員からで、住所を知らせた覚えはないのにどうして知ってるの?と疑問は消えないまま、まぁなんでもいいや、せっかくこうしてはがきを寄越してくれたんだから返事を書こうと思って、そのときには他にも何通か手紙を出す準備をしていて、だからついでにまとめてと考えて街中のお土産やさんを何軒か回っていたら、そのお店の扉に貼ってあったポスターを見た瞬間にもうびっくり。日本人の女の子が、サックスを抱えている写真!!何事?なんで、どうして?何があったの、いや何があるの?と瞬間に右往左往して、ライブのポスターだと言うことを何とか理解した。それでお店の人に聞いたり会場に問い合わせたりとわらわらして、ライブがあるのは2、3日後でチケットの販売はなく、当日直接行けばいいということを確かめ、よし行ける、てゆうか絶対に行こう、とその場で決意したという次第。

街中で運よく見つけたポスター。
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そのときは必死に駆けずり回ってたからぜんぜん気にしなかったけれど、よくよく考えたら自分がそのポスターを見ることができて、ライブを楽しむことができたのもウガンダからの一通のはがきのおかげだと思うと、なみたいていの感謝では足りない気がした。いや感謝と言うか、運命みたいなものを感じた。私を救ってくれるという使命を抱えて、ウガンダから飛んできてくれたんだなんてふうに考えたりして、ブルキナベの癖が移ったかな、キリスト教徒でもイスラムでもないけれど、「Dieu merci(主よ、感謝します)」と口に出してしまいそう。

ライブ会場のワガ、CCF。
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そして3月8日の夜、ブルキナでまさかの至福の1時間半。
プレイヤーは寺久保エレナという人で、北海道出身の19歳。ものすごく若い、と思うけれど、矢野沙織も高校生プレイヤーとしてブレイクしたと思えば、そうやって才能を発揮するチャンスを大いに与えられた人の演奏を聞けると言うのはものすごくうれしい。将来にわたってね。それから、最近思うのは、若くしてJAZZに出会っている人たちというのはすごく幸せなんだろうな。私も小学校・中学のころから聞いていたかった。と、今になって思う。

さて、私は寺久保エレナというひとの演奏を聞くのは初めてで、どんな曲をどんなアレンジで聞かせてくれるのか全く分からずに緊張して、しかし最前列のど真ん中というポジションで開始を待った。そわそわしていると、午後8時30分の開始予定から10分ぐらい遅れてライブが始まった。隣で見ていた友人は、プレイヤーが登場した瞬間からの緊張してこわばった表情がよほど印象に残ったらしく、しきりに「あの子、緊張してたね」といっていた。そのくせ最初から全力疾走で、一曲目からいかにもごっつい、JAZZらしすぎる曲から入り、また一曲目からソロとかもやりまくってるから、しかも特にソロの時にはサックスを構えた体を必要以上では、と思うぐらいに派手に大げさに動かす。こっちはどう構えていいのか分からないところからはじめてるから、最初の2曲には戸惑うばかりで乗り切れず完全に置いてけぼり、正直な話、興ざめして引いていたぐらい、3曲目あたりからだんだん暖まってきたようで、楽しんで聞けた。でもやっぱり、最終的に不完全燃焼だった。

ライブの様子。
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私は好きだけれど音楽のことはよく分からないし、だから彼女にどれぐらい才能があるとか全く分からない。ただ、想像していたよりもずっと迫力のある音が出るなぁと思った。ただ、外国での演奏と言うことも手伝ってか、エンターティナーとしてはまだまだだ、というのが今回の感想。私だってそこまでライブに通ってるわけじゃないしね。
すごく楽しませてくれたし、サインもちゃんともらうことができたし、ブルキナにいて何よりもエネルギーをもらえたイベントだった。
私が日本に帰るころ、どんな演奏を聞かせてくれるか楽しみにしてよう♪

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