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自由・ユニーク・ジェルネイル


ブルキナにも、マニキュアがある。
それが一本300フラン前後(日本円になおすと60円ぐらい)と、まぁおおよそ誰にでも買えるような値段で売っている。

だから、爪にマニキュアを塗っている女性は多い。
が、一方で、爪にマニキュアを塗っている男性はほとんどいない。誤解のないように言っておくと、実はマニキュアをしている男性を二人ほど見た。一人は左手の小指だけだったのでおおよそ、奥さんに練習か何かでやられたんだろうと思う。強制的に。が、もう一人は右手の五本の指の爪すべてに塗ってあった。色はちなみに紫。両方とも、ゾルゴで。


まぁ色々あると思うけれど。なんにせよこちらでも、爪に色を塗るのは女性のおしゃれという偏見が通っている。駒ヶ根での語学の先生は「『アーティストだから』って言えばそういうもんだってみんな思うよ、納得するよ」と言ってたけれど、やっぱりそこまで楽じゃない。日本でこそちらほらと「バンドとかやってるんですか?」と聞かれたものだけれど、こっちのアーティストってどちらかというと職人というイメージで、もっと世界の常識を破ってイマジネーションを膨らませるような…存在ではなかったりする。そこら辺の、納得してもらえる説明も手探りしてたりする。


だからゾルゴに配属した当初(8月9日に配属した)は私の爪を見てみんなが「そりゃ、女のすることだ。外したほうがいい。」と言った。分かりきっているその後の問答の様子は描写するに及ばないと思う。誰の言葉だったか忘れたが、こう言った人がいる。「みんなに否定されたなら喜びなさい、それはあなたがユニークだという証拠なのだから。」そして8月終わりの土曜日に、ネイルをやり変えた。



私のやっているジェルネイルは、UVランプで紫外線をジェルに当てることで固める仕組みになってる。つまりもちろん、電気がなきゃ始まらない。というか固まらない。ゾルゴのうちにはまだ電気が来てないから、あっても無用の長物。というかお荷物。なので、UVランプ他は首都・ワガのドミトリーに保管している。今回、ふとしたきっかけで首都に上がることになったので、いい機会だと思った。前回に施したものがもともと気に入らなかったのと、時間が経って若干はげてきていたので、ずっと気になっていた。変えたいと思ってたとこだった。


ところで、ジェルネイルの道具はブルキナにはない。多分、マルシェでは全く手に入らないと思う。探せば使えるものがちらほらあるかもしれないけれど、ジェルもランプもストーンだとか、まずない。マルシェを端から端まで探したわけじゃないけれど、大体町を歩いてる人を見ていれば、そうだと思う。
だから今、日本で注文して、こっち(ブルキナ)に送るつもりでいる。駒ヶ根でセットを買ってから一カ月では到底準備できなかった、追加のジェルや新しい顔料、その他の消耗品だとか。そうして少しずつでも世界を広げていきたい。

が、一方で今持っているもの。透明のジェルに混ぜて使う用のラメで、使ったことのないものが半分ほど…粒の大きさや形の関係でどう使っていいものか全く分からなかったものたちだけれど、持ち腐らせておくのももったいない。と思ったから、自分の爪だし、今回は遊び半分でやってみることにした。あのラメを使ってみるとどんなふうになるのか、実験、実験。



そうやって前置きが長くなったけれど、つまり左右の指や、その中でも一本だけ、とか2本だけパターンを変えているのは、それ自体がどう見えるかという遊びであると同時に、個々のパターンが、あのラメを使うとどんなふうに見えるだとか塗り広げてみたらこんな印象になるだとか、それを知りたくってやったこと。


P8290295-2.jpg

右手は、使ったことのなかったラメを試してみた。長細いものと、紫の大粒。やっぱり、思ってた通りに使いづらかった。他の人はこういうの、どんなふうに使ってるんだろう??


P8290300-2.jpg

左手は薬指だけパターンを変えてる。他はピンクラメでラインを引いて、フレンチっぽく。で、薬指は薄めにラメを入れた上にライトストーンを3つ。
全然本筋とは関係ないけれど、個人的に左手が好きなので左手を特にきれいにしたかったりする。けど自分の手だから、そうすると利き手じゃない右手だけで塗らなきゃいけないから、余計に難しい…手が釣りそう…みたいな姿勢で塗ってたりする、時々。まいっか、そんなこと。


だから今回は、ちょっとやってみましたみたいな爪だったりする。自分でやるときにも、いまのところほとんど、ラメを混ぜたジェルを多少薄くしたり濃くしたり、というぐらいしかやってないから、もっと遊び心を持ったのがやってみたかった、というのもある。次回、新しい顔料とかが届いたときには、もっといろいろやってみたい。頭の端っこのほうでちょこっとずつ、考え中。


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雨季とともに来た??!



先週末は、雨がよく降った。そのおかげで、きれいに晴れた月曜日はとても蒸し暑かった。時々、この暑さが日本の夏のようだと思うことがある。こんなに湿気があるのは今だけ、ということだ。

天気の話題は、始めやすい。会話のとっかかりになってくれるから、とりあえず暑いねとか寒いねとか、いい天気だねとか言ってみる。ちなみに、雨季にしか貴重な水が降ってこないブルキナ(や、その周辺国)では、雨が降ると「いい天気だね」と言ったりする。理屈は分ってもしっくりこず、私は曇っていて、少し乾いた柔らかい風が吹く涼しいときにだけ「いい天気」と言って、読み変えている。ま、だいたいそれで話はつながっていく。


で、今週も雨がよく降った。先週末もすごかった。そして先々週、やはり雨が多かった。
で、雨あがりに「雨、たくさん降ったね」とブルキナベに言うと、最近こんな答えが返ってくることがしばしば。
「お前が来てから、雨がよく降るようになった。お前、このままここに居ないか?」

おぉ??今まで気付かなかったけれど、私ってもしかして、実は雨男だった?!
もしかしてこのままここにいれば、乾期になっても雨が降るかも?
冗談混じりながら、乾期に雨は実際に望んでやまないことだろう。多分私も、願いたくなると思う。

そういえば私が配属する直前、ゾルゴでは大雨で洪水が起こったとか…まさか、私が来るって前兆だった?!


今まで、ありそうでなかった?協力隊のこんな要請・
雨乞い隊員

成功すれば、雨どころか嵐が起こること間違いなし!!


あると思います。

アフリカの反抗精神・レゲエ


布団にもぐりこんで暫く、眠れずに過ごしていた。

ふと、ボブ・マーリィの声が聞こえてくる。『One Love』レゲエのリズム。少し、懐かしく思う。窓の向こう、いつものディスコでかけている音楽は、レゲエ中心のアフリカン・ミュージックが多い。今日は日曜日、平日よりもボリューム大きく、いつまでも夜は更けない。


レゲエと言えば、ボブ・マーリィしか知らなかった。高校2年の夏休みに、その声に出会った。明るくスロウなテンポ、シンプルな『One love, One heart』のメッセージに、興味を持ちつつもどう受け止めていいか分らず、気のない振りをするようなロック少年だった。反抗精神だとか、そういうキーワードを持って聞くようになったのは『I shot the sheriff』などを聞いてからだった。ただ、『Is there a place for the hopeless sinner who has hart all mankind just to save his own biliefs ?』のフレーズにはずっと、救われてきた。


ブルキナに来て、レゲエを聴く機会は突然増えた。もっとも今のところ、その多くは隣国・コートジボワールのシンガーだったりする。ハッキリ言って、内戦に作り出された文化である物も少なくない。そういう意味で、ブルキナは平和だと実感したりする。

コードジの音楽(と、その映像)はすごい。ショッキングだ。レゲエ、反抗精神という言葉はこの人たちのためにあるのではないかと思うぐらいに、ストレートだ。「フィクションではありません」と字幕を入れて内戦の映像をバックで流したり、『Ils ont partagé le monde, ils ont partagé Africa』(やつらが世界をバラバラにした、やつらがアフリカをバラバラにした)と歌ってみたり。そういうところから、見えてくる部分があると思う。


私は詳しいわけではないけれど。レゲエの反抗精神は明確だと思う。そしてやはり、明確に団結(の再生)を求める。そのメッセージに、傷ついた過去が浮かぶ。


ラマダンを通して知ったこと


ラマダン(絶食)は挑戦を始めてから一週間で、やめた。理由はシンプル、食べたくてしょうがないから。



職場の同僚とお喋りだけしてればよかったときには、それでも良かった。お腹がすいていることがそこまで差し支えないし、話題にもなってくれたし。けど、パソコンで作業を始めて、大したことはしないんだけれど資料を読もうとするだけで、全く違う。読めない。お腹がすいて、食べたいって言葉だけが頭の中をぐるぐる回って、時間が過ぎるのだけをただ待ってる。そわそわしてる。大事な資料のほうは、からっきし頭に入ってこない。そして、疲れやすい気がする。一日を通して元気が出ない。元気が出るのは、食べる直前以降。私のラマダンは朝起きれないから、サイクル的には一日一食、夜に長い時間をかけて食べるという形のものだったけど、それがまたよくなかった。

私のたった一ヶ月とちょっとで培った偏見をもって言えば、私がブルキナべならそれでもよかったかもしれない。それは単に彼らが日本人ほどは働かない、という意味だけではなく。やはり私にとって、自分のやるべき仕事に差し支えてくるのは大きな問題だというように考えるし、仕事だとかのほうが宗教より優先だと考えている。自分で自分が許せなくなる感じなんだ。別に、今のうちからそこまで立派な生産活動をしているわけではないけれどね。こんな私でも、そんな風に考えてしまう。


私は日本人で、宗教的にはゆるく育ったからこんな風に感じるのかもしれないけれど、これをやり遂げるムスリムというのは本当に強靭な精神と肉体の持ち主なのだろう。この苦痛に耐えて、日常生活をやり遂げなければいけないのだから。私には残りのおよそ20日間、それを続ける自信はなかった。
「新しい自分」との出会いは結局、なかった。今までどおりの自分を飽きもせずにこうして、また見直してる。多分またこれから、お菓子を食べなきゃ生きていけないみたいな甘えたことを言いながら過ごしていくのかもしれない。しょうがない、って言いきってしまうのもどうかと思うけれど。けどそれでも、私は自分を維持していくことを選んだ。変わっていくことに、耐えられないのかもしれない。
苦しみと向き合った先に新しい自分があるという考え方は、私は経験的に、支持できる。それは大げさな表現なのかもしれないけれど、弱い自分と向き合ってそれを認めていくこと、あるいは変えていくことはそれまでの自分とは違う一面を持つことができる行為であると思う。
古の宗教者たちも、苦しみこそが乗り越えるべき壁であることを経験的に知ったのだろうか。それとも宗教者と言わず…ぼんやり、そんなことを考えてみる。





そして蛇足。
ラマダンをやめた次の日に、お腹を壊した。朝からひどい水下痢で、事務所を一日休んで、土曜日もほとんど寝て過ごした。摂った水分がそのままお腹の管を通るだけ通ってからだから出ていくような感覚で、それが恐ろしくもあり、水分をあまりとりたくなかった。お腹では絶えず、ものすごい音がしてた。

原因は、およそ察しがつく。同僚のうちでごちそうになったときに飲んだ、millet(粟)で作った飲み物。あれだけ、ものすごく嫌な予感がした。で、中った。フラのときと言い、なんとなく中りそうなものは感じるようになったと思う。が、避けることができない自分にがっかり。上手く断れない。何しろ、不確かな予感でしかないんだから。

周りのみんなは、粟をドロドロにして揚げたガレットってお菓子が主な原因だと思ってる節。あれも確かに油がすごくて、しかもこっちは油の質が良くないからと注意は受けていた。が、やはり同僚宅でごちそうになったとき、まさしくmilletを飲んだ時に、ガレットも「たくさん食べろ」と勧めてくれた同僚が、見舞いに来たときに「ガレットは食べ過ぎに注意しろ」と言ってきた。フランス語がもっと流暢に喋れれば、なにか言い返してたかもしれない。ちょっと、イラッときた。

まぁここ暫くの食生活は確かに調子に乗ってた。ブルキナに来てから一番調子がいいからと、断食もやってたし、その間の食事もほめられた形ではなかったと思う。ここにきてのお粥生活が二日ほど続いて、これでうまく調節できるようになるかも、と思っている。なかなか自分というのは、難しい部分が多い。

ナッサーラ


町を歩けば、みんなが振り向き、声をかけてくれる生活。
なかなかに快適だったりする。結構、楽しんでる。


大人なら、ボンジュールだったりニベオゴだったり、あるいはジャポネと言ってみたりシノワと言ってみたり。大体、あんまり違いはない。みんな、珍しがって、でも一緒に住んでるから親しみを持って声をかけてくれる。


ナッサーラ
というのは。同僚によれば、「白い人」ぐらいの意味。と言っても白人のことを意味するわけでもなく、むしろ黒くない、ぐらいの意味合いで、外国人、ぐらいの認識なのかもしれない。
ナッサーラ!!Bon arrivé(よくきたね)!!
と続くようなものだから、可愛いもの、と思う。こう言うのは、子供たち。ものすごく遠くから、大きな声で叫んでくれる。
私は観光客のつもりはない。だから、こっちはいろんなものが珍しくてついついいろんなものを見つめてしまうけれど、まだカメラのレンズを向けるのには抵抗があったりする。が、自分の大事な一部分として残せるようになったら、みんなのことを大事に、写真に撮っておこうと思ってみたりする。広いと思っていたゾルゴも、私が住んでいる町部分で住民はおよそ6000人、その程度らしい。2年間いれば、みんなに名前を覚えてもらうぐらいはできるのかもしれない、と思ってみる。




初めてゾルゴの市場に野菜を買いに行った日。ラマダンの4日目だった。雨季の合間によく晴れた日曜日の、人通りが少ないマルシェを歩いて、野菜売り場に着いた途端、人の山(笑)。通るのも一苦労しそうな市場で、視線を独り占めしながら、ふと思った。モレ語ができない私、思うようにスムーズにここで買い物ができるか分らない…

野菜の前で足を止めて、さてどうしたものかと悩んでいると、おじさんがフランス語で話しかけてきた。

「あんたは中国人か、日本人か。なに日本人。知ってるか、日本がこの辺にたくさん、ポンプ井戸を作ってくれたの。」

ポンプのゼスチャーとともに、楽しそうに話しかけてくる。日本人だと言ったときに、この反応は初めてだった。
私はすかさず答える、そうそれ、それが私の仕事で、ここに住んでこれからその井戸の維持管理に関わるんだと言うと、気を良くしてくれ、そこにいたいろんな人を紹介して、まあ座れ、まあ飲め(ラマダンのため断った)、何が欲しいんだと親しげに話してくれた。事情通はいるもので、この人の職業が気になったが、何げなく過ごしている人たちにも日本のこと、日本のプロジェクトを知り、理解してもらいたいものだと思った。そのおじさんが、市場にいたみんなに日本が井戸を作ったことと、私が日本人であることを話してくれたおかげでみんなが警戒心を解いてくれ、買い物は座ってできてしまうし、しかもめっちゃ安い!!そしてモレ語の勉強にもなった。

「オクラが6本で、50(サンカント)フランだ。」

いまだに、サンカント(50)とサンクソン(500)を勘違いしてしなうことがある。高すぎるよぅと言って、1000フランじゃお釣りがないと言われたときにやっと自分の勘違いに気付いた。ものすごく不機嫌な顔を一瞬したことに、ものすごく後悔した。
些細なことだけれど、自分の無神経さだと思う。

次に行くまでにはもっとモレ語を覚えよう。
そして来月行くときには、ビールを一緒に飲もう。

Il faut, essayer?? (試してみる??)


ムシのいい夢を見た。何も言わなくても、自分のことを理解してくれるという、都合のいい夢。自分の奥底にある、「甘えてる」の一言で象徴できてしまう願望というのが、我ながら悲しい。



ところで。
イスラム教の文化のうち、有名なものに「ラマダン(断食)」というものがある。
ちょうどこの8月12日に始まって、一ヶ月間は昼間(正確にいえば午前4時半から午後6時半まで)、何も食べず、何も飲まず。そして夜になると食べる。ついでに言えば、最終日にはお祭りらしきものをやって、ラマダンの終わりを祝うらしい。

興味のあったイスラム教。そしてあふれているイスラム教徒。早速色々としゃべらせてみよう。

あるイスラム教徒の同僚によれば、一ヵ月間は苦しい思いをすることになるけれど、その先には
「新しい自分」
が待っているんだとか。なかなかに、宗教らしい考え方だ。


日本にいて、浄土真宗だとか、いわゆる大乗仏教を信仰していると、それはどれだけ楽して救われるか、みたいなところがある。面倒な決まりごとはないし、苦行なんてもってのほか。庶民にはそんなことやってる暇なんかないんだ!!とばかりに、まぁせいぜい冠婚葬祭のときに出しゃばってくるぐらいのもので。だから「仏教徒はどんなふうにお祈りするんだ??」と言われたときに、かなり困った。「熱心に祈らなくても救われるんだよ」と言ってみたとして、どれだけ納得してもらえるんだろうか。だって彼らは、最後の審判で神のもとへ行くことが許されることを願って信仰しているんだから。(ちなみにブルキナにはイスラム教徒とキリスト教徒が多くいる。)

が、もともとのインドで生まれた仏教は違う(と思う)。禁忌はたくさんあるんだろうし、苦行を乗り越えた先に「悟り」という、快楽をむさぼっているだけでは得ることのできなかった「宇宙の神秘」みたいな答えを知ることができると考えているはず!!なのだ。

だから、イスラム教のラマダンが、それを乗り越えた先に「新しい自分」を見出すことができるというのは、仏教が求める「悟り」に似ているような気がする。私は、「新しい自分」というものに出会ってみたいと思う。今の、焦ってばかりの自分から一皮むけたい。






つまり。

ラマダン、やってみることにした。イスラム教徒じゃないけれど。
Il faut essayer!!(やってみなきゃ!!)

そういうと、イスラム教の同僚はよしやれ頑張れ!というし、その他の同僚はあなた仏教徒でしょ、ちゃんと食べなきゃ!というし…その温度差が面白かったりする。何はともあれ、何も食わず飲まず。飲まず、のほうが若干つらい。つらいからこそのラマダンなのだ。
一方で、まれてないためのトラブル、夜中に食べ過ぎてしまう、なんてのもあったりするが、今はブルキナに着いて以来一番!!ってなぐらいに体調がいい。このまま一カ月、続けるつもりでいる。


ところで私のうちはまだ、キッチンや水回りの整備が済んでない部分が多い。だから、特に食事に関しては同寮のうちでごちそうになって、それから帰って寝る、というパターンが多い。

ある同僚のうちでご飯をごちそうになったときのこと。
かれは同じプロジェクトで建てられたうちに住んでいる。つまり、作りや形は私のうちと全く同じ。しかし彼のうちは電気水道なし、一方でうちはそのうちに電気も水道も来ることが決まっている。それも、農水省(ブルキナの)が支払う。私にしてみれば、タダ。それでも日本にいるよりはクオリティの低い暮らしというか、いろんな経験ができるんだろうけれど。
こっちで、こっちの人間として働いているかれが使えない電気水道を、なぜ私がタダで使えるのか??その裏をめくってのぞくことは、分っていても少し怖い、というか勇気がない。
懐中電灯を肩に押し込んで、その明りを頼りに魚を揚げるなんて、私には想像もできない生活だった。

Il faut, essayer??(試してみる??)


言いきることはまだ、できない。

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