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久しぶりにバイクでお出かけ♪


だけどバイクの写真は全く撮ってません!!
行った先の写真のみ。

今日行ったのは、広島市の山奥・阿戸町。
2ヶ月ほど前にも一度、遊びに来たことがありました。
そのときの様子はコチラ↓↓今回は町の様子はレポートしてないので。
http://karehausagi.blog38.fc2.com/blog-entry-63.html


で、この町のさらに山奥に里山・「あーと村」があり、
ここで今日、『森のJAZZライブ』が開催されました。


その名の通り、森の中でJAZZライブがある!!
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実際本当、こんな感じの会場でした。


で、ライブが始まるまでに腹ごしらえ。
地元で取れた、有機農業にこだわった材料から作った
そばやカレーや紫蘇ジュースを売ってて、
品数は少なかったけれども楽しかったよ♪




おぉ、あんなところにログハウスが!!
IMG_1382.jpg

この家も地元で取れた素材を使ったのか、
近づくと木のいい香りがする家だと分かりました☆


なかを覗いて見ると…




IMG_1377.jpg

地元のおじさんたちがそばを打ってました。
私も打ってみたいな♪



で、とうとうライブが始まりました。
IMG_1385.jpg


朝は曇っていたこともあってかなり涼しくて、
さわやかな風が時々吹くステージ。
思った以上に音響もいい気がした♪
なにより、リラックスして聞ける。
頑張って音楽に夢中にならなくっても、
自然になじんで楽しめた。

もう、ウサギかタヌキになった気分で☆

なにしろ、
見上げれば木漏れ日…
IMG_1387.jpg



そして見下ろせば湧き水が…
IMG_1388.jpg



さらに、振り向けば奴が…
IMG_1386.jpg


振り向けば、SAXが…なんで??!


プレイヤー兼プロデュースの藤井氏が、
ステージの途中で語るには、

「デザイナーの完成に触発されてやってみた」

へーー。




そんなライブも一部は少人数編成、
二部はボーカルも入ってあっという間に時間が流れてゆく。
なんで楽しい時間はこんなにはやく過ぎていくんだろうね。


ステージは全部で2時間ぐらい見たけど、本当に楽しかったよ♪
音楽もすごくよかったし、
地元で活躍してるプレイヤーも知ることができて、
今後も楽しみです☆


で、帰りにたまねぎとおコメを買って帰りました♪
あーと村、これからもJAZZライブ以外も合わせて注目です。
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思考停止のための教育


最近、中学校で子どもがどんなふうに教えられてるかを知る機会があった。


そこで気づいたのは、社会の教育が他の教科とはかなり違う性格を持っていること、
そしてその内容がかなり偏った教え方をされていること。

例えば公民分野の日本国憲法の範囲。
この範囲で、
「明治憲法では天皇が主権者。
日本国憲法では天皇は象徴。」
って学校では勉強する。


この辺は自分も覚えがあって、しかし
受験でもそう答えなきゃいけないから
半分「しょうがない」と言って目を瞑ってたりする。



しかし、ふとしたことでもっと重大なこと、
「戦争(第二次大戦)は全て天皇の所為で起こった」
と信じていることが分かった。

私が話を聞いた子はテレビで、
「海軍がアメリカ政府と取引をして、
(戦争を引き起こした)天皇を残す代わりに陸軍らを売った。
だから海軍からはA級戦犯が出ていない」
と言ってたのを見たらしい。


さてあれが海軍の陰謀かは私は知らないけれど、
天皇が悪い、軍部が悪いと言うのは実は教科書もその論調で書いてある。
そしてまさか、教師も一緒になって学校で本気でそんな教育をしているなんて。
それはしょうがなく、受験のためなのだと思いたいが…




とりあえず憲法に規定されている天皇についてだけど、
明治憲法下でだって天皇陛下が全てを動かしてたわけじゃない。
むしろ、当時から天皇機関説とかあったし、
実際の政治の運営も天皇機関説的な考えに則って行われていた。
戦時中だってちゃんと内閣が成立してて、
変わったりもしてる。
寧ろ例外として、ポツダム宣言を受諾するかどうかを
最高戦争指導会議で話し合っていたときに
鈴木貫太郎首相が昭和天皇に裁断を下すことを要請している。
この時だって、昭和天皇が積極的に物事を動かしてはいない。


蛇足だけれども、「明治憲法下では人権が制限されていた」
というのもウソ。というか、現在とほとんど変わらない状況。
治安維持法はよく持ち出されるけど、あれは
ロシアの共産主義革命に(世界中が)危機感を覚えたために
制定されたもので、今で言う「テロ防止法」と言えるもの。
テロは今の法律でも許されてない。




で、本題に戻るけれど、

天皇が悪かったとか軍部が暴走したからといって、
戦争を人の所為にしていれば平和が維持できると言うような
教育を止めなければいけない。



色々といいたいことがあるけれども、

まずは
戦争を天皇陛下や軍部の所為にしてはいけない。
戦争を支持した国民と、国民を煽ったマスコミがいたって事実は
隠しちゃダメ。だから内閣が動いたのに。

そして、軍部の暴走もナシ。もっと冷静になれば、
第二次大戦の例だけでも戦争をしたがったのは軍部じゃないって
分かるはず。

ナチスの台頭は当時最も民主的な憲法といわれた
ワイマール憲法から。
もちろん、正当な手続きを経て。

戦争を始めたヒトラーは軍人ではなく文民。
ちなみにイタリアのムッソリーニもだ。

日本を戦争に追い詰めたアメリカ・ローズヴェルト大統領も文民なら、
原爆投下を命令したトルーマン大統領も文民。
もちろんこちらも民主的な手続きを経てる。

日本の歴史も、冷静に見れば同じだよ。
天皇陛下が戦争を起こした・悲劇を招いたと言う論は
当時の実際の内閣運営を見れば間違ってるのは分かるし、
軍部が暴走したってのもありえないウソ。
当時の内閣が世論を受けてどういう政策を採ったか、
冷静に見てみれば分かること。
軍は寧ろ戦争にはしたくないと思っていた。

イラク戦争だって、文民のブッシュがやりたいと言って、
軍人出身のパウエル国務長官は反対している。




戦争について、「悪」という側面だけしか植えつけないのも止めなきゃいけない。。

確かに戦争は悲惨。
特に太平洋戦争では軍人のみならず、日本人みんなが苦しんだ。
沖縄は戦場になり、本土も激しい空襲を受け、核兵器を二つも落とされた。
確かに戦争は、人が傷ついてゆくその現象だけを取り上げれば
悲しいことだらけだけど、

今の日本の国際的・そして経済的にこんなにも裕福な立場、
これは戦争によって得たってことも否定できないはず。
日清・日露戦争に勝利したからこそ
日本は植民地にならず済んで、こんなにも豊かになって、
国際社会でも重要視され、尊敬されてる。
これは、否定できない事実。

そして、太平洋戦争だって、戦争には負けたけど
意味があった。
いま、アジアやアフリカの国々が国際社会で
独立しているのは日本が
「白人が優れている、だから世界を支配できる」
と信じきってる列強に立ち向かったからこそ
成立している世界。

命をかけるという意義を無視してただ「戦争は悪だ、無意味だ」と訴えていて、
それで世界は変わっていくものか。




そして最後に、これが一番言いたいこと!!

戦争を否定していれば平和なんだと教えて、
子どもたちが考えることを止めさせてはいけないんだ。

田母神さんが先日、宮崎で
「広島の平和慰霊祭は左翼がやってる」といっていたけれど、
やっぱりそれが正しい。
左翼の方針に染められて、
「戦争は嫌だ、核兵器は嫌だ」と言っていれば
本当に戦争がなくなる、核兵器がなくなると刷り込まれている。

この洗脳教育がいけない。
平和を願っていれば平和が訪れるなんて信じ込ませて、
軍を否定していれば平和だって教え込んで、
左翼は子どもの思考を停止させる。

本当に平和を求めるならば、
どうして戦争が起こるのか、誰が戦争をするのか、
何のために戦争するのかをちゃんと考えて、
そうしてその結果、
国防だとか外交とかそういうことに力を入れなきゃいけないって
簡単に分かることなのに。

少なくとも願って訴えてれば、信じていれば平和になるってものじゃないって、
分かるはずなんだ。


鎌倉時代に「元寇」ってあったけれども、
あれは当時の日本人が平和を願ってなかったから起こったこと??
「Yes!!」って答える人なんか、いないはず。
そして国防をしっかりやっていたからこそ、
日本は元に占領されることはなかった。
そしてそれを否定的にとらえる人もいないだろう。
ほんの少しでも考えれば分かること。



そろそろ長くなったからこのぐらいにしようとおもう。
半分は今の教育に対する愚痴で書いてしまったけれども。
でも本当、学校でイデオロギーを子どもに植え付けるのは止めて欲しい。
それが間違った事実に裏づけされたものなら、なおさら。

日本は被侵略国家


田母神氏はどうしてこう悉く私の考えていることを言ってしまうのか。


こんなことを書いたって知れたら、一緒に運動をしている人に
私は干されてしまうんだろうけど


確かに、核兵器の廃絶を願っている被爆2世だってちゃんと
式典に参加している。
左翼が日本中から集まってるかどうかは私には分からない。

だけど田母神氏の言うとおり、式典は左翼だ。
日本を弱体化させ、第三の被爆を呼ぶ式典であると思う。

特に今の時代、中国も北朝鮮も日本をなめきって
核兵器の力を背景に高圧的な外交を展開してきている。


やっぱり6日に田母神氏に広島で公演していただいた
価値は大きかった。


ところで、最近その左翼(寄り)の人の発言で、
気になることがある。
北朝鮮の核兵器は使えないとか、日本は攻撃されることはないとか、
(おまけにそれは平和憲法のお陰であるとか、)


そしていちばん「違うだろ!!」って言いたくなるのが、
「北朝鮮を自国防衛のためといって先制攻撃すれば、日本は再び侵略国家になってしまう」というやつ。
「再び」と言うところももちろん気になるが…

逆なのだ。日本は被侵略国家である。
国民を数名拉致され、未だその安否が不明の人々もいる。
領海・領土侵犯をされ、国民が連れ去られている!!
この事実をもってしてもまだ
「北朝鮮を攻撃するな」といっている人は、
殴られたのに「殴られてない。だから殴り返すな」
といっている人で、もうあきれてあいた口が塞がらない。


日本は第三の被爆を防ぐため、国民を他国の侵略から守るために
もっと強固な防衛網をしくべきである。
そのためにも、防衛費を削ってこれ以上の国内防衛産業をつぶすのは許されない。


ごみの有料化


いつの時代の話だ! ってことですけれども。



「たけしの日本のミカタ」って番組で、ごみ問題を取り上げてた。
広島ではお昼にやってるバラエティー番組だけど、かなり深い考察をしていて、毎回すごく面白い。
通説的な見方はしないし、ひとつの問題をいろんな角度から検証するから、1時間でもすごく短く感じる。コメンテーターも下手なのを出さないから、問題に深く切り込んでいくし、話が弾むよね。

今のテレビ番組では一番好きかも知れない。



で、今回の特集がごみ問題だった。
ごみ屋敷もイメージが変わったね。確かにこのままじゃ、日本自体がごみ屋敷になるのかもしれない。北九州のエコタウン構想、確かに中学社会で勉強したけれど、ここまでのものだったのか。ごみの分別はしないほうがいい??確かに現状、あらゆる意味でコストを引き上げているだけかも知れない。CO2をごみと認識する考え方、斬新。確かにそれはありだ。レジ袋よりエコバッグのほうが石油を無駄に消費している?!
そのほか、全編通じてテレビに釘付けだった。



で、そのなかで特にふれられてはいなかったけれど、私が一つ気になったこと。

少し前に、ごみの有料化がなされた。実際にはゴミ袋を買うなどの形で。

あれは、目的としてはごみの処理にはお金が掛かることだと国民に認識させること、そしてごみを減らす努力を国民にしてもらうために導入する制度だったと記憶している。


で、確かにごみの処理にはお金が掛かるということはみんなが分かっただろう。
けれど、その結果ごみを減らす努力をみんなが始めただろうか。

テレビでも紹介されていた、今の日本のごみの量を考えれば、まず答えはNOだろう。ほぼだれも、ごみを出すのにお金が掛かるからといってごみを減らす努力をしなかったと思う。

それは一方では不法投棄の問題を拡大したのでは、と推測できるし、もう一つは、


お金を払えばごみは処理できるものなんだ!と認識させる結果に繋がったのではないだろうか。


お金を払えばごみは処理できる。だから、ごみはいくら出したってかまわない!!


そんな意識を芽生えさせたのでは??
いま、ふと浮かんだ疑問である。


お金さえあればごみは処理できる。そして実際に、お金はある。
だから、お金を払ってどんどんごみを出そう。

本当は、もう埋立地だっていっぱいで、ごみを海外に輸出するか海に沈めるかなんて話をしているときだったのに。
ごみ有料化で作ろうとしたインセンティブと、実際に作り出されたインセンティブは違う方向に働いた。そりゃあ、ゴミ袋一袋を1000円とかにすればごみがもう少し減っただろうけど、やっぱりそれはそれで不法投棄の拡大に大部分が繋がったんだろうと思う。やっぱりこの政策は上手くいかない。

経済的なインセンティブって、意外と使うのが難しいもんだと思う。お金を取るようにすればいいってもんじゃあ、やっぱ世の中変わらない…



じゃあどうすればよかったんだって、分かんないけど、やっぱり少しずつでも大量生産・大量消費社会からの脱却を諮って、現代型・循環社会をいろんな方向(教育・システム・ハード面など)から目指していくしかない。



まぁまずはティッシュの消費量を減らすところからだね☆


BBCのポッドキャストの番組のひとつでWSAnalysis(2009.8.16)(http://www.bbc.co.uk/podcasts/series/wsanalysis)というのを興味本位で聞いてみると、Euthanasia(安楽死)の特集をやっていた。

BBCによると、安楽死への態度が世界中で変化しつつある。特に欧米での意識の変化を取り上げていたが、安楽死を認める方向に多くの人々の考え方が傾きつつあるという。
そしてこれは、日本でも同様に見られる現象であると思う。


まずそもそもの安楽死についてだが、これは「助かる見込みのない病人を、本人の意志に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること」(広辞苑)という意味である。最近は本人の意志のみならず、家族の意志を尊重する場合もあるようだ。

本人の意志とはいえ、苦痛が少ないとはいえ、いつか死ぬものとはいえ、はっきりいってしまえば「殺す」ことである。

それも、身近なひと、親のような人を「殺す」ということになる。
特に年輩の人たちには根強い抵抗感があるだろうが、「安楽死、あっていいと思う」という人たちだって、じゃあ自分の親を「安楽死させてください」というのは簡単なことではないだろう。病気に苦しんでいても、死を望んでいても、そこから開放してやる方法として「殺してやる」というのは成立するものなのだろうか。病人本人がそれでいいといっても、楽にしてやるほうも並みの覚悟ではできないことだろうと想像する。なぜなら、次に苦しむ(精神的に・社会的に)のは自分かも知れないのだから。



実は、大学4年の時に「臨床死生学」という看取りを扱った授業を履修したことがある。
日本の平均寿命は80歳を越え、これほどまでに人々が長生きしてゆく世界で、一方で人々がどのようにこの世に誕生し、そして死んでゆくべきかはあまり議論の的にはならないように思う。
殊に日本にいるせいだろうか。病院死や孤独死が多く、一般の人々が死と向かい合う機会は現在、ほとんどないと言える(高度経済成長以前は自宅で家族に看取られながらなくなるという形が圧倒的に多かった。)。そして何かと「命は大切」「簡単に死んではいけない」など、死に関してはある程度タブーといえるほどの閉塞感がある気がする。
また一方で、現実面で医療費や保険制度などの問題が多く、経済的な課題が哲学的・宗教的に死と向かい合う機会を妨げているという側面もある。


はっきり言って、日本人は死の問題から逃げている。


ともすれば、「人はいづれ死ぬもの」という法則さえも忘れ去られてしまいそうだ。
昔のSFやファンタジーでは永遠の命に憧れるキャラクターが多く描かれてきたが、
いまや半分、日本人は永遠の命を手に入れてしまったとも言えると思う。

人が死ぬという事実をほとんど意識しない。実際に人が死ぬ瞬間に立ち会わない。
それ故、死をイメージすることができず、考えることすらなく生きてゆく。



しかし、人生のターミナルはどこをどう間違ったとしても「死」だ。そしてどのようにしてターミナルへ向かうかを考えることこそ、どのように生きるかという問題を考えること。まず避けては通れない道だ。
安楽死は、これからさらに寿命が延び、一方で価値観が多様化する中で考慮する人、認める人、決断する人は増えてくるだろう。
ただしその前に、人生の終着点として死があることを今一度再確認し、人が死にゆく様を見、そして見送ることでどのように人が死ぬべきかを考え直し、それから安楽死へもう一度戻ってこなければ、後悔してはしまわないだろうか。もし安楽死を全く考えないにしても、どのように死ぬべきか生きるべきかというライフ設計において先人たちが苦しみ死んでゆく姿と真剣に向き合うことは必要になってくると思う。




これは人の数だけ答えがある問題。
ここでは私なりの問題提起ができていれば、と思う。



ところで、大学時代に講義を受けた先生が製作に関わった本を見つけたので、参考までに。


『どう生き どう死ぬか―現場から考える死生学』
    監修:清水哲郎
    編者:岡部 健/竹之内裕文
    出版社:弓箭書院
    定価:2000円+税
    発行日:2009年5月20日

http://www.soshukai.jp/thanatology/index.html

会議がしたい…


タイトルは、


「独りじゃ寂しい!!」
「一人じゃ成長できない!!」


って意味です。



昨日、日米学生会議の総括・プレゼンがあると言うことで京都にいました。
本当は会議自体に参加したかったけど。もう学生じゃないしね。

で、顔見知り(次の日記参照)の紹介で、最後の総括のイベントだけ見学に行った。


日米の学生たちが一ヶ月をともに過ごし、長野など4箇所を訪れながら互いの文化を知り交流を深め合い、その間に世界をリードする2国として世界レヴェルの課題をディスカッションし結論を出し、

その出した答えをプレゼンする場に行ったのだ。



今回のイベント、自分の想像以上のクオリティであったのをプレゼンを聞きながら知って、改めてもっと早く知って参加したかったと思った。
本当に素晴らしいプレゼンばかりだった。綺麗にまとめてあるし、内容もすごく吟味してあるのが分かった。
(プレゼンの後にもっと詳しく話を聞く機会があって、短い時間で多くの話し合いを重ね、葛藤も多かったことを知った。)

個人的に興味のある貧困や食糧問題といった課題から、現代社会の抱える様々な不健康や公共の福祉と個人の権利との対立など、普段はあまり考えもしないものまであったけれども、どれも新鮮な気持ちで聞くことができた。


プレゼンを聞いていれば、数人で話し合ったが故の内容の奥深さや葛藤が表に浮き上がって見えてくるようで、その意味でも面白かった。


羨ましかった。



独りではどうしても行き着くことができなかったり、すごく長い時間がかかってしまうところを、他人と話し合いを重ねて深めていくことができるのはいいことだと改めて思った。

今、大学も卒業して、日々一人で考え事をしている自分だけど、そうするとどうしても考え方が凝り固まったりつまらなくなったりして、でもそれを打破する方法も分からなくて…

要するに、退屈するんだけど。


その壁を乗り越える原動力を持つことができるのがチームの力なのだと改めて実感。



あー誰かと会議したい議論したい…

じゃないと…


ぐずぐずになってしまう

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