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Les Souhaits


寝ていても覚めていても、地球は何事もないように廻り続けて、8月6日もこうしてちゃんとやってくる。
そしてあの8時15分を、真夜中に迎えよう日が来るとは、夢にも思わなかった。

8時15分は、あの真夏の日差しが容赦なく照りつけるからこそ、65年前の悲劇に僅かながらでも思いをはせることができるのだ、と思っている。それでも、数万度という、一瞬ですべてを焼き尽くす地獄の炎に比べれば、生温かいという程度のものなのだと…
ここで、65年前の話を長々とするつもりはない。



当初、ゾルゴに赴任する日は今日、の予定だった。
8月6日と聞いてその日付に軽々しく「運命を感じる…」なんて漏らしていた矢先、
「8月9日に変更です」
と言い渡され、がっくりきていた。赴任したら、仕事の話も然ることながら、職場での挨拶の中に広島と原爆の話もしようと意気込んでいたのだけれど、それが長崎の日になってしまうと、なぜかこう、気が抜けてしまって締まらない。赴任のときに原爆の話をするなんて考えは、とっくに消えてしまった。

それでも、ブルキナべに「広島」と言うと「あぁ。あの原爆の…」という反応がちらほら返ってくるのには驚いている。なんでも小学校の授業で日本について多少、勉強するらしく、そしてその一部に広島と原爆の話も含まれていると聞いた。だから、こちらで小学校に通っていた人たちはみんな、知ってる。


一方で私が小学生のころ。8月6日というのは長い夏休みの中で、一日だけ学校に通う日だった。
これは広島県だけの習慣らしい、ということは後になってから知ったが、学校に行って、テレビを見て、黙祷して、平和学習をして帰る。その頃はなにも感じず、ただせっかくの長い休みの腰を折られるようなその登校日が好きではなく、早く終えて帰って再び遊ぶことばかりを考えていた。
これもだいぶ大人になってから気付いたが、そしてこの時期になると多くのメディアで戦争を扱った番組、特集が多く組まれる。今年はどんな番組をやってるんだろうかと、そんなところに季節感を感じるようになったしまった。風流もなにも、あったものじゃない。

だけど、65年前のこの季節、日本はアメリカとの戦争に負けた。これは、変わらない事実だ。そしてそれまでの何年間か、アジアを股にかけた戦をやって、たくさんの人が戦い、傷つき、死んでいった。必ずしもそれが正しい道だと思ってた人ばかりじゃないかもしれない。だけど、自分たちの働きが日本のために、世界のためになると思って自らの命を犠牲にした人は多かったんだろうと思う。私はそこまで戦争について興味がないし、だから深く知ろうとも、あまり思わない。ただ、自分たちの足元には、そういう形で私たちの土台というか、礎、道になってくれている人たちも本当にたくさんいて、その人たちがいてこその自分だということは忘れずにいたい。
私たちが掲げるこの願い、これももちろん、たくさんの踏み台の上に成立している。

大学を卒業してからの一年間、協力隊になることを目標に、就職せずに試験を受けていた。そしてその時に、なにも経験しないのはつまらないと思い、広島にあるNGOのいくつかに連絡を取った。そしてその時に、広島だからと思って「平和活動というか、核廃絶運動に興味があります」と言ったのが運のつき、実際に、当時動いていた活動にちょっとばかし駆り出されることになった。
結局、その活動に参加するなかで私は核廃絶運動とか広島の平和活動というものが少なくとも自分の望んでいる世界のために必要なものではないと感じたから、途中でばからしくなって、抜けてしまった。

祈り…だとか願い、というのが自分自身で、軽々しいと感じるのかもしれない。だから、なにも言わずにいるほうが自分の中では安心していられる。だけど、言葉があるからこそできたもの、起きた出来事はある。それに立ち向かうためにはやっぱり、言葉しかない。

今年は平和公園に初めてアメリカ代表が来たとか、国連事務総長が来たとか、70カ国もの代表が集まったとか、被爆者やその他、広島の人たちには安心できる材料かもしれない。
それはひとえに、オバマ大統領が就任以降核兵器の削減を明言し、この5月にNPT核軍縮条約があったからだ。もちろん、市民団体の活動の成果もいくらかあると思う。が、苦しくなるのはこれからだと思う。『核兵器の脅威』に、これ以降どのようにして世界の注目を集めることができるかだと思う。

…時々、未来志向とは何なのか、考え込む。
それは、ただシンプルに「こども」ではないと、私は疑問に思う。


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高遠菜穂子という人。


今日、テレビで見たんだけど、

6年前にイラクで人質にされて、その時に自己責任という論理でバッシングされまくった人たちの一人。


その人は今でも、イラクの支援をしているのだと始めて知った。



…というか、その番組をみて、自分が日本人であることがものすごく恥ずかしくなった。


高遠さんは日本がイラク戦争を支持したことにショックを受けたし、
イラクの人たちを救うためにすぐさまイラクに飛んで活動を始めた。

日本という国としてイラクを攻撃するべきと判断したときに、
日本人としてイラクのためにできるだけのことをしてた。
結果的に拉致されて、政府に迷惑といえばそうだったのかもしれない。

だけど、日本にまで「攻撃されてもしょうがない国」といわれ、実際に攻撃を受けてる中で
イラクの人たちの傷を一つでも多く癒そうとした高遠さんの行為は、
言うならば「尊い」と思う。
「日本人は完全にイラクの敵になったんじゃない」って行動で示してくれた人だとおもう。

もちろんあのときのそのほかの人たちも、日本を代表して、イラクとの架け橋を大事に守ってくれた人たちだと思う。


そんな人たちにまで石つぶてを投げつけるような国民の一人だと、自分のことを思いたくない。
その後の高遠さんに生きる意味を与えたのはイラクの人々だった。








駒ヶ根での研修の日程が出てるんだけど、その中に驚くべきことに、
「皇太子殿下のご接見」
というのがある!!

改めて国のプロジェクトの一環で行くのだと実感するけれども、
自分にはもったいないというか、畏れ多いとものすごく感じる。
自分には何もできないし、まだまだ日の丸を背負う資格なんてないのに、
でも守るだけ守ってもらって、サポートもしっかりしてもらって、
税金で生活もさせてもらって、大したリスクも負わず、そんな自分の前に
皇太子殿下がわざわざ来てくださるなんて、
有難いを通り越してる。

これは今度は、自分自身が恥ずかしくなるというか嫌になるというか…


せめてブルキナに行ったら、日本人の名前を汚すことだけはしないように、
余力があれば少しでも日本や日本人を好きになってもらえるように、
頑張りたいと思った。

Yes!キャンペーンに「狙って」カチンと来た日


私は今、核兵器廃絶運動をやっている「Yes!キャンペーン」の事務局でインターン(平たく言ってただ働き)をしているのだけれど。



昨日、一週間ぶりに事務所に行って、大阪に行ったときの清算をした。
新幹線代とホテル代を立て替えてたから、全部で\25,650-。本当はこれに、領収証をもらってない電車代や船賃も請求したかったのだけれど。
その話をする前に、局長に言われた。

「キャラバンの前日に電話したでしょう、考えられる限り安い方法でって。」

私が新幹線で移動したのが気に入らなかったらしい。
まぁ言われるだろうと言うのは当然予想していたけれど。やっぱり腹立つわぁ。

正論を通せば、私の判断では新幹線以外なかった。
インターン以外にも予定はたくさんあるし、前日だって例外じゃない。こんなド田舎から高速バス乗り場まで、真夜中に行けるわけない。

…って行ったけど、確かに新幹線以外にあり得ないわけじゃなかった。
もちろん、こんなことは局長には言わないけど。まぁ分かってた。
私がお金をかけて移動する価値がないこともね。



しかし私が、そんなにバカ正直に、と言うか忠実に、鈍行列車や高速バスで行くインセンティブなんかない。頑張って時間をかけていったところで疲れるだけ、メリットはなーんもなし。褒められることもなければ、ご褒美が出ることもない。

だったらなんと言われようと新幹線。この選択肢以外、ありえない。
どうせこの面子とも長くて3月まで。私は2月には終わらせたいと思ってる。
だから、嫌われることに対しては怖くない。



説教の途中で皮肉を言われたね。私が協力隊に行くからと、

「まぁJICAはこんなこと教えてくれないでしょうけど。」

言われてるよ(笑)事業仕分けでもJICAが叩かれまくってたの、TVタックルで見たよ。
節約の仕方を知らないってさ。確かに、ファーストクラスばっかり乗ってるような人たちに高速バスという選択肢を教わることはないだろうな。
JICAに就職したい人が多いというの、今ならよく分かる。

しかし今回の事業仕分けは痛いね。私も将来、NGOを立ち上げたときにはその財源は税金を、と思ってたクチだけど。ちょっと難しくなりそう。
惜しいことになった。

私の嫌いな核廃絶運動


私は核兵器廃絶運動に参加しているのだが。
先週に大阪に行ったのも、その運動のひとつだったんだが。



実は私は、この運動が好きじゃない。というか、嫌い。
最初に嫌だと思ったのは、田母神氏に対して言論弾圧があったとき。
広島市長自らがやったし、
田母神の核武装宣伝に対抗してこちらも講演会を…
というメールが廻ってきたときにはがっかりしたもの。
そもそも、反対論者は呼び捨て。
で、論の内容は検討することなく、偏見のみで切り捨てる。

大阪に行ってるときも、車の中でなんでかそんな話になって、
平気で「田母神は…」なんて言い方をする。
そんな人たちがなんて言ってるかというと、

話し合いで解決しよう!!

って既に破綻しとるって。



それと、この運動の協賛者の名前に、辻本清美氏の名前があって、

「なんであの税金泥棒やって開き直り、今回の選挙では民主党の看板を掲げた破廉恥な人物が協賛者?恥ずかしくない??」

と思ってたら、ピースボート繋がりだった。
まぁそもそもの始まりがピースボートに乗った被爆者だからしょうがないと思うけど、辻本氏はやめといたほうがいいと思う。




核心に触れておくと、被爆者をわざわざカタカナで「ヒバクシャ」と表現する辺りから、被爆者その人が全国の役所を回ってるというところまで、被爆者を平和の象徴とか権威としているのだろうけれど、
私は最近このことで、亡霊に突き動かされている運動だと感じるようになった。

実は被爆者の人たち自身、「何も考えてないからこんな運動ができる」と言い出す始末で…
どうも、まともに考えればのんきに「核兵器のない未来に」と言っている場合ではない、と認識している様子。

これは、広島に来る人に必ずといっていいほど平和資料館に連れて行くという習慣にも最近、うすうすと感じ始めていたもので、
どうも核兵器廃絶の原動力がみんなの良心から来るものじゃぁない。 で、何処からそんなエネルギーが沸いてくるのかと見てみたら、

どうも被爆者たちの恨み節からなのでは???

と考えるに至った。
まだこれは、確信を持った結論じゃぁない。
ただこの頃、歴史歴史といいながらみんなが見せられてるのはここ70年辺りの地獄ばかりだと色んなところで感じ始めた。
世界は70年なんて話にならないほど長い時間をかけて廻って、
人間の歴史もはや何千年。
その中でこの60年ばかりを、それもネガティブに振り返ってばかりで。


もっと未来を目指したい。という希望。

日本は被侵略国家


田母神氏はどうしてこう悉く私の考えていることを言ってしまうのか。


こんなことを書いたって知れたら、一緒に運動をしている人に
私は干されてしまうんだろうけど


確かに、核兵器の廃絶を願っている被爆2世だってちゃんと
式典に参加している。
左翼が日本中から集まってるかどうかは私には分からない。

だけど田母神氏の言うとおり、式典は左翼だ。
日本を弱体化させ、第三の被爆を呼ぶ式典であると思う。

特に今の時代、中国も北朝鮮も日本をなめきって
核兵器の力を背景に高圧的な外交を展開してきている。


やっぱり6日に田母神氏に広島で公演していただいた
価値は大きかった。


ところで、最近その左翼(寄り)の人の発言で、
気になることがある。
北朝鮮の核兵器は使えないとか、日本は攻撃されることはないとか、
(おまけにそれは平和憲法のお陰であるとか、)


そしていちばん「違うだろ!!」って言いたくなるのが、
「北朝鮮を自国防衛のためといって先制攻撃すれば、日本は再び侵略国家になってしまう」というやつ。
「再び」と言うところももちろん気になるが…

逆なのだ。日本は被侵略国家である。
国民を数名拉致され、未だその安否が不明の人々もいる。
領海・領土侵犯をされ、国民が連れ去られている!!
この事実をもってしてもまだ
「北朝鮮を攻撃するな」といっている人は、
殴られたのに「殴られてない。だから殴り返すな」
といっている人で、もうあきれてあいた口が塞がらない。


日本は第三の被爆を防ぐため、国民を他国の侵略から守るために
もっと強固な防衛網をしくべきである。
そのためにも、防衛費を削ってこれ以上の国内防衛産業をつぶすのは許されない。


64年目の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」がやってまいりました。


「第二次世界大戦で戦没し、幾多の戦災で犠牲になられ、日本発展の礎となられた方々の鎮魂をお祈りしましょう。」


という日だ、今日は。

武道館でも戦没者追悼式があるし、
この日に靖国神社を訪れる人も多いだろう。

今日は雨ですね。若干肌寒いぐらいの終戦記念日。
私も正午には黙祷を捧げたいと思います。



ところで最近、新聞でも「戦争体験を語り継ぐ」とか
そういう特集が多いけれど、
まぁ私だって戦争体験はないけれど。

過去はその名のとおり、過ぎ去ってゆくもの。
日清・日露戦争だって、もっと昔の戦争だって、
ほとんど全てがその体験は忘れ去られて、
歴史になってゆくもの。
気持ちは分かるけれど、

戦争体験を語り継げば平和(戦争がない状態)
を保てるのかはビミョー。
私は所詮戦争を知らないから、
こうしてまず頭で考えるけど、
歴史を見ていけば太平洋戦争だって
「戦争なんか嫌なんだ!」
って言ってれば避けれたってものじゃないと思う。


別に語りつぐってことが無駄だとは思わないけれど、
マスコミがなんだか冷静じゃあないなって
そんなふうに思う。

太平洋戦争だってマスコミが煽ってたワケだし。


結局何が言いたいのかは分からなくなってくるね。
平和がなんなのかを定義するところからもう一度始めなきゃね。


みんなはどんな世界を想像して
「平和を祈念」しているんだろう??

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