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12日目。出国の日。


私は、今回のプログラムにコーディネーターとして参加できて本当によかった。
色々と思うところがあったけれど、とにかくはじめて被災地を見ることが出来たと言うこと、
これはなにより大きかった。

そしてプログラムが始まってから。
東京に来るまでは、小さなオフィスで二人三人でやっていて、
それも主に別々のことをやっていたので、
なかなか人を見て自分を顧みることは無かった。


でもプログラムが始まったら、それまでよりはずっと忙しいし、
キリバスだけで20人いる学生たちをうまく連れて歩かなきゃいけなくて、
英語もできず、コミュニケーションが思うようにとれない中で関係作りをして。
東京でも被災地でも、そんな状況の中で色んな人と出会う。
こんなにめまぐるしい日々は、普段のんびりやっている私には結構大変だったと思う。
それに、12日間ずっと一緒にプログラムを運営していたツバルのコーディネーター、
通訳以外でも色々と活躍してくれた通訳さんといたことで、
自分の弱い部分や、ポジティブな評価もどういうものがあるのかちょっとずつ分かり、
人のいい部分、自分にない価値観や考え方を凝縮して学ぶことも出来た、
自分がこんなに成長するとは想像もしなかった2週間だった。


この機会が自分に与えられたこと。
一緒にプログラムを運営したツバルのコーディネーター、それから通訳さん。
キリバスとツバルの留学生、南太平洋大学のスタッフ。
広島、東京、福島でプログラムに関わってくれた人々。
全てに感謝です。

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11日目。中学校見学と、東京に戻る。


早くも広島プログラム最終日。
たった3日のプログラム、その3日目は中学校に行って、
授業見学と交流。
キリバスとツバルは別々のグループになって、違う学校に行く。
そしてキリバスは体調不良のメンバーが何人か出て、全員で行くことが出来なかったのが残念。
そして私も、体調不良のメンバーを学校には連れて行けず、そっちの面倒も見ていたりして、
広島プログラムを作ったのも私、グループの中で広島のことが分かっているのも私と言うことで、
体調不良のメンバーを別の場所で管理しながら、学校交流にも顔出して、挨拶したり。
プログラム全体の中でも楽しみにしていたけれど、それに参加できなかったメンバーがいたこと、
私も全部を目撃できなかったこと、
すごく残念だった。

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だけれど、留学生たちも中学生たちもお互いにすごく楽しんだみたいで、すごくよかった。

学校の概要や特徴を一通り聞いた後、音楽の授業にお邪魔して、
お互いに合唱やダンスパフォーマンスを披露する。

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この途中から、私は参加。
私が想像していた以上に、お互いがお互いのパフォーマンスを受け入れあっているのが、
意外だったと言うか、私のイメージする中学生ってこんなにオープンマインドじゃなくないか??と思ったけれど、私がそう思うだけかな。と最初はおもった。
はじめて会って、お互いに歌やダンスを披露しあっただけで、抵抗無く一緒に、
まるで4月から一緒にいるんじゃないかって思うくらいに打ち解けて写真撮ったりしていたので、
びっくり。

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でもここの学校は留学生の学校見学をよく受け入れているみたいだし、
だから中学生たちも抵抗が少ないのだろう。


音楽の授業の他にも、体育や美術を見学。みんな興味津々。
そして廊下を歩いていると、中学生たちがめちゃフレンドリーに
挨拶や自己紹介をして来て、なんだか楽しかった。

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私は途中で、病気の子たちを迎えに抜けてしまったけれど、
最後の最後まで中学生たちからの歓迎が続いたみたいで、
予定よりも10分ぐらい押しての出発になった。
短い滞在を、中学生たちも最大限に楽しもうとしてくれていたみたいで、よかった。


私がいなかった間、通訳さんに学校訪問グループを見ていてもらっていたけれど、
私がいない間、留学生たちがものすごくしっかりしたらしい。
私と通訳さんも全然キャラが違って、その違いがびっくりするぐらいにかみ合って、
私たちも楽しかったし、留学生たちにもこのコンビがとてもキャラクタリスティックに映っていたみたい。
そしてこのとき、しっかりとみんなを先導していた私が抜け、方向音痴でそういう部分であまり頼りにならない通訳さんと留学生たちだけが残されたとき、学生たちが私の代わりをつとめるように時間や道案内をし、通訳さんのことを導いてくれたそう。皇居でも、ルートに関してはからっきし頼りにならなかった通訳さん、この部分の頼りなさがすっかり見抜かれ、そして私がいないところではみんながそういう部分でしっかり気を引き締めてことを運んでくれるところ、頼りになる!
私がいる時には、なんだかんだ言って気を抜いて楽しむことが出来ていたのかな。
そして、私と通訳さんと出会うことで成長した部分も会った様子。
そう感じることが出来て、私もすごく嬉しい。


学校交流が終わると、急いで空港に移動、飛行機で東京に戻る。
空港ではみんな疲れてしまって、ターミナルで寝たり。
私も、帰りこそはみんな固まって座っているし、飛行機の中で写真を撮ろうと思っていたのに、
気がついたら「これから着陸します。シートベルトをお締めください」のアナウンス。
ジュース一杯ももらってないのに。。。

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そして東京についたら、このプログラムの中で最後の晩ご飯。
なんてことも意識する間もなく、ご飯食べて写真撮ってたらすぐにすぎて行った。

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このタイミングでお別れの、ツバル担当の通訳さんと撮った写真。
この日は未だ、泣きマネだったんだよ。
みんなに心配かけたけれど。でもマネだった。

9日目。この日はホームステイ。


外務省報告も終わって、この日からは広島プログラム。
朝、羽田から広島まで飛行機で移動、そしてホストファミリーと出会い、
そしてお昼過ぎにはみんなはホストファミリーにつれられてどこかへ行き、
残されたコーディネーター、通訳、スーパーバイザーはホテルへ。

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移動中のバスの中にて。
中学校で披露する為の歌をいつも練習していた。
この子が、メインヴォーカルをつとめていた子。
声もいいし歌もうまくて、私は伝統的なダンスや歌も楽しいし嫌いじゃなかったけれど、
なによりこの子の歌う賛美歌みたいなのがすごく好きで、
いつもリクエストしていた。
この下に、その歌の動画を載せておきました。

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ホストファミリーたちとは、それぞれ色んなところに行ったり色んなものを食べたり、
中には料理や片付けのお手伝いをしてたとこもあったみたいで、
みんなすごく楽しんでいたみたいですごくよかった。
ただ、みんな疲れていたみたいで、そのくせホテルでみんな一緒にいる時には早く寝ないし、
この日ばかりは9時に寝たりもしていたみたい。
バスの中でも、寝ている姿が目立つようになっていたもんな。

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平和公園でホストファミリーたちとランデブーだったんだけれど、
思った以上に早くついた為に、少しだけ平和公園の中を散策。
で、平和公園で一曲歌わせてみた。



そう言えば、個人的なことだけれど、こんな寒い時期に平和公園に来ることも無かったな。
私の中では夏真っ盛り、炎天下の象徴のような場所なのだけれど、なんだか不思議な感じがする。

7日目。私たちは被災地で何を学んだのか。


被災地プログラムが早くも終わり、この日の朝に電車(スーパーひたち)に乗り、お昼頃に上野に戻って来る。

朝、ホテルのロビーで、お世話になったいわきの人々に挨拶。

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電車を降りたら通訳や旅行会社の人たちが待っていた。楽しかった福島も終わって、
また東京での任務、そして今度は広島が待っている。

午後、臨海防災公園のそなエリアを見学。
首都直下型地震後の東京を舞台に、
「72時間生き残る」
をテーマに、廃墟となった街を、ニンテンドーDSに表示されるルートに従い、
問題を解きながらゴールを目指すというアトラクション。

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「かなりリアルに作ってありますので、気分が悪くなったらお知らせください」
と言われたので、あぁ自分のことだと心配していたら、街に出るまでの間は
外の状況も分からずに、かなりの緊張だったけれど、
街に出てみたら、確かに廃墟ではあったけれど、誰かが傷ついたり死んだりと言う現実は再現されていなかったので、大丈夫だった。

赤十字の救急法の訓練を受けた時も思ったけれど、もし現実にそれが起こった時には、
もっと大きなストレスやパニックにさらされる。それも長い時間の中で。
少しずつでもこうして、精神的な面からも備えておかなければな、と思う。
救急法の訓練も、また受けておこう。

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その後、次の日が外務省での報告会と言うことで、その準備の時間を取った。
外務省では、東日本大震災や被災地の、現場でどのようなことを学んだか、
そしてそれを帰国後にどのように伝えていくか、といったテーマについて話すことになっていた。
それに関して、ほとんど準備ができていない段階だったキリバスチーム。
寒かったが屋外で、報告会の為の話し合いをした。

私は英語がわからないので、学生たちがどんな話し合いをしているのか、あまり分かっていない。
ただ、大学生チームと高校生チームに分かれて話し合いをした時に、
高校生チームはちょっと苦戦している、という印象だった。
自分たちの得た経験を、どのように消化して経験として深めていけばいいのかが分からず、戸惑っている、という印象だった。

だから私は、コーディネーターと言う立場を悪用して、印象操作をした。

私の考えたことをしゃべらせよう、いやそこまではしないけれど、そういう種をまいてみよう、と思った。


そこまでしようと思った理由はある。被災地で、特に二日目と三日目に泊まった小名浜オーシャンホテルで、被災地の人々、被災地に仕事で来た人々たちから色々な話を聞き、私も私なりに色々と考えていたからだ。

被災地や被災者の、プレス用ではない現実の生活や感情を語ってくれた新聞記者。家に30年間帰れないとつぶやいた農家。いわき周辺で一番被害が大きく、70センチ地盤が沈んだ灯台のもとで、津波や地盤沈下の被害の大きさなど色々話してくれたおじいちゃん、露天風呂で話した人々…千葉から来た業者さん、キリバスとツバルの留学生たちに好感を抱き、被害に悩む福島の人々の思いを語ってくれたおじさん、等々。


今回のツアーで見学した被災地、福島というのは、必ずしも全体像が見えるものではなかった。そもそもいわきしか見ていないし、基本的に現場を見て歩いただけ。全体的な政策とかそういう意味で、今後どのようなことが必要になるかが見えてくるようなプログラムでは決して無かった。

だけれど、福島の人々が津波被害や風評被害にどれほど傷つき、でもそれに負けず一年半の間に少しずつ復興に向けた努力をし、そしてここまで復興した段階で、今後についてどんなビジョンを持って復興していくことを考えているのか。そしてそのビジョンを日本や世界と共有し、実現していく為にどんな行程が考えられるのか。

放射能が降った現実はある。実際に住めなくなった地域もある。そしてそれとは無縁に生活している圧倒的大多数が今のところの状況だ。
という現実を改めて自分たちの胸の内に据えて、そこから短期の未来像(復興)と、長期の未来像を組み立て直さなければいけないのだな、と思った。

それはもちろん今回の選挙のこともあるし、政治以外の部分でも私たちが世界の一部として、どう振る舞って行くかと言うこと。
しかし、どうしてこうも日本は話し合いの場が少ないのだろうか?アメリカの大統領選挙のように、一年近くかけてみんなですこしずつ合意と結論を導きだしていくようなことが出来ないだろうか。

6日目、とまとランドとアクアマリン。現実との格闘。


津波や放射能で傷つきながらも、その怪我を乗り越えて必死に福島や東北の復興の先駆けとなろうと努力している企業たち。彼ら自身も傷を負いながらも、地域の人々と支えあって新しい基盤を作ろうとしている姿に心を打たれた。



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とまとランド。ビニールハウス内でコンピューターによる温度管理などを徹底してトマトなどの野菜を栽培している。栽培した野菜は、トマト狩りでその場でそのまま味わうことが出来る。

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ここは主に、風評被害に悩まされているそう。
実際に原発で爆発があり、またベントをした直後には放射線量があがったらしい。
放射能で汚染された畑、トマト。
放射能が降ったという事実だけで恐ろしい。
つい2年前まで、そんなことを心配したことが無かった日本で、
昨日のブログでも放射線量を確かめてから食事をとる仮設住宅を紹介したけれど、
これが原発と一緒に生きる際の、呪われた事実なのだ。

そしてこの風評被害は、決して他人事ではない。
日本国内にいれば、それは福島やその近辺の問題と思うかもしれないが、
海外では福島第一原発の事故後、日本製品については「放射能入りでしょ?」という質の悪いジョークが頻繁に発せられ、そのことで傷ついた人も多いと思う。いや日本人なら傷ついてしかるべきだ。
そしてご存知の通り、世界中で日本で生産された食料の輸入が止まった。

とまとランドでは、汚染されたトマトは全て廃棄、細かく放射線量を測って規定値以下で或あることを確認し、それを必死にアピールしてきた。地道な努力のおかげで、業績は改善してきていると言う。

留学生たちは、コンピューターで管理された無駄の無い、最新の農業技術に興味を大いに示す。
また、放射能被害、風評被害やその改善についても丁寧に話を聞く。

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無事に平和的にここでの見学が終わるかと思ったが・・・最後の最後、サンキュースピーチをした後、とまとランドを案内してくれたスタッフがぽつりとつぶやく。

「僕の家は今後、最低30年ぐらい帰れないんですけれどね。」

彼はそれを冗談にして「もしもの時にはあなた方の国に」と言ってみんなを笑顔にしてくれたが、
私は表情も心も引きつって全く笑えなかった。
彼の故郷は汚されてしまった。自分の状況が全く無事なことを思うと、とても申し訳なく思えて来る。こんな引け目をお互いに感じてはいけないはずなのに。




二つ目の見学施設、アクアマリンは水族館だ。
海に面した場所にあり、だからこそ出来る大胆な構造もあったと思う。
隣にあったお土産物がたくさん並ぶショッピングセンターと共に、この辺りの観光の要を担っていたんだろう。海の幸が豊かと言われて、とても説得力がある場所だ。

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ここは当然ながら、津波で一度流された。水族館の建物は地中深くに杭を打っていた為に流されなかったみたいで、ここでなくなった方もおられない様子ではあったけれど、水族館の施設はほぼ全壊し、そして地震の地盤沈下の為に、水族館の玄関は1メートルほどの段差が出来てしまった。

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壊滅状態だったこの水族館を支えたのは、周囲の人々との絆だった。
これまで水族館を支えてくれていた人々が被災し、娯楽どころか明日の生活さえも見えなくなった。
その人々が、それでも希望を持って復興に取り組んでいるのを、精神的な部分から支えてあげたい。
という思いを抱えて、なんと半年で再オープンを果たしてしまった。
震災直後の水族館の様子を写真などで見たけれど、まさかこんなに大きな水族館がめちゃくちゃに壊れてしまったのを、たった半年で直してしまったとはとてもにわかには信じられない。
それが出来たのも、やはり地域の人々との繋がりがあり、そして他の水族館の様々な協力があればこそだったろう。


ここの水族館はすごく面白かった。ただはしゃいで歩くための場所じゃない。
環境をすごく意識していて、特に福島の、山から海までの環境と生物の変化を、大きな施設とはいえその中で細かく再現し、水の流れとともに生じる環境の変化や生物の習性が手に取るように分かる構造になっている部分、
これほどまでに福島(地元)に対する愛情を感じることが出来る施設はない。

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そして、福島の海だけではない、世界の海を守っていくと言うことの意味を考えさせられる施設だった。

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この施設を出る時にはもう、夕暮れ時だった。
施設の庭には、ショベルカーがこんな遅い時間まで動いていた。
この日の夕暮れは、特に赤くて強く胸が締め付けられた。

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キズナ4日目。ちゅうぼうの見学と、被災地への移動。


この日の朝、ホテルのスタッフの胸に、前日にもらったのと同じバッジが輝いているのを見つけた!
ここのホテルも東京オリンピック推し♩

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この日は被災地への移動日。
午前中に社会見学が一つあって、その後に電車(スーパーひたち)で被災地・福島はいわきに移動。

午前の社会見学はちゅうぼう。
って、キッチンのことじゃない!
勝手知ったる通訳さんたちが「ちゅうぼう」と繰り返していたので、何処のレストランのことかと思いきや…

実はこれ、「中央防波堤埋立処分場」のことを略して「ちゅうぼう」と読んでいて、
お台場のゴミ処理場(埋め立て処分場)のこと。

ここでゴミ処理の手順や再処理、埋め立てに関して説明を聞く。

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留学生たちはちゅうぼうの人たちの話を興味を持って聞いていて、
特にゴミを焼却する際の公害、それから消却した後の資源の有効活用について質問が多く出る。
それから、ゴミを海に埋め立てて新しく陸地を作って、その上に公園を作るという説明もあって、海を汚さないか心配な様子。質問して、ちゃんと安全だと言うことを理解したみたい。
自国でも公害を出さないゴミの処分がどのように実現できるか、それからゴミの有効活用が出来ないか、探っている様子が見えました。

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そして、埋め立てた跡地に公園や風力発電施設が立ち並ぶ様を間近に見に行く。
ゴミを埋め立てて出来た大地に風力発電施設があると言うのは、なんだか感慨深い。
ここで記念撮影。

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お昼頃、上野駅に到着して電車(スーパーひたち)に乗り込む。
目指すは湯本!
そして電車の中でお弁当。お弁当はよかった。みんな気に入ったみたい。
そしてお弁当にはしゃぎ疲れて、食べ終わるとみんな眠る。

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そしてそろそろつく頃だ!ってところで、湯本の直前の「泉」という駅で間違えて全員をおろしてしまった私たちコーディネーター二人!全員をスムーズにおろすことばかり考えていた所為か、しかも帰りは「泉」から乗ると言うことで、この名前を聞いても全く疑問を持たなかった。
全員降りてから自分たちの間違いに気付き、あわや大惨事!と言うところだったけれど、スムーズにおろしたようにスムーズに全員を再び電車に乗せることに成功し、なんとか大丈夫だったよ。
あー冷や汗かいた。


この日はスパリゾートハワイアンズに宿泊。
もともと炭坑の街だったいわきの魅力を高める為に、炭坑から涌いた温泉をこうしてリゾート風にアピールしているそうで、結構人気みたい。プールもあるらしく、留学生たちはそんなこと知らせていないのに、泳いできたらしい。

このホテルは復興の為にも色々と努力をしている施設で、特にここのレストラン!すごくよかった。
福島の魅力をみんなに分かってもらう為に、料理にも福島の野菜の安全とおいしさの両立をアピールして、しかも料理のセンスもいい!すごく力を入れている部分みたいだ。

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このホテル、周囲の人々の復興を牽引する存在のようだ。これからも頑張って欲しい。


この日はここのレストランでレセプション。
いわきの方々が集まり、留学生たちを歓迎してくれた。

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