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ディケイドの本当のテーマ


引き続き、宇野常寛氏の「リトル・ピープルの時代」という本を読んでいる。

リトル・ピープル的存在のヒーローとして、平成の時代にその真価を発揮し、
市場のニーズに合わせて現代の比喩として説得力を持つように、
次々と斬新なヒーロー像を描き出してきた平成仮面ライダー。
この本でその意味を再点検される平成ライダーたちの、それぞれが持っていた変身の定義と正義・悪の描写についても、やっと仮面ライダー ディケイドの検証部分を読んだ。

仮面ライダーに興味を持ち始めた時に、たまたま見たその時のテレビシリーズがこの「ディケイド」だった。

しかし見たのが最終回だけで、悪役が仮面ライダーにやられて
「私は世界一迷惑な人になるんだー」という捨て台詞を吐いて爆死した為に、
私はストーリーも何も知らずに
「ヒーローものの悪役って、子ども向け番組とはいえこんなに適当でいいのか??」
と思い、じゃあどんなヒーローだったら倒されてしかるべきだろうか、と考えたりした。


このディケイドという仮面ライダーが、他の仮面ライダーの世界を行き来しているのはうすうす知っていたけれど、
それがどんな目的で、あるいはディケイドという作品のテーマは何なのか?という事を知らなかった為にこういう全く的外れな考察を延々とはじめてしまった訳で、

でもこれで確信した。間違いない。あれはディケイドだった。
というのも、その悪役が倒れた後で、別の仮面ライダーが出てきて、ディケイドに向かって
「お前は悪役だ」
と言って目の前に立ちはだかり、そこで最終回が終わっていたから。

話がこれで終わっていないなと言うのはそれで分かった。
もっと別な話が、やられた悪役とは別に進行していたっぽいのも何となく分かっていた。



内容的にもこの仮面ライダーの話は一番面白そうだ。
ただ、平成仮面ライダーって子ども番組とは思えないくらいに深いテーマを見事なくらいに鮮やかに描き出してしまっている作品だと言うことが分かって、
果たして自分が見ても理解できるとは思えない。
そもそも、ディケイドを理解する為にはやっぱり平成ライダーを一通り見るべきだろう。
と思うと、絶対無理だ。時間がなさ過ぎる。飽きずに見る自信がない。
自分がそこまで時代の変化に敏感だとも思えないし。


一方で、昔の仮面ライダーが、昔見ていた世代以外にもある程度の認知を得ているのも、
この作品の功績はある程度ありそうだ。


続きをまたこれから、読もう。
そろそろ、最近の話に近づいてきたなぁ。
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国民的アイドルって??


ちょっと前に、年配の人と話していた時に、その人がAKBの話を持ち出して、
「今、国民的アイドルって居ると思う?」
なんて言い出す。

その人が何を言いたいのかは瞬間に分かったけれど、あえてそこに乗っかって
「AKBに決まっているじゃないですか!」
と言っておいた。


私からすると矛盾していると思うんだけれど、その人はテレビの事を「洗脳装置」と言うんだ。
「だから私の部屋にはテレビがない」
と豪語しておいて、一方で「昔は国民みんなが好きだったアイドルが居た」と言い出す。

なんだ、アイドルだけは洗脳じゃないってか?
テレビじゃない時代が来て、ネットでそれぞれが好きなコンテンツを選べる時代に、
これほどまで支持されているAKBは、そりゃ国民全員がテレビで洗脳されていた時代に比べれば
みんながみんなは支持していないかもしれないけれど、十分国民的って言えるんじゃないのか?

まぁいいや、昔のアイドルに興味もないし、
AKBのことを理解できない人に、実際に見ない人に理屈こねこねしてAKBの良さを納得させたとしても意味がないし。



ところで、宇野常寛と言う人の「リトル・ピープルの時代」と言う本は面白い。
この人も、昨日紹介した切通理作氏と同様、サブカルが彼の強い部分で、
アニメや特撮に詳しいんだろう…と思う。
この本も、ウルトラマンと仮面ライダーの在り方の違いを細かく検証して、
ウルトラマン的なヒーローの在り方はいわば現代には時代遅れ、
そして現代のヒーロー像を担うべく存在しているのが仮面ライダーだと論じている。
もっと象徴的な、そして一般的な言葉を使って理解を深めれば、
「ウルトラマン=ブッグブラザー」で、「仮面ライダー=リトル・ピープル」だと言う。

そもそも、この本に興味を持ったきっかけは、朝日新聞の書評でいつか、
表紙が仮面ライダーの本で、内容でも仮面ライダーの本質に深く切り込んで論じてある、
見たいなことが書いてあって、ちょうど仮面ライダーの事を知りたいと思っていた私は、
でもそのタイトルも著者の名前も忘れて暫く立った頃、どんなきっかけだったかも忘れたけれど、
偶然表紙に仮面ライダーが描いてある本を見つけたのだった。


昨日紹介した「特撮黙示録1995−2001」はそのタイトルの通り、
一番最近のもので今から10年以上前の作品を論じている訳で、
その期間のヒーロー像の変遷を知って、それを面白いとは思っても、
現代にまで追いつけるほどのものではない。

更に言えば、このサブカル・ヒーローを切通理作以上に現代社会を映す鏡として扱っているのが宇野常寛と言う人で、
ウルトラマンと仮面ライダーを材料に、見事に社会を動かす圧力の変化をあぶり出していると思う。

しかも、切通理作氏の「特撮黙示録1995-2001」見たいに、一つ一つの作品を細かく丁寧に内容を検証して行く事はないので、見た事がなくて内容が分からなかったとしても、そこまで作品の内容を丁寧に理解する事を求められずに読み進めて行く事が出来る。
それだけで、正直な話、いくらか気分が楽だ。


この「リトル・ピープルの時代」を途中まで読んで、ちょっと頭が痛くなったので小休止し、
ちょっと落ち着いて周りを見ていたら、
「アイドルもリトル・ピープルの時代なのかも知れない!」と、ふと思った。
そんな論をここでくどくどと書く気も起こらないけれど、
AKBも時代に望まれて誕生したアイドルなのかもしれない。

理解できたらものすごく面白い概念だ。

ある種、ロールズ勉強するよりつらい??


ちょっと前に買った、切通理作氏の
「特撮黙示録 1995-2001」 
と言う本が、もうすぐ読み終わりそう。

…と思って横から見てみたら、最後の章のインタビュー部分がごつくて、
まだ4分の1ぐらい残っていたけれど。

興味があると思って買ってみたものの、全く見た事もないゴジラやガメラの怪獣映画、
平成ウルトラマン・仮面ライダーシリーズを、内容をあらすじという以上に丁寧に解説されても、
なかなか頭に入らずに、すぐに飽きてしまう。
「作品の意義とか本質だけ解説してくれたら楽なのに。。。」
と思ってしまう。

私が小さかった頃にはウルトラマンも仮面ライダーもやってなかったし、
ヒーローものは見ていた記憶はあるものの、内容は全く覚えていない。
てことは、すぐに興味を失ったんだろう。
怪獣ものに至っては、一度も興味をもった覚えもない。
その所為なのか?本の内容にもこんなに興味が持てないのは。
内容を飲み込むので一苦労、その先の話をされても、まず書いてあったことを思い出さなきゃいけなくて、買ってから一ヶ月近くになるのに、未だに読み終わっていないのは普通に読んでいたら、こんな事はないのに。


この本、発祥は昭和である怪獣ものやウルトラマン、仮面ライダーが
本来持っていた性格・意義をもとに、
20世紀末によみがえってきた意味を、内容を細かく検証しながら論じて行くと言うもので、

ただ子どもたちを喜ばせるだけの作品ではなく、
小さな子どもも見ると言う部分で配慮をしながらも、時代を反映して作られ続けてきた
怪獣もの、ヒーローものの持つメッセージ性やその内容がどのように変化し、
またそれが市場に受け入れられるか受け入れられないかでどの程度、
それぞれの時代にマッチしたものを作りだせてきたか、
あるいはヒーロー像そのものがどの時代にマッチしているかを考察している。


私のイメージ的に、ヒーローと言ったら単純な勧善懲悪、
怪獣ものは怪獣が街を踏みつぶすというイメージしかなかった。

この本を読んで、想像していた以上に(特に平成ヒーローは、という事になるんだろうか??)
時代にあった正義のあり方や内容を模索してきたんだなぁと言うのが分かる。
特に平成仮面ライダーの、それまでのヒーロー像のぶちこわしようには驚いた。
この本以外もちょっと見てみたら、これ以降にさらに仮面ライダーはそもそもヒーローからはみ出しての革命的なヒーローになっている様子だ。

ちょっと前の仮面ライダーが何人も出てきたりしているのは知っていたけれど、
最近見たショッピングセンターでの仮面ライダーショーを見ていたら、
勧善懲悪の基本路線と言うのは変わってないのかなと思っていた。
ちょうど今やっている仮面ライダーはどんなヒーロー像を、
あるいはどんなふうに今の世の中を斬って、あるいはあぶり出しているんだろうか、というのも、
誰かの分析を聞いてみたい。
自分で見る気は…全くないので。


ちょっと前に仮面ライダーを見てみようと思って、ツタヤで初代仮面ライダーのビデオを借りたりもしたけれど、
最初は原作にある程度忠実で、これは見れるかも、って思ったけれど、
2号ライダーが登場した辺りから全く面白くなくなって、たった3巻(ちなみに1巻7話)でやめてしまった。
後から、1号ライダーである本郷猛役の藤岡弘が事故で番組に出れなくなった時に路線変更して、
チャンバラやるだけの、そのチャンバラの為にストーリーを毎回作る、
言うなら「暴れん坊将軍」とかに近いものになったらしい。
確かに、仮面ライダーはもともとの設定が人間のサイズのままで、戦闘シーンも敵が大勢出てきて、
派手に殴り合って斬りつけ合うシーンは時代劇に重なる。

でもそうなってしまうと、最後のチャンバラシーンだけ見ればいい気までして来るし、
それが分かっていてそこまでみたい作品でもないかな、もうちいさな子どもでもないし…
ってなって来るわけだ。



漫画の仮面ライダーspiritsというのは、結局どうして仮面ライダーが戦うのかという理由については納得できないにしても、仮面ライダー自身が抱える葛藤とか弱さを乗り越えて行くドラマはかっこいいので読んでいられる。
特に、新仮面ライダーspiritsの一巻二巻にまたがって展開される1号と2号の友情ドラマには痺れる。

この漫画も今はいいけれど、終わる時が怖いなぁ。

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