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カメラを持たない私は映画のことを考えた。


最近、見たい映画。「ラジオの恋」。
最近、(DVD借りてパソコンで)見た映画。「ブラックレイン」。

「ラジオの恋」の紹介の時、アナウンサーが言っていたのだ。
地元の人間でないものがその土地を撮る時の、
その場所でのセオリーにとらわれない、新しい魅力を映し出すマジックを。
だから「ラジオの恋」を見れば私も新しい広島が発見できると思うし、
新しい魅力の発見の仕方とか、そもそもの常識や既存のセオリーにとらわれない自由さをも発見することが出来るはず、と信じて止まない。

ブラックレインも見てみたけれど、そもそも私は大阪をあまり知らなかった。
ロスト・イン・トランスレーションは、まだ東京(渋谷)をテレビで見る機会も多い分、
「あぁ、外国人から見た東京はこんなところなのか」って納得し易かった。
アクションじゃかったのも、街のビジュアルに集中し易かった理由かもしれない。


私は私の目でこの世界を見つめればいいし、
その為に最低限の技術は必要かもしれない。
そして、自分が見た世界を切り取って、表現する為の道具に留まらず、
自分の体の一部のように機能してくれるのがカメラだと言うことに気付いた。
ないとやっぱり不安だし、不満だし、自分ではないような気分だ。


ちょっと前に金を求めてこの場で掘り続けることを決意したはずの自分が、
また手を止めて、立ち尽くしてしまいそうになってしまっていること。
懐かしくなって少し前にツタヤで借りて見たバック・トゥー・ザ・ヒューチャーは、
やっとそのメッセージを理解して、本当に楽しんでみることが出来た。
未来は白紙。
未来へと続くレールはある。そこに乗り続けているのもいい。
でも、そのレールから外れて、自分でつかみ取る未来もある。
望んだ形の未来が待っているかは分からないけれど、自分で選ぶことが出来る。

この映画に不満な点が残るのは、正義の形が一方的すぎること。
いい未来像というのが、いい家に住んでいて、綺麗な格好できて、みたいなところ。
まぁ経済がガンガン成長していたときの映画なんだろうから、しょうがないか。
それと、ビフ(ドラえもんでいう、ジャイアンのポジションかな?)が一方的に悪役で、主人公にとってのいい未来像の中では彼は低所得者で人にこび売って生きるような人間になっていること。
彼の生き方、性格が絶対の悪ではないはずだけれど、いじめっ子なんて将来、こんな立場になってしまえばいいんだ、見たいな描かれ方で、哀れ。彼にだって正義はあるし、幸せになる権利もあるのだけれど。。。映画の世界観とはいえ、かわいそうと思う。そこら辺が、ドラえもんとは違うよなぁ。


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「夢ってなんだろうか。」


今日、友達と「風立ちぬ」を見て来た。

上手く行かないことが多くて、悩んでばかりの毎日。
朝、洗濯をして掃除をしてクリーニング屋に行って、そこから思い立っての映画。

ちなみにどうしてこの映画を選んだかと言うと。
ヤフーニュースで、この映画の監督の宮崎駿氏が雑誌インタビューで
現政権に批判的な内容のコメントをしていると読んで、
彼が考えていること、訴えたいことがなんなのか知りたくなったのだ。


零戦を開発した人の物語、しかし戦争は描かないのだとか。
彼がこの映画を通して私たちに何を語りかけるのか?
私が今、言葉や答えに飢えていたからかも知れない、
タイトルもいいし、行ってみることにした。


人によって色々な感想があると思うけれど、私は、見てよかった。
様々なメッセージを受け取ることが出来たし、
これから自分が仕事したりして生きていく上での糧を得た気がした。
この歳になったからかもしれないけれど、私は色々あるジブリの作品の中で、これが一番好きだ。
これか、紅の豚かな。

友達は、あまり上手く飲み込めなくて、台詞棒読みな感じの主人公や
昭和の時代の男女の在り方とかに抵抗を感じたらしく、
子どもに夢を与える路線の映画ではなかったこともあり、あまりしっくり来なかった様子。
だけれどよく見てみれば、ジブリやドラえもんも、アニメって特に映画版とか、
かなり濃厚なメッセージが描かれている。
環境問題や、後ろ向きなノスタルジーや、現代思想に対する批判など、
大人になってアニメ(エンターテインメント)として描かれている痛烈な批判やメッセージを
消化して言葉に出来るようになってから見ると、
子ども向けのファンタジックな世界観の中に、強烈に脈打つ言葉が脳にガンガン響く。
それらの言葉が現実世界に響かないのは、理想より快楽を求める言葉が溢れている性だろうか。



映画の感想に戻る。
映画は全編、明るく落ち着いた昭和時代の風景をベースに、ミュージックも派手でないが可愛らしいものが多く使われ、主人公の性格と相まって全体的にのどかな雰囲気。
が、一方で背景に世界を覆う不穏な空気、世界中が戦争に向けて準備をしていて、
その予兆のように東京を壊滅させる関東大震災など、一貫して肩の力が抜けない緊張感が演出されている。
明日、何が起こっても不思議じゃないような世界で、空に思いを馳せ続けた少年の物語。


この映画を見て、私の中にわき上がった疑問。
「夢って、なんだろうか。」
友達が言うように、主人公の夢は結果として国に戦争の為に利用される。
主人公はそれを拒まない。受け入れて、国の為にという意思があったかは分からないけれど、
零戦を完成させた。
零戦を完成させたことが世界大戦にとってどういう意味があったかは分からない。
というのも、零戦が無くても日本や世界は戦争しただろうし、
零戦よりも遥かに性能がいい戦闘機が出来たとしても、日本は多分戦争に負けただろう。
だから、最後のイタリア人のおじさんが「(零戦を作ったことで)国を焼いた」という台詞には疑問が残った。
とはいえ、主人公、実際に零戦を作った人にもそういう後ろめたさはあったかもしれない。
自分が作った飛行機でみんなが戦争し、ほとんどが撃墜された。

でも彼に、後悔は無かった。無かったと思う。
自分が思い描く理想の、自由に空を飛ぶ飛行機を、世界があっと驚くような飛行機を作ったことで、
零戦の設計に人生をかけ、実際に完成させた、達成感のようなもの。
彼は自分の夢が空を飛ぶことを疑わなかったし、その為の道筋も心得ていた。

自分の夢が、国や誰かに利用されることについても、具体的にいえば人を殺す道具として機能させられることについてはよく思ってなかっただろう。
それでも、自分の夢が、自分が人間である以上、自分の世界だけで完結するものでなく、
自分の本意と違ったとしてもそれで世界が動くと言うことについて彼は感動したかもしれないし、
それで納得したと言うスタンスかもしれない。


彼の生き様を見せつけられた私はじゃあ、夢があるだろうか?
どれぐらい、夢の実現をイメージできていて、そこまでの道のりをイメージできていて、
確実にその道を歩くことが出来ているか。
今の自分の悩みは、その道の途中にある障害を取り除く為のことだろうか。
…などと考えた時に、答えが須くNO!!である気がしてならない。
全く、私の夢は一体どの雲に隠れてしまったのだろうか。



それと、友達がアレルギーを示した、この映画のヒロインの描き方について。
確かに、時代背景を忠実に描写する中で、ヒロインの立場、振る舞いは現代の女性にとっては抵抗あるものかもしれない。
ただ、意図されていたのは「女性は家を守るべき、家に居て旦那を支えるべき」なんてメッセージでは無いと思う。
ヒロインは女性で、主人公との関わりに説得力を持たせて、ドラマを充実させる為にああいった設定になったのかもしれないけれど、
彼女や主人公の友人であり同僚の彼の立ち位置は、「人の夢を信じられる人、支えられる人の存在の大切さ」じゃ無いだろうか。一人だけでは実現が難しい夢があるときに、それを支えて応援してくれる人の存在がどれだけ支えになるか。自分には誇れるような夢が無いかもしれない、と言う人も、誰かの夢を一緒に信じて、それを応援できる人であると言うことがどれだけすばらしいことか。誰かの夢の実現に、どれだけ貢献することか。
そういうメッセージとして受け取ってはどうかな、と私からの提案。


この映画、既に大人気、というニュースも出ているようだけれど、
私も是非人に進めたい、悩んでいる人に見てもらいたい、と思う映画でした。


真っすぐ前に向かって進むことしか知らないトンボに憧れた去年から、
私はどれだけ真っすぐ前を向く力を手に入れたことだろう。
私の目は今も、脇見をしてばかりだ。
夕暮れは毎日訪れると言うのに。


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2眼レフの独特な世界観。


年末に、大人の科学という雑誌の、ちょっと前のを買って、
自分で組み立てる2眼レフをやってみた。

組み立てる前と、
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完成後。
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特にシャッターが動く仕組みを作っているときなんか、
シンプルだけれどちゃんとシャッターが下りる仕組みを作って、
それが動いているのを実感した時には、楽しくてしょうがなかった。
シンプルな構造だけに、大事に扱えば長年楽しめそう。


全体が完成して、フィルムを入れて、持ち出したのが12月の31日。
そして年末年始の旅行で、操作だけ覚えて使い方も分からないまま、40枚ほど撮った。

そしたら、もともとトイカメラのような作りのものとはいえ、
ほとんど目も当てられないくらいにひどい写真ばかり!
とりあえずは落ち込んでいたけれど、しっかりと写真を見ていると、
この2眼トイカメラの特徴がちょっとづつ掴めて来た。

ちなみにフィルムは感度400で、取り外し可能な絞りは外してある。
もしおんなじカメラで遊んでいる人が居たら。

こんな感じの写真になった!!
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説明書にも書いてあったんだけれど、このカメラ、ピントが合い、きれいにとれるのは中心の方だけ。だから、普通のカメラでやるような、一番撮りたい被写体を中心からちょっと外したりすると、たちまち何が撮りたかったのか分からない写真になってしまう。
ファインダーをのぞいた時には、その中心と中心以外のピントの違いが分かりづらく、ファインダーに写るイメージとかなり違って写って難しい。



それと、同じ要因だけれど、独特の遠近感が写真に浮かび上がって来る。
色もちょっと変わっているけれど、それ以上にこの摩訶不思議な遠近法が気になる。
これで写真を撮るとミニチュア風になるというのはこういうことかと分かる。
だから普通の風景写真には向かない、あるいはミニチュア風の写真をはなっから狙った方がいいのだろうか??
絵の中心に何かないと、とても落ち着かない写真になることが分かった。
実際の距離感から出て来るぼやけ方と、レンズが要因のぼやけ方、二つが重なるので、
うまく使いこなすのは難しそう!
イメージ通りに撮れるようには時間がかかりそうだし、
そもそもこのカメラにぴったりのイメージを頭の中で作り出すのもちょっと大変かも。

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それと、説明書にはフィルムを巻くとき、「一回転させる」とあったけれど、
ネジタブをちょうど一周させると、巻き過ぎになってしまう。無駄が多い写真。
27枚取りなのに、22枚しか撮れてなかった!
なんかすごく損した気分。

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あと、持ち方に気をつけた方がいいのかな、やっぱりぶれ易い。
ストラップを買って首から下げれるようにしたから、もっと安定した写真が撮れたらいいなぁ。

あと、多重露出でも遊べるから、それも楽しいよ♩

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タクシードライバーとイージーライダー。


「タクシードライバー」と「イージーライダー」を見た。

ずっと見たくて、なかなか見れなかった二つの映画。
タクシードライバーは、とにかく音楽がいい。あのテーマ曲は、禁じられた遊びを超えているかもしれない。
イージーライダーは、なんだかすごく人気があるし、タイトルがタイトルなので見てみたかった。


二つとも、フィルムの感じがすごくよかった。
フィルムというだけですごくいい。

ということを、自分でフィルムで写真を撮るようになって、実感した。
デジタルも、デジタルの画質はフィルムを超えたと言われているみたいだけれど、
描写力はあっても、それで確実に犠牲にしているものがあると思う。
雰囲気とかを全く切り取れないから、見た目美しいだけ、細かいだけの写真になっていると思う。
フィルムはその点、全然違う。フィルムが醸し出すあの、ちょっとざらつきのある画面と独特の色味は、映画らしいと言うかとにかくフィルムらしいと言うのか、CGやデジタルのようにわざとらしくない世界を自然と演出できていて、それだけで懐かしさが漂う。


そして、内容について。
どちらの映画も、ベトナム戦争をきっかけに二つに割れてしまったアメリカ社会を反映していて、今ではマイノリティとして生き残っているにすぎないが、当時は時代の一翼を担った運動が敗れ去って行く様をまざまざと描いてあり、今まで映画を、ただ外部の者としてみて来たのとは違い、今の自分の思想や自分を取り巻く環境にまでこの映画のテーマが繋がっているのが感じられた。

タクシードライバーは、あのロバート・デ・ニーロの役のステイタスや反社会性というか、周りにうまくとけ込めない部分が、
ベトナム戦争で破れたアメリカ、派遣国となった故に抱えることになった正義への葛藤、ベトナム戦争でまっぷたつに分かれたアメリカを象徴しているようで、すごく面白かった。
ただ、結末で彼が英雄視される場面も意味が分からないんだな。私にしてみれば、「自分のやったことをほめて欲しい!」というアメリカの自己愛肯定願望な気がするけれど、どうだろう。
同じテーマに踏み込んでおいて、描く対象が違うと、イージーライダーと見た目かけ離れた作品になっているように思うけれど、このブルースが終始リフレインされる雰囲気は好きだ。

それと、イージーライダー。
これはただバイクが好きな映画なのかと思っていた。全然違った。
これも、ベトナム戦争をきっかけにアメリカに生まれた反体制的な活動を取り扱ったもので、
自由の意味を問い直す映画であり、結末としてはこの時期の反体制運動=自由が体制に敗北するというもので、すごく意味深だ。

実際に、今の世界では反体制的であることは完全に敗北を喫し、この反体制運動から生まれた様々な運動や思想は、本編でもウーマンリブなどに触れているけれど、今は市場にて選び取ることができるスタイルの一つにすぎず、完全なマイノリティー。

主人公のキャプテン・アメリカが、当時体制や時代への犯行として生まれた多くの思想や運動に、穏やかな視線を向け、肯定していくシーンは気持ちがいいが、それが体制側にとっては唾棄すべき対象、攻撃対象になりうるものであること、そして結末としていとも簡単に体制側に敗れ去るべきものとして描かれていて、新しい価値観の脆弱さには切なくなる。

自由の置かれた立場は、この時から今まであまり変化が無いのかもしれないな、と言うのが、私がこの映画を見た時の感想。

キリバス留学生たちの合唱


ちょっと前まで日本に来ていた、キリバスの留学生たち。
彼らはプログラム後半、キリバスの伝統的な歌を中学校などで披露したのですが、
その為にバスの中などで練習していました。

下のビデオは、その時の練習風景を録画したもの。
愉快なメロディーに、結構綺麗なハーモニーで、聞いていて気持ちがいいです。




今後また、実際に歌を中学生や大学生の前で披露している時の動画もアップする予定です。
是非、聞いてみてください。

ダークナイトになるのはそう難しい作業だろうか。


日本の冬ってこんなに寒かったっけ?っていうくらいに、寒い。

何しろ私は、もう一ヶ月も前からこの寒さにぐうの音をあげ、
一人コートを羽織って秋づきかけている広島の街を歩いていたのだから。
あの頃は未だ、半袖を着ている人もちらほら居た。
あれから一ヶ月、もうコートを羽織っていても外に出たくないくらいに寒い。

しょうがないので、昨日いとこにもらった石油ストーブを焚き、
ツタヤで借りてきたビデオを見て一日過ごす。
なんとか借りてきたものの、この寒さでは返しに行くことが出来ないかもしれない…。
そして、明日から仕事にいくのも無理かもしれない。
金曜日もこの寒さとタクシーのいい加減な運転の所為で、危うく事故するところだった。
寒さは人を…というかライダーを、狂わせる。あー恐ろしい。


昨日借りてきたビデオは、アメリカンコミックのヒーローもの。
バットマン・ビギンズにダークナイト、スパイダーマンの1から3、それからスーパーマン・リターンズ。
とりあえず半日で、バットマンシリーズの二つとスパイダーマンは見た。
今まで全く興味がなかったヒーローものだけれど、故あってアメリカものにまで手を出し始めてしまった。。。

ダークナイトは当時からすごく評判が良かった。だから見てみたいとは思いながら、
バットマンへの興味を持てずにずるずると引きずってきたものだった。

思った以上に面白かった…とは思ったけれど、たぶん他の人はもっとおもしろがっていると言うか、もっと楽しんでいるんだろうな。
なんかそんなにいうほど感動なく画面を見つめている自分が居て。
何だったら自分はそんなに劇的に感動するんだろうか??


とはいえアメリカのヒーローものといえば、宇宙からUFOに乗って宇宙人が侵略してきて、
それをアメリカが主導して世界が一つになって撃退する!見たいなストーリーばっかだと思っていたから、全然違う内容というか、自分の身にも置き換えて考えることが出来る内容、テーマやキャラクターたちで、面白かった。
スパイダーマンは今後、自信の中に芽生える善と悪が戦うというストーリーになると思われるし、
バットマンはスターウォーズのアナキンのような選択をするのかと思いきや違って、
バットマンになった後も自分の二面性に揺れたり、悪役ほど悪役に徹しきれぬ故に悪役につけ込まれ、といった葛藤も面白い。バットマンは見た目ほどヒロイックあるいはサタン的でもなく、の半端さが市民たちに恨まれる材料にもなり。こちらがみていてもやきもきする展開だ。

悪役の方も、ジョーカーと言う悪役は愉快犯的で犯罪が目的になっているので置いといて、
その他は自分自身を守る為に、苦渋の決断の末に悪魔に魂を売るような人も居て、単純にどっちにつくと言えない、全ての人の中にある葛藤を描いて居たのは面白かった。

最終的には無責任に応援するだの恨むだのと外野から好き放題言っていた人々も渦の中心に巻き込まれて行って、自分自身が決断を迫られるシーンは、最終的に正義を他人任せにするのではなく、自分自身が当事者となって引き金を引く身になると言う重みをしっかりと感じさせられて、その決断にはもうバットマンもジョーカーも口を差し挟む余地はない。一人一人が自分自身の声に耳を傾けて、決断していかなければいけないのだなと思わされた。

これは究極の選択の話ではなく、普段から自分の、胸や首とはいわなくても、手首辺りにはナイフを突きつけているような緊張感を持って物事に対峙しなければいけないのだと思う。
他人事と思わないこと。

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