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私の性格はこのままでいいのか、そもそもこのままとはなんなのか。


久しぶりに会った友人に寄ると、私の性格は
「こってりに見えてさっぱり」
なのだそうだ。
照り焼きバーガーのように。
意外と一番さっぱり、だったりする。

しかし私の見た目、というか雰囲気?から判断して、相手はかなり身構えたりするのかもしれない。
私のどの辺りがそうさせるのだろうか。
最近も、やはり「変わっている」と言われているが、
言われ続けて26年と半年、だが、未だに自分の客観視が出来ない。
皆が口を揃えるのでそうなのだと思うが、正直な話、
自分の辞書には「変わっている」という文字は無いのかもしれない。

「おかしい」「変だ」という意味は分かる。理解できる。し、使う。
本来の機能や性能を発揮できない状況で、そう思う。
が、変わっていると言うのはどういうことだ?
相対的なものでしかないし、数列上の何処から何処の範囲を2桁と呼ぶ、と言うような
あるいは無理数や有理数のような定義が出来ているものじゃない。
これは単に、私がニュアンスを読み取れないと言う意味なのだろうか。
こんな風に定義が無ければ理解できそうにない私は、実際には苦手でも、
その性質から、数学チックなものに好意を示すのだろうか。
定義の明確なものは嫌いじゃない。
方程式で答えが出るのも悪くない。
問題は、方程式で答えが出ない問いで、私はこれの答えを常々探して、上の空なのかもしれない。
空ばかり眺めていれば、そのうち流れ星のように、答えが降って来るとでも思っているのかもしれない。
まぁいいか、そんな自分のことなんて。


ところで、居酒屋や焼き肉屋で懐メロを流している店が多いと、思ったことはあるだろうか?
私は最近、よく思っていた。有線のチャンネルで古い曲ばかりを流すチャンネルがあるようで、
私が子どものときの歌や、もっと古い歌まで。

最近、懐メロが居酒屋などの店でよく使われる理由を聞いた。
というのも、懐メロをかけていれば売り上げが上がるのだそうだ。
色んな年代の曲で、新しくないものをやっているので、どんな世代の人も、自分の心に残る青春ソング、みたいなのがあるが、色んな世代にまんべんなくアピールできるようになっている。
で、それを聞いた客が懐メロの話題で盛り上がったり、しみじみしたり・・・
とにかく、おしゃれなでも誰も知らないような曲をかけるよりも、懐メロの方が売り上げが上がるのだそうだ。

なかなかに奥が深い。


早朝、太陽が昇りだす前の風景。
空と海がお互い、とけ込んで流れる。
滅多に見れない光景だっ田と思う。


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地震速報だったらしい、オオカミ少年みたいになってる。


突然、iPhoneが防犯ブザーのようなけたたましい音を大音量でたて始めた。

それは夕方頃の出来事だ。iPhoneがなっていると気付くのに少し時間がかかった。
なぜなら、まず第一に、私のiPhoneは常にマナーモードで、音は出ないような設定になっている。
第二に、鳴ったとしてもそんな、防犯ブザーのような穏やかでない音をたてるのを、聞いたことがなかった気がしたからだ。
iPhoneが鳴った理由を知って、第二の理由は間違っていたと知った。


何はともあれ、突然iPhoneが鳴りだした。
しかも、二つ同時に。気付いてまず、仕事用のiPhoneを止める。そうして初めて、もう一つ鳴っていることに気付いて右足のポケットに手を突っ込み、プライベートのiPhoneを取り出して止める。
あぁ、なんて間抜けで慌てふためいた顔をしていたことだろう、鏡を見なくても分かる。

これが人と一緒に居る時に鳴ったなら、どんな怪訝な目をされたことだろう。
しかし一人のときは一人のときで不安になる。
誰かが私の不審な行動を見て痴漢か何かと断定し、防犯ブザーを鳴らしているのではないかと勘ぐってしまうからだ。
思わず、小さな子どもか若い女性が近くに居るのではないかと周囲を見渡してしまった。
見よこの、後ろめたさの塊のような男を。自分で自分が「怪しい」と言っているようなもので、滑稽で仕方が無い。


これを読んでいる諸君は、私がどれだけ卑屈な人間かと思っているかもしれない。
が、自分がどれだけ自信を持って「人に後ろ指刺されるようなことはしていない」と信じていたとしても、人がどんなことで私に後ろ指を指すか、分かったものではない時代なのだ。
一歩間違えれば、「子どもが可愛い」と思っただけで変態扱い、痴漢扱い、犯罪者扱いされかねない時代であるのだ。
であればこそ、私は私の一挙手一投足に至るまで、どの仕草が人に不快感を与えているのではないかと心配する訳だ。不快感と言うならまだ可愛い方かもしれない。


私がそんな気分で居る一方、世の中には図太い人たちが居るもので、
最近の流行はコンビニやレストランの冷蔵庫に入り込むなどし、写真撮影をすることらしい。
ここまで清々しく、自分たちの行動を「お遊び、ギャグ」と思い込んで行動し、発信できる勇気は素晴らしい。私にもそんな勇気が欲しい。

世の中のバランス感覚、色んなところで狂っているよなぁ。
私はもう自分のそれをハンドルできる自信さえなくなってしまった。


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意思の弱さを補うもの。


Yo Oizumiの本を買った。
彼が過去・雑誌などに連載していたエッセイをまとめた本だ。
これが一本いっぽん短くて気軽に読め、面白い。
私も彼のように面白い文章が書けたら、と思う。

じゃあ、私が彼の文章を読んだところで、今すぐ彼のような文章が書けるかと言ったら否だろう。
彼は車の中で落語を聞いて育った。私は車の中で山口百恵と松田聖子を聞いて育った。
今更彼の本を一冊二冊読んだところで、今更私の文章が変わる訳が無い。
もちろん、努力は必要だ。20年後には出来るようになっているかもしれない。

彼のファンになったのは、ブルキナに居る時、彼が活躍していた某ローカル番組のデータをもらってからだ。まぁとにかく面白かった。協力隊としてアフリカ下りまで行って、何やってんだと思うかもしれないけれど、娯楽が少ない地域に、場合に寄っては日本人一人の、ストレスの吐き出し先も無い人も居るのだ。私みたいに。

まぁそれはいい。
ところで彼の、Yo Oizumiの番組のUディレクターの印象的な言葉が、最近ある雑誌に載っているのを見て思い出した。曰く、
「僕たちは新しいことをやらないから、古くならない。」
これが私の目指すべき、一つの目標かな、と思う。


今日は私が目指したい、やってみたいと思っていたことをしている人に会って来た。
やりたいけれど、自分にはまだあらゆる能力が無くて出来ないこと。
その人の話を聞いて、今の自分が没頭しようとしている世界も持って来て、
いつか水のひと雫の自分が、川や場合に寄っては海を動かすようなことをしなければいけない。
それが私の使命なのだから。
もう決まっていることなのだから。

その為に、先人たちの足跡を確かめること、自分の目指す先を明確に自分の言葉で整理し、
振り返る時間になった。
自分の直感と使命をどれだけ信じることが出来るかが、これから勝負になるなと思った。
自分の道を自分で切り開けるかどうか。私自身が決めることだからこそ、
私自身が信じていなければ。

今、自分がしていることは、今で無ければ出来ないことか?
今しなければいけないことか?それとも今じゃなくてもいい??
本当は他に、今やっておかなければならないことがある?
今の自分には知りようも無いことだし、きっと将来も分からないかもしれない。
正しい選択なんて。

意思の弱さをカバーできる何かが、私にとっては何なんだろうか。


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思い出す度に切なくなる。


あの子は今でも同じ仕事をしながら元気に過ごしているだろうか?
なんて考えながら思い出す、ある少女の顔がある。

実際には少女なんて年齢でもあるまい。ましてや、私(若干26歳)からしては。
立場的に見れば寧ろ、彼女の方が経験的にも”上”であるし。

あれは年末、木枯らしが吹く寒空の下。
今の季節には考えられないほど、その頃の夕方7時過ぎは見事に真っ暗だ。
私は夕暮れ時、刻々と表情を変える小さな町並みを眺めた後、整骨院の受付カウンターの中で事務仕事をしていた。そこに現れた彼女だった。


整骨院の扉が開く音で顔をあげた私に彼女は、硬い表情で挨拶をし、名刺を差し出した。
蚊の鳴くような声だった。
院長は施術中ですと彼女に伝えると、では伝えておいてくださいと、私に商品の説明を始めた。
相変わらずのか細い声、こんな寒い中歩いて来て大変だったろうと思う。
きっとまだ新人だ。全体的にぎこちないし、スーツもシンプルな白と黒、顔や髪も着飾っていない白と黒だ。マニキュアとかも塗っていないし、清潔感と言うか、清楚でシャイな印象だった。
カウンター越しに、カウンターの上に広げた資料を使って、伏し目がちに説明を続けていた。


彼女が帰った後に、院のスタッフの女の子が出て来て悪びれもせず言う。
「今の人、帰りました?キモいですよね。」
予想外の台詞が耳を突き抜けて私の脳に刺さった。私は一瞬、言葉を失う。
聞くと、以前も彼女は何度か来院し、商品の説明をしようとしたらしい。
その時の彼女は院の玄関の前で飛び込むのを躊躇う様子で、
暫く中の様子をうかがっていたりしたそうだ。

彼女が入って来たときから彼女に共感を覚えていた私は、
その瞬間から同情をも彼女に感じている。今この時も。
何度も何度も、彼女の打つ向き顔に自分を重ねあわせながら。

あれから半年以上が過ぎ、あの整骨院に彼女は再び現れただろうか。
あの時点で営業職に就いてから何ヶ月ぐらいだったのか、どうして営業と言う仕事に就いたのか。
何も知らないけれど、少なくともあの寂しそうな瞳が、年末の所為だったなら救われるのにな、と思う。
今も昔も、あの人の瞳を思い出すたびに切なくなる。


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青い空を眺めていても、変わらない。


雨が続いていた。このじっとりと肌にまとわりついて来る湿気は、不快だ。
こんなにも不快なものだったかと思ったけれど、もしかして去年も思っただろうか?
それとも、季節が正常に巡っているということが分かったなら、
このまとわりつく不愉快さも歓迎すべきものなのだろうか。

雨が降る。川が増水する。ごうごうと音をたてて、濁流となって流れていく。
そういった当たり前のことほどにも、自分の行動や一言は世界を変える力を持たない。
世界はこんなにも常々変化を続けているのに、そこに自分の一言が介在することを許してくれない。
私がここに立ち、叫び続ける意味を実感する日が来るだろうか。
あるいは、私が私の存在の価値を発生させる日が来るだろうか。


久々の晴れ間を喜び、隙間から青い空を眺めたところで、
自分自身に成長は訪れないと言うのに。


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最近の自分。


最近、色々と悩んでいたり、疲れていた自分の為に、
今日はとあるリラクゼーションスポットに行って来た。

ただ疲れているとか言うのではなく、心の中に溜めて、
でもそれを上手く表現できずに自分の中に残していた。
ネガティブなこと言っても怒られるし、
悩んでいることを自分が上手く言葉に出来る自信が無かったりで、
だけれど誰かに話して楽になりたかったことがあった。

なので、今日行ったのは、施術だけでなく、カウンセリングもやってくれるところ。
昨日偶然、カウンセリングもしっかりやってくれるところを見つけて、
すぐに予約。

そして今日、早速癒されて来た♩
昼過ぎの暖かい日差しが降り注ぐ部屋で、うとうとしながらの施術。
久しぶりだったから緊張したけれど(私が!笑)、
やっぱり平気なようで体も疲れが溜まっている部分があったみたいで、
たっぷり一時間かけて楽にしてもらいました☆

それから、お茶を飲みながら色々と話を聞いてもらって。
自分が今現在直面している問題と、
毎回同じような問題を起こしているのが自分自身の性格の問題なのではないかと…
等、色々と悩んでいたりすることを聞いてもらった。

その人の話によると、私はもっと素直になっていいのだそう。
自分の言葉が周りを傷つけたり、イライラさせるんじゃないかと、
普段から思ったことを簡単には口に出さないようにしている。
でも本当は、そんな心配をせずに思ったままを素直に言葉にしてもいいのだそう。
きっと周りもそれを受け入れることが出来るし、
自分自身もそうすることで、諸々のことを溜め込まずに済むのだと。


次は月末に行くことになった。
これで明日から、気持ちをリセットして、新しい自分にして頑張ろう。


昔は夏って暑いだけで汗疹も出来るし嫌いだったけれど、
よく見ると生命力に溢れて色彩が深く、暑いのも好きになって来た。
いい季節かもしれない。


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